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大御所様の道・中原街道を歩く 3日目

2011-12-22 00:00:00 | 街道を歩く
中原街道3日目

中原街道3日目は前回の続き、東急東横線「新丸子」駅からスタート。

駅から北へ歩き丸子橋を渡って西に走る中原街道に出る。


右手に大きな門構えの家がある。原家である。門前に旧原家母屋跡地の碑がある。それによると、
当家の九代目が総ケヤキ造りの母屋を1891(明治24)年から22年かけて建てたという。明治時代を代表する建築物で篠重要歴史記念物に指定され現在市の民家園に移築されているとのことだ。

 屋敷内には土蔵も建っている
門前には新しい道しるべも建っている。「中原街道 右東京十粁 左平塚五十粁」


その先、通りを隔てて直ぐ右手に長屋門の安藤家がある。安藤家は、小田原北条市の家臣、安藤因幡守につながる旧家で、江戸時代この辺りの名主代表だった。江戸時代の中ごろ、代官から賜った長屋門が今に残る。代官の娘が安藤家に嫁入りしたことで長屋門を賜ったようだが、この門は代官屋敷の裏門のようだ。
 

少々先に2棟続きの土蔵を持つ石橋醤油店がある。
ガイドによると、「キッコー文山」の商標で石橋醤油店が醤油造りを中原で始めたのは、1870(明治3)年という。1949(昭和24)操業を終えるまでは、ここには大樽を据えた醸造工場や蔵が立ち並んで活況を呈していた。
 

その先に八百八橋の碑がある。碑に依ると、18世紀中頃に肥料問屋を営んでいた野村文左衛門という人物が、人々のために中原街道筋に千の石橋を架けることを思い立ち亡くなるまでに多くの橋を架けたという。


その先正面に、西明寺(さいみょうじ)がある。その手前が小杉御殿の表門跡がある。

小杉御殿は徳川家康のために二代将軍秀忠が建てたもので、家康は駿府城と江戸との往還や鷹狩など街道を通行する際に利用した。1660(万治3)年に廃止される。敷地は1万2千坪(約4万平方米)あった。
神奈川県内には中原御殿、神奈川御殿、藤沢御殿が徳川時代初期にはあったが、これらの建物も同じ頃に廃止される。

小杉御殿の表門跡の路地を入る。
左手に御主殿稲荷がある。
 御主殿稲荷

他にこの辺りには御蔵稲荷、陣屋稲荷がある。
陣屋稲荷は、ここにあった小杉陣屋の守り神として祀られていた。
  陣屋稲荷
子狐を抱いた狛狐
江戸時代初期、多摩川右岸の稲毛・川崎領に二ヶ領用水を、左岸に世田谷・六郷領に六郷用水を開削した時に小泉次大夫が設けた陣屋である。この辺りの町名「小杉陣屋町」の由来となっている。

西明寺
  川崎七福神「大黒天」
参道を入口左手に「小杉御殿跡」の碑がある。金剛力士像を安置する三門をくぐると左手に田中丘隅の歌碑がある。この歌は、二ヶ領用水を100年ほどたって補修する際に丘隅が、西明寺の門前まで来ていた流路を変えた。完成した後に西明寺の松に向かって、
                 後の世に残り手ことのはとならん 
                     松やちとせのひとにこたえて

                                    と、詠んだ。


西明寺の前のカギの道を通って小杉十字路に向かう。
 小杉御殿見取図「カギの道」

庚申塔
この庚申塔は「見ざる 聞かざる 言わざる」で知られる庚申信仰最盛期の江戸時代のもの。道標を兼ね、「東 江戸道・西 大山道・南 大師道」と彫られている。昔はここから出しへ向かった。


府中街道と交差する小杉十字路を過ぎ、二ヶ領用水を神地橋(ごうじばし)で渡る。

「ごうじ」と変わった名であるが「耕地」からの変化か、近くの春日神社の土地「神地(しんち)」が変化したものか、はっきりしない。昭和初期までは木橋であったという。

その先、右手に泉沢寺、左手に旧中原村役場跡がある。

泉沢寺は室町末期、世田谷から火災で焼失しこの地に再建した吉良氏の菩提寺である。かつては寺の周囲に「構堀(かまえほり)」と呼ばれる水堀があったという。
 
吉良氏は門前市を開き、夏の泉沢寺の市は、世田谷のボロ市と並び広く知られていた。

旧中原村役場跡は、(明治22)年6ヶ村が合併して中原村が誕生したが、村名は「中原街道」に面していることであった。そして村の両端からの中央であるこの地に役場を設置したという。


この先、武蔵中原駅までいくつかの庚申塔や地蔵が脇道や用水の交差点に建ち並んでいる。




井田堀との交差点には井田堀の陶板が歩道に埋められていた。井田堀は現在、暗渠となっている(右)。


南武線のガードを潜る。右手に武蔵中原の駅がある。
そのガードから250mほど進むと、右側に大戸神社がある。

大戸神社には砲弾を抱えた狛犬が置かれている。何故なのか、調べたが分からなかった。訪れた翌日が宵宮で、出店の準備をしていた。

この先千年へと進む。ここで、寄り道をして交差点を左折して橘樹神社に向かう。
橘樹神社は、日本武尊と弟橘媛を祀っている。近くには弟橘媛の御陵とされる富士見台古墳もあり、郡名、橘樹もここから来たといわれる。


丁度、宵宮の日であったため祭の飾り付けで多くの氏子さんが集まっていた。

富士見台古墳への案内が道筋に立っていたが寄らずに再び千年交差点に向かった。
千年交差点から旧道が残っている

旧道を入ってゆくとすぐにイヌツゲで生垣を施した屋敷林の家があった。昔はこのような屋敷林の農家が多くあったと聞く。

その後、新しい蔵構えの屋敷があった。


影向寺(ようごうじ)、能満寺、野川神社の順で回る。
影向寺付近に7世紀に大和政権の役所である郡衙(ぐんが)があったようだ。

影向寺
影向寺には国重要文化財指定の薬師如来と日光・月光菩薩像が安置されている。
縁起によれば、739(天平11)年光明皇后が、病気のおり、聖武天皇は夢のお告げで武蔵国橘樹郡橘郷に霊石のあることを知り、早速、高僧を使わし祈願したところ霊験あらたかで、皇后の病気も快癒した。そして、聖武天皇はこの地に伽藍がそびえたという。

聖徳太子は職人の祖として、篤く信仰されている。
 太子堂


能満寺
現在の本堂は、1739(元文4)年に建立され、内部には本尊の木造虚空菩薩立像(県重要文化財)や木造聖観世音菩薩立像が祀られている。
 
 不動堂

野川神社も翌日が宵宮ということで業者が屋台の準備をしていた。
 
 

野川神社から中原街道に戻る道を下ってゆくと金木犀の大樹が見事な花を咲かせていた。


野川交差点に出て第三京浜を潜る。時間的に早いなと思いながらも次の目標は第三京浜なのであっさり潜ってしまった。暫く行ってポカに気が付き再び野川交差点に戻る。やはり、第三京浜を潜るには早かった。
暫く進み矢上川を渡り、やっと横浜市に入る。横浜市都筑区である。

今度は間違いないところで第三京浜を潜る、道中坂となる。

鎌田堂

堂の背後に鎌田兵衛正清の館があったことから鎌田堂と呼ばれるようになった。
鎌田正清とは源頼朝の父源義朝に仕え、生死を共にした武将である。

道中坂下で旧道に入る。
右の道が旧道
 大棟におめでたい鶴亀の絵柄が

少々進むと右手に狭い石段がある。のちめ不動である。1864(文久2)年、のちめの住民が八王子から不動を背負ってこの地に祀ったという。


古道を暫く行く。中原街道と交差したところに地蔵像や百万遍供養塔群が祀られていた。

隣には山田神社の石の鳥居がそびえていた。

鳥居を潜り石段の参道を上ってゆく。参拝者がいないと見えて参道にクモの巣が張っている。
社は小高い丘の上にある。


勝田橋で早渕川を渡る。少し行くと二股になって旧道が現れる。
旧道に入る前に直進して関家に向かう。

関家は『新編武蔵風土記稿』にも載る旧家で、小田原北条氏に仕えた地侍で、江戸時代には代々名主をつとめたという。
 
主屋は17世紀前半以前、表門の長屋門は19世紀中頃の建物で、両方とも茅葺きの建物である。明治時代中頃より長屋門を2階建てにして養蚕をしていたという。国の重要文化財に指定されている。
建物を公開する日もあるようだ(詳しくは広報よこはま)。

旧道と分岐する二股まで戻る。

途中に都筑区消防署の訓練場があり隊員が大きな掛け声を出して訓練をしていた。


旧道すぐ右手に最乗寺がある。


旧道の上り坂を行くと左手に石段の参道がある。杉山神社である。
この辺りには多くの杉山神社がある。
 
『続日本後紀』によると武蔵国都筑郡に式内社(当時の国家の保護を受けた官社)があるという。それがどの杉山神社かは不明だという。そのようなこともあり、港北、都筑、緑区で22社祀られ、とても多い。

道はやや左に巻いて下っている。左側は先ほどの関家の屋敷のようだ。
旧道がマンションのビル群に突き当たる。港北ニュータウンに入った。
左手に行けば中原街道に行くが、右に大きく巻いて茅ヶ崎城址に向かう。

道をかなり遠回りしたようで横浜市営地下鉄センター南駅を通って茅ヶ崎城址公園の西側から進む。

茅ヶ崎城は14世紀末から15世紀前半に築城されたと推定されている。

室町時代には扇谷上杉氏(おおぎやつうえすぎし・足利尊氏の母方の叔父の家系)が、戦国時代には小田原北条氏が関与していたとみられる中世の山城。江戸時代に入ると、徳川氏の領地となり、村の入会地(共有地)として利用されていた。

平成17年より横浜市が整備を進め、平成20年より公開している。
以前はただの雑木林だったが、土塁、空堀、郭の跡がはっきり確認できる。
 空堀

第3日目は茅ヶ崎城址を最後に市営地下鉄センター南駅に向かう。
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