あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

越前海岸と東尋坊

2015-12-31 17:51:50 | 観光

越前海岸
福井県を代表する景勝地で、奇岩・怪岩の海岸美がが続く。越前岬を中心に自生の水仙が冬季には咲き乱れる。

呼鳥門
昭和33年、ここを通る県道が開通、その際に当時の県知事が、「渡り鳥を呼ぶ門」として「こちょうもん」と名付けた。

平成14年、呼鳥門トンネル(左手)が開通し、従来の道路は歩道になった。
名残の黄色いセンターラインが呼鳥門へと続いている。

呼鳥門トンネルの脇に小さな公園があって、五木ひろしさんの「越前有情」の歌碑が建っている。

              秘かな想いを 鶺鴒(せきれい)に
                託してかいた あの日の便り
                ささやく水面に 桜がゆれる
                愛の優しさ 教えてくれた
                わたしの越前 春の海

水仙廼社(すいせんのやしろ)
地元の人に「恋岬の愛染さま 縁結びの愛染さま」とあがめらりている愛染明王が祀られている。


社の案内板に描かれていた「愛染明王」




弁慶の洗濯岩
海蝕によってできた文様がなす奇岩の数々。
源頼朝の怒りに触れ、追われた義経・弁慶一行がこの地を通った際、旅衣を洗ったと伝えられる。

東尋坊
波の浸食によって荒々しくカットされた断崖絶壁が海岸線に続く。












訪れた日:2015.10.18


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越前 朝倉氏の栄華

2015-12-28 14:24:38 | 観光
~戦国時代にタイムスリップ~
              一乗谷朝倉氏遺跡

北陸新幹線が開通し、金沢から足を延ばして福井に。
一乗谷は室町幕府八代将軍・足利義政から越前国守護職に任ぜられ、日本初の戦国大名となった朝倉氏の本拠地である。
義政と云えば、最近知識を得たのだが、銀閣寺を建立し、生け花・茶の湯に詫び寂びの簡素にして枯淡の美を求めた東山文化を代表する人物である。この話は、いずれ京都を巡った際に記したい。
一乗谷は現在の福井市から南東に10kmほどのところにある。
朝倉氏は当時戦火の京都から逃れてきた公家や僧侶を招き入れたことで飛躍的に発展、雅な文化を築いた。このため遺跡からも全国各地の陶器が掘り出されたと云う。
しかしながら、100年余り続いた朝倉氏も、織田信長の家臣・柴田勝家によって滅ぼされる。この時一乗谷は三日三晩燃え続けていたという。
その後、田畑となって、遺跡は良好な形で現代まで眠っていた。
そして、昭和40年代に水田改良事業が行われた際に発見され、平成7年に整然と並ぶ城下町が復元された。











武家屋敷






町屋群




唐門




日本最古の「朝倉将棋」王将の上に並べて将棋を指す


2013年こちらで撮影したとのこと







小百合さんの石川県と今時云えば、白山平泉寺なのでそちらに行きたかったのだが時間の都合上、こちらとなった。
そうしたら、たまたま小百合さんのポスターが貼ってあった。
「大人の休日倶楽部」で様々な場所で出会う。でも、この写真は電話会社のポスターだ。 


訪れた日:2015.10.17
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緋衣の大文字草が今年も咲く

2015-12-18 14:33:44 | 生きもの


夏の暑さにトロケてしまい、花は見られないのかと思ったが、根は生きていたようで、開花は遅くなったが見事な花を咲かせてくれた。

11月の初めにまず1輪咲いた。つぼみは沢山あった。




大文字草の赤色は調べた中では、3段階に分かれていて、淡い赤が不知火。次の赤が大和赤花、つぎがこの緋衣(ひい)である。




緋衣とは深紅の衣を指しているようだが、大文字草がいかに衣なのか。
緋衣草となるとサルビアのことのようだ。







忙しさにかまけて2か月ほど放置したら、ある日突然IDやパスワードを入力しないと開かなくなってしまっていた。
ID、パスワードを記録したものがなくて、8年間の積み重ねもこれまでか、とあきらめつつも再開へ操作する。
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