あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

もうひとつの甲子園

2009-12-19 00:00:32 | その他
文部科学大臣杯争奪「全国高等学校対抗ボウリング選手権大会」が始まる。

これは高校ボウリング部対抗選手権大会で1994年から行われているもので12回大会からは文部科学大臣杯争奪となり、総務省・文科省が主導する「スポーツ拠点づくり推進事業」の一環として毎年12月に川崎市で開催されている。 

たまたま我々はそれを知らずに大会初日に会場である川崎グランドボウルにゲームをやりに行ったが、我々の脇のレーンでは兵庫の高校生、京都の高校生が大会の練習をしている。「デケー」とうなるほど皆体格の良い子ばかりだ。
反対のレーンには神奈川の選手がいたいた。しかも地元川崎、それも我がふるさとエリアの高校生が。
選手にとっては学校の名前を背負って戦うもう一つの甲子園に違いない。

                       

赤穂浪士討ち入りの日に因み ふるさと平間周辺散策

2009-12-14 20:52:10 | わがふるさと
「拙者宿所は平間村にあい究め候間、此所より同志の衆中へ、自身諸事申し談べき事」
浅野家国家老大石良雄はこの書き出しで討入令書を江戸の同志へ発した。

今日、12月14日は赤穂義士四十七士が吉良邸に討ち入った日である。我がふるさと平間村も赤穂浪士ゆかりの地となっているので歩いてみた。     


武州平間村の隠宅 屋敷、前面右端が浪士の隠家
赤穂浪士と軽部五兵衛の関係は「平間の渡し」(クリック)で触れているのでここでは省略する。
大石良雄等一行8名はここ平間村に10日間滞在している。この滞在中に討ち入りのための10ヶ条を起草するなどして十分なる確認と準備を固めた討ち入りへの重要な期間であったようだ。

称名寺の斜向かいの軽部五兵衛の屋敷跡には「義士隠家之跡」の碑があったが現在は県営住宅の団地になって今は跡形なし


称名寺は平間山歓喜院と称する浄土真宗大谷派の寺院 赤穂浪士の遺品と伝えられる品を30点余所蔵している 
称名寺では年に一度だけ12月14日に赤穂浪士の遺品と伝えられる品々を一般公開しているので訪ねた。
称名寺は昭和20年4月の川崎大空襲により残念ながら消失してしまったが遺品は農家の土蔵に預けてあったため消失を免れた。
遺品は大石良雄愛用のおかめの面(木製)と書、富森助右衛門愛蔵の銚子と盃、浪士の書簡などがある。
展示だけではなく本多住職の丁寧な解説やNHKの大河ドラマ赤穂浪士作品の平間村が出てくる回のビデオ上映などがあった。
今年の見学者は例年になく多く訪れているようで住職も驚いていた。このあと称名寺から泉岳寺に向かう見学者もいるようで交通手段を訪ねている人もみうけられた。この日だから出来る「赤穂浪士見学のはしご」かも知れぬ。
また神奈川新聞の若き美人記者が一眼レフのシャッターを切ったり住職にインタビューをしている姿もあった。

          
          紙本着色四十七士像
四十七士像の詳細は川崎市教育委員会の解説(クリック)に委ねる。
討ち入り後41年後にこの四十七士像の掛け軸は描かれている。但し描かれているのは46人で寺坂吉衛門が欠けているのだ。それは討ち入り後本懐を遂げ泉岳寺に参ったときには抜けていたからだ。何故抜けているかは諸説あるようだ。


北加瀬日蓮宗頂竜山了源寺山門 山門手前に軽部五兵衛一族の墓 向かって左端の墓石が五兵衛の墓碑。


銚子塚 赤穂義士冨森助右衛門から大工渡辺喜右衛門が別離にもらった銀の銚子を義挙後弔うため埋め銚子塚とした
南武線平間駅西側、銚子建設の裏手に小さな鳥居があってそこに奉られている。




駒止茶屋五十周年記念作品展終了

2009-12-13 20:55:49 | 駒止
              1963年当時の駒止茶屋(46年前)

                   
                   現在の駒止茶屋
10月から11週に渡って標高900m、塔ノ岳中腹の駒止茶屋において行われていた駒止五十周年記念作品展は本日12月13日に無事終了した。

                
                初代駒止茶屋小屋主 高橋時次郎氏

駒止茶屋目前の急登な階段を登りつめた後に絵画やステンドグラスそして山の写真に接した登山者にとってこの作品展が一服の清涼剤になったのではないだろうか。
なかでも話題となったのはこの絵画であろう。
                    
                    マッターホルン  画伯が当地を訪れて目にした風景画
                    絵画の主要部分は指で描いた逸作である
この作品は遠目からみると写真?と見紛う登山客が多かった。