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近代地図の基礎・土木遺産「相模野基線」を辿る

2018-12-27 11:15:39 | 散策
三角測量の基点となる「基線」の測量が相模野台地で行われた。1882(明治15)年のことであり、「相模野基線」と名付けられている。
相模野基線には「南端点」と「北端点」があり、この長さを三角形の一辺とする直線を基準にして、あとは角度から長さを測っていった。
「南端点」と「北端点」間は5km余りもあるので中間点を設けている。

南端点(住所:座間市ひばりが丘1丁目)
小田急線・南林間駅から西方へ20分弱、左手にスーパー「マルエツ」があり、鳥羽内科医院との間の路地をはいると医院の敷地内に置かれている。







(ひばりが丘1-5543-1の住所では行けない)

中間点(住所:座間市相模が丘2丁目20-41前道路)
小田急線・小田急相模原駅から西方へ「さがみの仲よし小道(さくら百華の道)」の東側脇道、徒歩15分
南端点と北端点のほぼ中間に位置している「相模野基線中間点」は、案内板北、20mほどの道路上のマンホール内に収まっている。











北端点(住所:相模原市南区4丁目10-14)
小田急線・小田急相模原駅北口から女子美大行き神奈中バスで10分余り「麻溝台中学校入口」バス停下車、
道路隔てて東側のさとう整形外科の裏手。なぜか南端点と同様医院の敷地にからんでいる。






(南区麻溝台4丁目2099-2の住所では行けない)

相模野基線は、2010(平成22)年、土木学会から土木遺産として推奨された。

関東大震災や2011(平成23)年の東北地方太平洋沖地震での地殻変動の観測でも役立つ現役である。
相模野基線からはじまって国内には、このような基線が15箇所に存在している。
その後、この起伏のない平らな地形の便は、戦時中には北部に陸軍が、南部には海軍の諸施設が設けられた。
そして、軍都計画が起こった。その完成目標は1960(昭和35)年のことだった。

訪れた日:2018.11.28
11.30
12.15