正式名称は神田神社と称し、1300年近くの歴史をもつ神田明神。
神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神であり、神田祭が行われ全国的にその名が知られる神社である。
江戸時代、神田祭は山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭のひとつで、36台以上の華麗な山車が江戸城に入り、将軍をはじめ大奥の女性に至るまでが上覧した。江戸城中に入ったことで、「天下祭」と言われる。
2年に1度の開催の神田祭は、前回、2011年は東日本大震災の影響で、予定されていた「神幸祭」や「神輿宮入」が中止となったため、ことし、2013年は4年ぶりとなる。
5月12日(日)の神輿の宮入には、氏子町会神輿100基余りが次々と神社へ練り込み宮入参拝する予定。これぞ江戸の祭りという最大のイベントを迎える。「神田っ子」の熱気と興奮が最高潮に・・・。
●神楽殿
●百度石
お参りの回数を間違えぬよう20度お参りする毎に百度石に五色紙垂(右の写真)を一色づつお供えして、五色で百度参り。
●神馬・神幸(みゆき)号
今年の5月で3歳、人間の年齢で12歳。明るく平和な世の中であることを願い神田明神の「明」をとって「あかり」という愛称。
●おみくじ
古代においては国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在のおみくじ(神籤)の起源とされている。
●銭形平次
神田明神といえばこの人物を忘れてはいけない。神田明神下に住む岡っ引の平次こと銭形平次である。子分のガラッ八(八五郎)と共に卓越した推理力と寛永通宝による投げ銭を駆使して、事件を鮮やかに解決していく有名な捕物帳がある。
作者は野村胡堂。1931(昭和6)年、文藝春秋発行の「文藝春秋オール讀物号」創刊号に銭形平次を主人公にした『銭形平次捕物控』の第1作目が掲載され、以降第二次世界大戦を挟んで1957(昭和32)年までの26年間、長編・短編あわせて383編が発表された。
時代背景は初期は寛永期(1624~45年、江戸初期)であったが、第30話から文化文政期(1804~30年、江戸後期)に変わっており、江戸時代ではあるが、いつごろかは定かではないようだ。
我々世代前後の者は知らない人はいないだろうと云うほどの超有名人であり、この小説を基にした映画、テレビの時代劇、舞台作品は数々あり、多くのスターが平次を演じている。映画では、長谷川一夫、テレビでは、大川橋蔵が特に有名だ。
平次は架空の人物であるが、小説の設定から境内には銭形平次の顔出し看板も設置されており、平次の碑も建立されている。
●境内の末社めぐり
春秋の彼岸の中日に一番近い戊(つちのえ)の日に詣でて、五穀豊穣・身体健康を祈る信仰がある。
この時、石の鳥居を7つくぐってお参りすると、中風・ぼけ封じにもなるという古くからの信仰と慣習がある。
籠祖神社
籠祖(かごそ)神社は、1795(寛政7)年、籠職人及びつづら職らの事業の商売繁盛招福開運の御利益を願う神として神田明神境内に創建。
末廣稲荷神社
創建年代は不詳であるが、1616(元和2)年頃と、極めて古い神社とされる。むかしより、庶民信仰が篤く、霊験あらたかな出世稲荷さまとして信仰される。
金刀比羅神社
1783(天明3)年、豊嶋郡薬研堀(現在の東日本橋2丁目)に創建され、隅田川の船人から守護神として信仰された。むかしは、隅田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食業、遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めている。
元は独立の神社であったが、1966(昭和41)年、宗教法人を解散して現在地に遷座、神田明神の末社となった。
三宿神社
創建年代は不詳であるが、江戸時代より神田三河町の氏神として奉斎され、後に神田明神神主の邸内に祀られていた内山稲荷社と合祀され、神田明神の末社となった。
浦安稲荷神社
もとは、江戸川平川の河口に近い一漁村の住民により祀られ、天正年間(1573~92年)徳川家康入府の際に、鎌倉町の成立と共にその守護神として勧請されたが、1843(天保14)年の江戸城拡張に伴い神田明神内に遷座した。
さらに明治維新及びその後の戦火災に依り復興できぬ内神田稲荷5社を合祀している。
大田市場 江戸神社
702(大宝2)年に豊島郡江戸に創建された「江戸最古の地主神」である。鎌倉時代には江戸氏の氏神として崇敬された。太田道灌の江戸城築城後は城内にて祀られていたが、1603(慶長8)年の江戸城の拡張の際に神田神社境内に遷座した。
大伝馬町 八雲神社
江戸時代以前に創建されたと伝えられる。祭礼の際に大伝馬町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。大伝馬町天王と称されていて、江戸時代には他の天王様と共に大変な賑わいのひとつであった。
明治の神仏分離により素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする、八雲神社に改称した。
小舟町 八雲神社
神田明神とともに元は江戸城内にあった。祭礼の際に小舟町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。明治以前は、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行所・日本橋橋上に神輿を安置し、祈祷が行われた。
日本橋魚河岸 水神社
日本橋魚河岸の守護神として創建され、元和年間(1615~24年)に神田明神境内に遷座し、大市場交易神と称したがその後、水神社と改称し更に1891(明治24)年、魚河岸水神社と社名を変更する。
●痛絵馬
●今が盛りの藤棚
関連 : 神田川 お茶の水界隈を歩く
: 神田を歩く
神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神であり、神田祭が行われ全国的にその名が知られる神社である。
江戸時代、神田祭は山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭のひとつで、36台以上の華麗な山車が江戸城に入り、将軍をはじめ大奥の女性に至るまでが上覧した。江戸城中に入ったことで、「天下祭」と言われる。
2年に1度の開催の神田祭は、前回、2011年は東日本大震災の影響で、予定されていた「神幸祭」や「神輿宮入」が中止となったため、ことし、2013年は4年ぶりとなる。
5月12日(日)の神輿の宮入には、氏子町会神輿100基余りが次々と神社へ練り込み宮入参拝する予定。これぞ江戸の祭りという最大のイベントを迎える。「神田っ子」の熱気と興奮が最高潮に・・・。
●神楽殿
●百度石
お参りの回数を間違えぬよう20度お参りする毎に百度石に五色紙垂(右の写真)を一色づつお供えして、五色で百度参り。
●神馬・神幸(みゆき)号
今年の5月で3歳、人間の年齢で12歳。明るく平和な世の中であることを願い神田明神の「明」をとって「あかり」という愛称。
●おみくじ
電動の獅子舞おみくじ
古代においては国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在のおみくじ(神籤)の起源とされている。
電動の獅子舞おみくじのご利益は?
●銭形平次
神田明神といえばこの人物を忘れてはいけない。神田明神下に住む岡っ引の平次こと銭形平次である。子分のガラッ八(八五郎)と共に卓越した推理力と寛永通宝による投げ銭を駆使して、事件を鮮やかに解決していく有名な捕物帳がある。
作者は野村胡堂。1931(昭和6)年、文藝春秋発行の「文藝春秋オール讀物号」創刊号に銭形平次を主人公にした『銭形平次捕物控』の第1作目が掲載され、以降第二次世界大戦を挟んで1957(昭和32)年までの26年間、長編・短編あわせて383編が発表された。
時代背景は初期は寛永期(1624~45年、江戸初期)であったが、第30話から文化文政期(1804~30年、江戸後期)に変わっており、江戸時代ではあるが、いつごろかは定かではないようだ。
我々世代前後の者は知らない人はいないだろうと云うほどの超有名人であり、この小説を基にした映画、テレビの時代劇、舞台作品は数々あり、多くのスターが平次を演じている。映画では、長谷川一夫、テレビでは、大川橋蔵が特に有名だ。
平次は架空の人物であるが、小説の設定から境内には銭形平次の顔出し看板も設置されており、平次の碑も建立されている。
●境内の末社めぐり
春秋の彼岸の中日に一番近い戊(つちのえ)の日に詣でて、五穀豊穣・身体健康を祈る信仰がある。
この時、石の鳥居を7つくぐってお参りすると、中風・ぼけ封じにもなるという古くからの信仰と慣習がある。
籠祖神社
籠祖(かごそ)神社は、1795(寛政7)年、籠職人及びつづら職らの事業の商売繁盛招福開運の御利益を願う神として神田明神境内に創建。
末廣稲荷神社
創建年代は不詳であるが、1616(元和2)年頃と、極めて古い神社とされる。むかしより、庶民信仰が篤く、霊験あらたかな出世稲荷さまとして信仰される。
金刀比羅神社
1783(天明3)年、豊嶋郡薬研堀(現在の東日本橋2丁目)に創建され、隅田川の船人から守護神として信仰された。むかしは、隅田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食業、遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めている。
元は独立の神社であったが、1966(昭和41)年、宗教法人を解散して現在地に遷座、神田明神の末社となった。
金刀比羅神社・三宿神社合祀
三宿神社
創建年代は不詳であるが、江戸時代より神田三河町の氏神として奉斎され、後に神田明神神主の邸内に祀られていた内山稲荷社と合祀され、神田明神の末社となった。
浦安稲荷神社
もとは、江戸川平川の河口に近い一漁村の住民により祀られ、天正年間(1573~92年)徳川家康入府の際に、鎌倉町の成立と共にその守護神として勧請されたが、1843(天保14)年の江戸城拡張に伴い神田明神内に遷座した。
さらに明治維新及びその後の戦火災に依り復興できぬ内神田稲荷5社を合祀している。
大田市場 江戸神社
702(大宝2)年に豊島郡江戸に創建された「江戸最古の地主神」である。鎌倉時代には江戸氏の氏神として崇敬された。太田道灌の江戸城築城後は城内にて祀られていたが、1603(慶長8)年の江戸城の拡張の際に神田神社境内に遷座した。
大伝馬町 八雲神社
江戸時代以前に創建されたと伝えられる。祭礼の際に大伝馬町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。大伝馬町天王と称されていて、江戸時代には他の天王様と共に大変な賑わいのひとつであった。
明治の神仏分離により素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする、八雲神社に改称した。
小舟町 八雲神社
神田明神とともに元は江戸城内にあった。祭礼の際に小舟町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。明治以前は、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行所・日本橋橋上に神輿を安置し、祈祷が行われた。
日本橋魚河岸 水神社
日本橋魚河岸の守護神として創建され、元和年間(1615~24年)に神田明神境内に遷座し、大市場交易神と称したがその後、水神社と改称し更に1891(明治24)年、魚河岸水神社と社名を変更する。
●痛絵馬
●今が盛りの藤棚
神田明神 スチャラカチャン チャンチキおかめの笛太鼓!
やくざ若衆祭り唄/歌・美空ひばり(東宝映画『ロマンス娘』)
関連 : 神田川 お茶の水界隈を歩く
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