あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

やよいまつり2024

2024-03-04 11:06:31 | その他
南瀬谷小学校コミュニティ・スクール主催の「やよいまつり」が今年も開催された。




























回を重ねて26回目となったが、残念ながら年々参加団体が減少している。
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24旧正月

2024-02-10 00:00:00 | その他
2月10日は旧正月。
日本では旧正月の風習は薄れてきたが、中国、台湾、韓国、ベトナム、マレーシアなどでは春節やソルラルなどとして祝っている。






本来、元旦に投稿する予定だったが、地震や飛行機事故と大きな事故が続いたため延期した。
今年はどんな年になるのかな?
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新年(2022年)を迎える

2022-01-01 14:22:03 | その他
新年を迎え地元の神社に初詣に行く。








この神社は小さいながらこの地域では最も古い神社である。
寛永年間(1624~1643)に宮沢地区の開発を行った際に開墾と殖産の守護神として山王・稲荷の2神を勧請し、五穀豊穣や家内安全を祈願のために勧請した。
次に宮沢の鎮守である神明社に詣でる。
失礼だが、通常は殆ど人が寄り付かぬ神社である。
本殿の左手には「農耕の神」と「養蚕の神」を奉る祠がある














我が家の近くからの富士山



長屋門の門松


風もなく見事に晴れ渡り、富士山が美しく生えていた。
昨年は、「2020年」+「01年」と延期になったオリンピックの開催や前年から続いたコロナの蔓延で2020年を延長したような特徴無き年であったように思える。
今年はコロナの流行がなくなり皆が笑顔で暮らせる年であってほしいものだ。


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祈 あれから10年

2021-03-11 00:00:00 | その他





















     



























高田松原は、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り]、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であった。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅した。
しかし、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残った。

一人ひとりの3月11日がある



訪れた日:2014年秋
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飲料水メーカーのケーキプレゼント

2020-12-22 14:35:16 | その他


某清涼飲料水のメーカーがボトルに付いているリボンに当たり番号が出ると6種類のケーキのうち2種類がプレゼントされるキャンペーンが実施されている。
6種類とはストロベリー、ピーチ、カシス(ベリーの1種 直径1cmの赤黒い実)、モンブラン、チョコレート、マンゴである。

清涼飲料水5ケース120本購入してそのうち2本の当りがあった。


2本当たって籤運が良いか悪いかは解らぬが、意外と大きなケーキに喜んだ。

下のケーキは我が家が購入したもの。


今の世情の下、ささやかながら家族でクリスマスを楽しむ。
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「アリガトウ」の花壇

2020-07-03 10:22:05 | その他




新型コロナウイルス患者の治療にあたる医療従事者に感謝しようと地元の有志団体が6月29日立体花壇に「アリガトウ」の文字をアジサイの花で飾った。
花壇の大きさは縦1.2m、横8.5mで1,000鉢余の花で埋め尽くされている。

この病院は横浜寄港のクルーズ船の感染者を受け入れ、2月から対応に追われている。
また、隣接の企業のグラウンドに仮設のコロナ病棟、5棟180床を建設、神奈川県の医療体制の中核を担っている。

「アリガトウ」の花壇は7月5日迄の僅か1週間のみの設置ようだ。
皆さまご苦労様です。
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残してほしかった京急「仲木戸」の駅名

2020-03-13 00:00:00 | その他






JR「東神奈川」駅と隣接していながら、駅名が異なることで乗り換え可能な駅としてお客さまから十分に認知されていないことから、「京急」を冠したうえで同駅名とし、乗り間違いを防ぎつつ利便を高める目的から駅名が変更される。


という駅名に3月14日(予定)変更される。
しかし、「仲木戸」の名は付近に御殿の木戸があった歴史から来ている。

御殿とは
神奈川御殿 で、江戸時代初期に、現在の横浜市神奈川区神奈川本町におかれた徳川将軍家の宿泊施設(御殿御茶屋)である。
「新編武蔵風土記稿」には1610(慶長15)年に造営とある。「金川砂子」に御殿跡の絵があり、それによると東海道神奈川宿の往来から少し奥まったところ(熊野神社の近く)に9千坪の広さで造営されていた。
神奈川御殿は将軍が上洛の時に最初の宿泊地として使用していたが、三代将軍家光を最後に将軍が上洛することもなくなり、御殿は使われず1679(延宝7)年には、御守殿と御休息所、御上御台所の3ヶ所を残して、総て廃止された。その後その建物群も現在の埼玉県川口市にある金剛院に寄付された。
昭和の時代にはこの辺りを御殿町と呼んでいた。
京浜急行「仲木戸駅」名は、付近に御殿の木戸があったことからつけられた。

御殿の存在目的として単なる将軍の鷹や鹿狩りの休息場であったのだろうか、豊臣から徳川に変わったばかりの時代に将軍権力を象徴する砦や城郭と同類の位置づけではなかったかという見方もある。それを実証するように、御殿の周辺には土塁や空掘を設けて要塞化し、家臣屋敷などが立ち並んでいたと思われる。その後幕府の街道支配が強化される過程で消滅した。神奈川県に存在した、小杉御殿、藤沢御殿、中原御殿、然りである。

ということで、「仲木戸」の名が消えるのは寂しい。
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海上自衛隊の空母に乗る

2019-10-07 14:33:01 | その他
このほど空母化が決定された海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」が10月5日(土)、6日(日)の2日間、横浜港大さん橋国際客船ターミナルで一般公開された。
6日(日)は護衛艦「むらさめ」も公開された。

関内駅を降りて横浜公園内を歩いていくと、前日不甲斐ない負け方をして後がないベイスターズの練習風景が覗けた。


大桟橋に着いたのは10時半大勢の見物人が列をなしていた。時折濡れない程度の雨が降ってきた。




全長248m 幅38m 排水量(満載)26千トン




ヘリを収納

艦載機最大14機


1時間待って「いずも」に乗艦。
6月だったか首相と大統領が降りてきたエレベータに乗る。今回これが最大の期待であった。









船尾には旭日旗が掲揚されている。朝8時から日没まで掲げられている。
甲板はそれほど長く広いとは感じない。垂直発信の戦闘機だから可能なのだろう。


次は護衛艦「あさぎり」の見学、40分ほど待って甲板に立つ。







この銃器は62口径76mm速射砲 射程およそ16km





全長151m 幅17.4m 排水量(満載)6,100トン 哨戒ヘリ1機搭載


魚雷発射管





JKの1日艦長



前回の観艦式当日の横須賀港の風景。観艦式は本来3年に一度開かれるのだが、諸事情によりしばらく開催されていなかった。
令和元年、久々に10月の三連休に開かれる予定であるが、猛烈台風の接近によってどうなることになるだろう。


帰りも寄ってみた。節目にショーが開かれた。
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横浜小満んの会最終回を「長屋の花見」でかざる

2019-03-17 11:13:35 | その他
1994(平成6)年から横浜で続けてきた「横浜小満んの会」が3月16日、150回の節目で幕を閉じた。
会場は満席であった。




     1994(平成6)年正月に横浜小満んの会は始まり、四半世紀の永きに渡り続演された。
     初回の演目は「時そば」、「居残り佐平次」、「妾馬」の三席だった。
     それから100回目までは同じ演目はなかったという。
     実に少なくとも三百のレパートリーがあると云うことだ。
     時には関西落語の話もあったと記憶する。
     今回の落語の定石である「長屋の花見」は2回目に話されている。

100回の記念に撮らせてもらった
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「海軍道路」案内板が設置される

2017-04-12 16:50:43 | その他

2017年3月末に瀬谷区に走る「海軍道路」の案内板が設置された。
瀬谷の近代史を調べている団体「瀬谷・地図くらぶ」が行政に長年の要望をしてようやく実現した。
区民の中にはアメリカ海軍の通信基地の脇を通るのでその名がついたと思われていた。その誤りを正すためにも第二次大戦中に軍事基地がこの地にあったことを記して欲しい要望であった。
案内板は奇しくも、かつて海軍道路に走っていた畜電池機関車の蓄電池交換場所であったと当会の機関紙「横浜・瀬谷地図くらぶ瓦版」が紹介している。



畜電池機関車は瀬谷駅から現在の市立瀬谷中学校を通って、海軍道路を北上旧日本海軍施に弾薬・軍需物資を運搬していた。運搬距離およそ2,800m。

現在は桜の名所になっている。
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