太田道灌が、菅原道真の霊夢を見て、1478(文明10)年江戸平河城内に天満宮を建立した。その後、徳川家康公が築城のため本社を平河門外に移し、1607(慶長12)年徳川二代将軍秀忠に依り、現在の地となり、地名を本社に因み平河町と名付けられた。
菅原道真を主神に相殿として徳川家康を祀っており、徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州藩徳川家、彦根藩井伊家の祈願所でもあった。
◆銅鳥居(千代田区指定有形民俗文化財)
高さ5m五メートルにおよぶ銅製鳥居で、1844(天保15)年に、麹町周辺の人々によって奉納された。千代田区内では最古の鳥居で八代目西村和泉藤原政時の製作である。鋳物師西村和泉は元禄から明治期まで十二代にわたって神田鍛冶町に居住した鋳物師の一家系を示し、江戸とその周辺に梵鐘、灯籠、水鉢等々多くの作品を残している。
◆狛犬(千代田区指定有形民俗文化財)
狛犬は、先代の狛犬がこわれてしまい1801(享和元)年に麹町周辺の人々によってあらたに奉納さるが、1850(嘉永3)年に火災で角や足を失い、1852(嘉永5)年に補修して再設置したと記録に残されている。
ただ、本社の狛犬は、「獅子」(右側)と「狛犬」(左側)との対のようである。
◆撫で牛・石牛(千代田区指定有形民俗文化財)
天神様のシンボルが梅であるが、同様に牛も天神様のトレードマークと云うことで、撫で牛が1体、石牛が4体境内に鎮座している。
なぜ牛が奉納されているのかは、祭神道真が丑年生まれと云うことのようだ。牛の耳元で願いごとを唱えながら、一番気にかかる箇所をやさしく撫でると、ご利益があると云われている。
◆力石
力石とは江戸時代から明治時代まで力試しが盛んに行われており、それに用いた石のこと。その由来は神霊が寄り付いた石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰にさかのぼると云われているが、やがて本来の意味を失い、娯楽として若者の力自慢の道具と見られるようになっていった。
◆筆塚
使い古した筆の供養のために、筆を地に埋めて築いた塚で、1852(嘉永5)年、菅原道真950年忌を記念して作成・奉納されたと神社の解説であるが、一方で筆塚とは寺子屋の師匠などをしのんで,教え子たちが建てた記念の碑を指している。筆子塚ともいう。
◆常夜燈
本来、常夜燈は左右一対で存在していたが、現存するのは一基のみである。
中台に菅原道真にちなんだ梅鉢の文様が装飾されている。
寄進者は区内にあった寺子屋の雲龍堂と龍海堂である。雲龍堂は、文政年間から文久年間(1818~1864)まで現在の麹町5丁目に生徒数は250名(男150名・女100名)の寺子屋として存在した。龍海堂は、1804(文化元)年現在の鍛冶町2丁目に開業し、読み書き・算術・活花を教え、生徒数は160名(男55名・女105名)であった。
◆百度石
百度参りを行うために使用される石標で、個人的な心願のため特定の神社に百度参詣を行うことで、最初は百日間にわたり毎日参詣する形であったが、のちには一日のうちに百度参詣する形に変化したと云われる。この百度石は背面に奉納者と思われる人名数から察して、何らかの結願の結果として1852(嘉永5)年建立・奉納されたようだ。
◆縁結びの梅
境内の梅の木には、ペアに実がなるそうで、恋愛成就には霊感あらたかだと云われている。
このようになると云うのだが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/24/035d1038dc1956ac3f3eb0e76fac7e95.jpg)
本社と亀戸天神社(江東区)、湯島天満宮(文京区)の三社を江戸三大天神とも呼ばれれ、関東三大天神となると、本社ではなく谷保天満宮(国立市)の三社となるようだ。
参拝した時は本殿の提灯に灯りがともる日暮れ時で、訪れる人もわずかであった。
そして、この神社を離れてすぐに豪雨が降り出し、しばらく駐車場の軒先を借りて雨宿りした。
訪れた日:2016.7.19