あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

海南神社例大祭神輿渡御2016

2016-07-28 14:37:34 | 神奈川民俗芸能

提灯に吊り下がった南部風鈴の音が蒸し暑さを吹き流してくれる




先頭を一本歯の天狗が従者を従えて歩き稚児が続く



山車2基も木遣の歌い手によって進行する






胴幕長さ30mの雄雌2頭のお練り獅子が続く


お練り獅子の後は神社神輿1基に続き町内神輿2基が渡御する。
 
神主により神事が執り行われる

神社神輿







入船地区神輿
入船(入舩)は海南神社の南側の地域







仲崎地区神輿
仲崎地区は入船地区の南で東に海を接する地域である。

数人の浴衣の歌い手の木遣によって神輿が運行する






三崎昭和館
6年前に空き店舗であった蔵造りの商家を利用して三崎の伝統芸能・チャッキラコ(国指定重要無形民俗文化財)の資料や昭和の生活資料を展示している施設である。
月々展示内容を代えており、今月は海南神社例大祭関連の衣装等を展示している。










京急三崎駅からバスで15分、乗客が多くひとバス待つ状態だった。道路も混雑しており所要の2倍かかって三崎港で下車する。その乗客殆どが三崎のマグロ目当ての客であった。
祭りの写真を撮っていても地域外と思われる人物はほんの数人と思われた。
神社の創建は今から1100年以上と云われるので祭りの歴史も古いと想像する。本来の祭りは海上渡御であったが事故が発生したため陸上となった。
祭りのファイナルは神輿の宮入りであるが、木遣の歌い手と神輿の担ぎ手の駆け引きで、以前は宮入りが翌朝にまで及んだこともあったと聞く。
この祭り、TVの「日本の祭り」で紹介されて伝統ある行事に老いも若きもエネルギーを発散させることを羨ましく思い訪れた。


訪れた日:2016.7.17

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平河天満宮に詣でる

2016-07-26 12:02:33 | 東京散策

太田道灌が、菅原道真の霊夢を見て、1478(文明10)年江戸平河城内に天満宮を建立した。その後、徳川家康公が築城のため本社を平河門外に移し、1607(慶長12)年徳川二代将軍秀忠に依り、現在の地となり、地名を本社に因み平河町と名付けられた。
菅原道真を主神に相殿として徳川家康を祀っており、徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州藩徳川家、彦根藩井伊家の祈願所でもあった。


銅鳥居(千代田区指定有形民俗文化財)
高さ5m五メートルにおよぶ銅製鳥居で、1844(天保15)年に、麹町周辺の人々によって奉納された。千代田区内では最古の鳥居で八代目西村和泉藤原政時の製作である。鋳物師西村和泉は元禄から明治期まで十二代にわたって神田鍛冶町に居住した鋳物師の一家系を示し、江戸とその周辺に梵鐘、灯籠、水鉢等々多くの作品を残している。




狛犬(千代田区指定有形民俗文化財)
狛犬は、先代の狛犬がこわれてしまい1801(享和元)年に麹町周辺の人々によってあらたに奉納さるが、1850(嘉永3)年に火災で角や足を失い、1852(嘉永5)年に補修して再設置したと記録に残されている。
ただ、本社の狛犬は、「獅子」(右側)と「狛犬」(左側)との対のようである。


撫で牛・石牛(千代田区指定有形民俗文化財)
天神様のシンボルが梅であるが、同様に牛も天神様のトレードマークと云うことで、撫で牛が1体、石牛が4体境内に鎮座している。
なぜ牛が奉納されているのかは、祭神道真が丑年生まれと云うことのようだ。牛の耳元で願いごとを唱えながら、一番気にかかる箇所をやさしく撫でると、ご利益があると云われている。


力石
力石とは江戸時代から明治時代まで力試しが盛んに行われており、それに用いた石のこと。その由来は神霊が寄り付いた石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰にさかのぼると云われているが、やがて本来の意味を失い、娯楽として若者の力自慢の道具と見られるようになっていった。


筆塚
使い古した筆の供養のために、筆を地に埋めて築いた塚で、1852(嘉永5)年、菅原道真950年忌を記念して作成・奉納されたと神社の解説であるが、一方で筆塚とは寺子屋の師匠などをしのんで,教え子たちが建てた記念の碑を指している。筆子塚ともいう。


常夜燈
本来、常夜燈は左右一対で存在していたが、現存するのは一基のみである。
中台に菅原道真にちなんだ梅鉢の文様が装飾されている。
寄進者は区内にあった寺子屋の雲龍堂と龍海堂である。雲龍堂は、文政年間から文久年間(1818~1864)まで現在の麹町5丁目に生徒数は250名(男150名・女100名)の寺子屋として存在した。龍海堂は、1804(文化元)年現在の鍛冶町2丁目に開業し、読み書き・算術・活花を教え、生徒数は160名(男55名・女105名)であった。


百度石
百度参りを行うために使用される石標で、個人的な心願のため特定の神社に百度参詣を行うことで、最初は百日間にわたり毎日参詣する形であったが、のちには一日のうちに百度参詣する形に変化したと云われる。この百度石は背面に奉納者と思われる人名数から察して、何らかの結願の結果として1852(嘉永5)年建立・奉納されたようだ。


縁結びの梅
境内の梅の木には、ペアに実がなるそうで、恋愛成就には霊感あらたかだと云われている。

  このようになると云うのだが



本社と亀戸天神社(江東区)、湯島天満宮(文京区)の三社を江戸三大天神とも呼ばれれ、関東三大天神となると、本社ではなく谷保天満宮(国立市)の三社となるようだ。
参拝した時は本殿の提灯に灯りがともる日暮れ時で、訪れる人もわずかであった。
そして、この神社を離れてすぐに豪雨が降り出し、しばらく駐車場の軒先を借りて雨宿りした。

          


訪れた日:2016.7.19

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丸ノ内の将軍塚

2016-07-24 14:59:18 | 東京散策
皇居のお堀が見えるビジネス街の一角に平将門の首を祀る塚がある。
平将門とは平安中期に於ける関東の豪族で、京都の朝廷に対し東国の独立を図り、自ら新皇(しんのう)と称した。このため関東諸国を巻き込む「平将門の乱」となったがわずか2カ月で平定され、将門も戦死しその首は平安京に運ばれ都大路でさらし首となった。獄門の最初の人物ではないかとも云われる。
その首が3日目に夜空に舞いあがって数カ所に飛んで行ったと云われる。そのひとつがこの地である。

ここの住民は長らく将門の怨霊に苦しめられるが、他阿(たあ)と云う僧侶が供養した。浅草の日輪寺の前身の念仏道場が建てられた。

塚は関東大震災で損壊した。その地に大蔵省の仮庁舎建設計画があったり、戦後はGHQが区画整理で移転計画もあったが、いずれも不審な事故が発生し取りやめとなったと云う。
そこには科学では割り切れない何かがあるのかも。
そのために、東京に一等地に今日まで残っているのかもしれぬ。同様なことは、羽田空港の鳥居にまつわる話もある。

と云うことで1307(徳治2)年から700年余もこの地に祀られている。

首塚の境内にはカエルの置物が奉納されているが、これは将門の首が平安京から関東に帰ってきたことで、必ず帰る(カエル)と云うことのようだ。事実1986(昭和61)年に発生した三井物産マニラ支店長誘拐事件ではカエルを祀って無事に帰って来た事実があって奉納が絶えないようだと云われる。



将門伝説は関東各地に伝承されているが、先週のテレビ東京の朝の番組「歴史の道」で青梅街道を歩いたが、ここでも将門伝説が紹介されていた。
「青梅」の地名自体が将門伝説から生まれている。青梅の金剛寺の梅の木は将門がこの地を訪れた際に馬の鞭に使われていた梅の枝を地に刺したものが根付いた。その木になった梅の実は何時までの赤くならずに青かった。そこで「青梅」の地名となった。
また、「将門神社」が創建は不明であるが、将門の子なる者が建てられている。


また、徳川四代家綱の時代、寛文年間(1661~72)この地は酒井雅楽頭(うたのかみ)の上屋敷中庭で、歌舞伎の「先代萩」や山本周五郎原作「樅の木は残った」で知られる伊達騒動で原田甲斐(1619~71)が殺害されたところでもある。

上屋敷中庭と書かれている案内板がたつ



訪れた日:2016.7.19

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三崎海南神社例大祭 お練り獅子

2016-07-19 12:04:28 | 神奈川民俗芸能











うみの図                              天の岩戸の図


三浦三崎港近くに1150年前に建立された海南神社夏の例大祭が海の日前の土・日曜日に開催された。
ここの祭りの特徴は雌雄2頭の獅子が先導することと木遣歌によって祭りが進行することである。


本宮 866年この場(花暮)に祠が6年後に海南神社社殿が建てられる

祭りは2日間行われ、初日は宮出しして町内を回り、祭神が上陸された御座の磯海に設けられた仮宮(お仮舎)で終了する。
訪れたのは2日目で仮宮から町内を回り宮入りをする。



行導獅子
雌雄2頭のお練り獅子が悪魔はらいをつとめる。神輿と獅子は神社の社殿と狛犬の関係に当たると云う。



獅子の胴にあたる幕は長さ30mにも及び、その幕を両側を持って木遣歌に応えて威勢よく行動する。






">
細い路地にも()、民家の家の中にも()入って行く。






時には坂道を駆け上がることもあった。動きが激しいので殆どが若い衆が受け持っている。そして時にはアクシデントも発生する。








訪れた日:2016.7.17

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七夕灯篭祭り 2016

2016-07-05 14:46:46 | 長屋門公園
















     



          




















相鉄線・三ツ境駅から長屋門公園までのプロムナードに今年も880基の灯篭が灯された。
昨年までは東日本震災復興祈願と銘打っていたが、今年は残念ながら熊本が加わってしまった。

三ツ境商店街では海老名で活動されているグループによる「越中おわら節」の唄と踊りが披露され華を添えた。


 
 






訪れた日:2016.07.03

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