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神田川 お茶の水界隈を歩く

2013-04-26 16:18:30 | 東京散策
神田川。
フォークソングでも名を知られた川である。
かつては神田川の一部の水は神田上水として飲み水・生活用水に使われ、玉川上水をはじめとする日本最古の都市水道を形成した江戸六上水のひとつでもあった。
その神田川の水道橋からお茶の水界隈を歩き、神社や神田上水のかかわる史蹟所などを訪ねる。


水道橋駅
 
水道橋の名は、江戸名所図絵によれば、この橋の下流に懸樋(掛樋・水道橋(すいどうきょう))があったことに由来し、駅名にもなっている。
ここからスタートである。

三崎稲荷神社 千代田区三崎町2-9-12
 
水道橋駅の南側に神社は位置する。
手水舎には花が浮かんでおり、本殿前には小手毬の花が咲いている鉢が置かれている。花好きの方が管理されているのだろう。
手水舎に花が浮かんでいるのをはじめて見る光景である。
    
創建は建久(12世紀末)以前とされている。金刀比羅神社を合祀しているため、通称三崎神社呼ばれている。
創建当初は和田倉付近にあり、その後三崎村に移転、1860(万延元)年、講武所の設置に伴って水道橋に移転し、甲武鉄道(現JR中央線)が万世橋まで延長されたので1905(明治38)年、現在のこの地に移った。
講武所(こうぶしょ)とは、幕末に江戸幕府が諸役人、旗本・御家人、およびその子弟を対象に設立した武芸訓練機関である。剣術をはじめ、洋式調練・砲術などを教授した。
築地鉄砲洲に置かれ講武場として発足、のちに神田に移転する。

水道橋

水道橋の名の由来が書かれたレリーフが橋の欄干にはめ込まれている。

神田上水の碑
 
碑には「神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道です。文京区関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中をぬけ水道橋の東側で神田川を掛樋でわたし、神田、日本橋方面に給水されていました。」と書かれている。
また、関口の堰で分水した残りの余剰水は当時の江戸川(現在は神田川の統一名になっている)となって流れていた。

お茶の水分水路の碑
 
神田川は流れが緩やかなため、上流で川が溢れ水害が多発していた。、特に平成19年の集中豪雨による被災は大きかった。このため「神田川流域河川整備計画」の一環で、水道橋から御茶ノ水の湯島聖堂横までの神田川に沿った地下分水路事業を行った。碑はその記念ということで新しいものだ。

神田上水懸樋(掛樋)跡碑
 
江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を設け、神田上水の水を神田、日本橋方面に給水していた。
 
下の絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が現わされている。
掛樋とそれを管理する水番屋が描かれているが、水番屋にはなぜか「大かば焼」の看板がかかっている。
それは水守番人がうなぎ屋も兼務していたからなのだ。当時でも「水道橋森山」という立派な老舗のようである。
 
神田上水御茶水(「絵本続江戸土産」)


東京都水道歴史館
 
『江戸―東京400年、過去から学び・未来を創造する・・・・東京都水道博物館では、開館以来大切な水道の歴史を皆様にご紹介しています。』とのことで、館内では音声ガイダンスも利用できて江戸上水から近現代水道の過程がよくわかる。

        
館内では教育番組の撮影が行われていた。
水道博物館については玉川上水を含めた江戸の上水について後日まとめる予定。
下の石樋(石垣樋)は、発掘された神田上水幹線水路の一部を水道歴史館西手の本郷給水所公苑に移築復元したものである。
石樋の内部寸法は、上幅150cm,下幅120cm石垣の高さ120~150cmで、厚さ30cm前後の蓋石がのせられている。


お茶の水碑

慶長(1596~1615年)の頃徳川二代将軍秀忠が鷹狩りの帰りに、現在の順天堂病院の辺りにあった高林寺に立ち寄った際に、境内に湧く名水でお茶を献上したところ、秀忠はその茶をたいそう褒めました。
それから毎日この水を差し上げる様になり この寺をお茶の水高林寺と呼び、この辺りをお茶の水というようになった。その後高林寺は、明暦の大火で、焼失し、駒込に移り、残された井戸は、神田川の拡張工事により、川底に沈んでしまったといわれる。

神田山の切り通し
 
1620(元和6)年以前のこと。本郷・湯島台と駿河台は地続きで神田山と呼ばれていた。
徳川家康は神田山を切り崩して日比谷入り江を埋め立て、日比谷と新橋地区を造った。その後江戸が洪水のため神田山を堀り崩して神田川を隅田川につなげ町民を洪水から救った。

御茶ノ水駅

御茶ノ水駅のホームは聖橋まで続いている。
スタートの水道橋駅は、東京駅からは中央線の快速に乗り、この御茶ノ水駅で船橋方面のからの各駅停車に乗り換えひとつめである。

この先神田の町を散策したが、後半が長くなるのでここでひと区切りつける。


                 関連 : 神田を歩く
                     : 江戸総鎮守 神田明神
                     : 玉川上水と江戸の上水  後日記載
 


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