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横浜から一直線 川越の寺と神社

2018-10-26 15:18:34 | 観光
川越の寺と神社

横浜から東急・東横線――東京メトロ副都心線――東武東上線の路線で直通電車を利用して78分。そのまま座っていける便利さはありがたいものだ。これを広域鉄道の「ネットワーク化」と云うそうだ。





 
交通はフリー乗車券を利用


喜多院(慈恵堂)

平安時代の天台宗の僧・良源を祀る。良源は元三大師(命日から生まれた名前)、角大師(伝説の姿から生まれた名前)、慈恵大師(朝廷から贈られた名前)とも呼ばれることから喜多院は川越大師の別名でも知られる。
また、良源は「おみくじ」の創始者とも云われている。

山門


慈恵堂(本堂)


慈眼堂〔天海(慈眼大師)をまつる御堂。徳川三代将軍家光の命によって建てられた〕



喜多院は1638(寛永15)年の川越大火により山門を除き全焼。家光が再建の際江戸城の別殿を移築したことで「春日局の化粧の間」や「家光の誕生の間」が存在する。
春日局はお福と云い、明智光秀の重臣斉藤利三の娘であった。将軍家の乳母として江戸城に上がり、大奥の体制を築いた。化粧料として神奈川県の海老名市、綾瀬市、藤沢市にまたがる3,000石の領地を下付される。


五百羅漢
日本三大羅漢のひとつ。天明・文政年間のおよそ50年間にわたり建立。
羅漢とは仏教に於いて最高の悟りを得た、尊敬や施し受けるに相応しい聖者のこと。阿羅漢とも云われる。


川越熊野神社




当社は、室町時代に紀州熊野本宮大社から分祀された開運・縁結びの神社。

境内には「宝池」と呼ばれる池があった。その宝池と水源が同じ井戸より水を引き、その水で金銭を洗い清め同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢(じんこう・よごれのこと)が消え清浄の福銭になる。



川越氷川神社
太田道灌以来、川越の総鎮守とされ歴代川越藩主の篤い崇敬を受けた。
夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ2014(平成26)年から始まった祭事「縁むすび風鈴」で賑わう。 なお、川越市内に氷川神社は当社を含めて14社ある。

扁額の社号は勝海舟が記したもの


風鈴回廊








「恋あかり」夏の限定イベント



時の鐘
木造で3層のやぐらで高さは約16m、城下の頃の面影を残す建造物である。1日4回、現在も鐘は鳴る。
約400年前、当時の川越藩主によって創建されたといわれる。以来度重なる火災で鐘楼や鐘が焼失したが、建て替えられ現在のは四代目に当たる。
その鐘の音色は、小江戸川越の情緒をたっぷりと味合わせてくれる趣を感じさせると云う。










しあわせ稲荷
なぜか「しあわせ稲荷」と呼ばれている本宗神社。
明治の初めに笠間稲荷大神を勧請した。








小江戸の町並み
度重なる大火のため、火事に強い建物として江戸の町では土蔵造りが流行した。江戸と結び付きが強かった川越でも、蔵造りの商家が建つようになる。 現在の蔵の多くは、明治の中頃発生した川越大火以降に建てられたもので、今も30数棟が残る。







川越まつり会館
国の重要無形民俗文化財である「川越まつり(川越氷川祭)」は毎年10月14日に斎行される。
「例大祭」、直後に行われる「神幸祭」や「山車行事(祭礼)」から成り立っている。



 



菓子屋横丁
「菓子屋横丁」は明治の始め頃、養寿院の門前町として栄えるこの町で、江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まりといわれている。その後、関東大震災によって被害を受けた東京に代わって、製造供給を賄い、昭和初期には70軒以上の店があったといわれている。現在では20軒ほどの町並みである。






訪れた日:2018.8.21

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