秋の京都御所一般公開
毎年展示が変わっており、今回は「五節(ごせち)舞姫」(2体)、「管弦(かんげん)」(5体)が飾られている
御所の歴史
京都御所は、鎌倉時代中期から1869(明治2)年の東京行幸まで歴代天皇の居所・執務所であった。
天皇が東京の皇居に移った後は、明治天皇が『京都御所を保存し旧観を維持すべし』と当時の宮内省に命じ、1877(明治10)年保存された。明治以降は京都皇宮(きょうとこうぐう)とも称される。
元々、平安京での正式な皇居は平安京の中央部付近に位置する内裏(現在のJR嵯峨野線・二条駅近くの千本丸太町交差点北辺り)であったが、1331年(元弘元)年、内戦などによって荒廃したため里内裏(さとだいり・平安宮以外の天皇の邸宅のこと)に移った。
現存する建物のほとんどは江戸時代末期の1855(安政2)年、平安様式に習って再建されたもの、それまでは数度となく火災により焼失している。
また、1945(昭和20)年、建物疎開によって建物の半数近くが解体されている。
築地塀(ついじべい・泥土をつき固めた塀)で囲まれた京都御所の敷地は11万平方メートル(約3.3万坪)である。
即位の礼
即位の礼は代々京都御所の紫宸殿で行われ、明治維新後も旧皇室典範により、京都で執行されるよう定められており、大正・昭和天皇は京都御所で一連の儀式を行った。
第二次大戦後の皇室典範では場所の規定がないため、1990(平成2)年の今上天皇の即位の礼は東京で執り行われた。
紫宸殿
即位の礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿。入母屋桧皮葺きの高床式宮殿建築で、中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その右に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている。前面の庭には「左近の桜」、「右近の橘」が植えられている。
建礼門
御所正面入り口の門。切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、開門されるのは天皇や国賓の来場など特別な行事が行われると時のみ開場する。この門を入り、朱に塗られた承明門(じょうめいもん)を潜ると正面に紫宸殿がある。
御池庭
池を中心とした回遊式庭園である。前面は州浜で、その中に舟着きへの飛石を置いてある。
清涼殿
平安時代では、天皇の生活の場として使用されていた御殿で、入母屋桧皮葺きの寝殿造り。日常の御殿なので、襖などの間仕切りが多くなっている。
ただし、清涼殿も次第に儀式の場として使用されるようになり、16世紀末ごろから清涼殿に替って御常(おつね)御殿が日常の場となった。
御内庭
御常御殿前にある庭で、土橋や石橋を架かっている。奥には茶室を構えている。
京都御所の公開は、春秋の特別期間を除いて、事前予約によって平日に入場できる。
また、今回の秋の一般公開は、国民文化祭の京都開催にあたって7日間とこれまでの5日間より長くなっている。
皇女和宮生誕の地
生誕の地(橋本家跡)は御所東側の京都御苑にある。御所の周りを歩いていて見つけた。ほかに、学習院跡もあった。
1846(弘化3)年、孝明天皇の妹和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)は、橋本実久(さねひさ)の娘典侍(ないしのすけ)の経子(つねこ)を母として生まれ、14年間この橋本家で養育された。公武合体政策を進めるため、十四代将軍家茂へ嫁いだ。明治維新後、和宮は徳川慶喜(よしのぶ)の助命にも尽力した。1877(明治10)年、療養先の箱根で没し、増上寺の徳川家茂の墓に並んで葬られている。
芝大門・増上寺の皇女和宮の墓
お薦めのお寺
永観堂 禅林寺 【みかえり阿弥陀】
『永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげ、ふりむかれております。ほんの少し開かれたお口。顔全体にただよう穏やかな微笑み。阿弥陀さまの慈悲のかたちがこれほど具体的にあらわされている佛さまは例がなく、「みかえり阿弥陀」と呼ばれて、広く知られています。』とリーフレットに書かれている
みかえり阿弥陀ははにかんだ若い女性の姿に思えた。
映像がないのが残念だが、一度その姿を拝見したらファンになることうけあいである。
お薦めのレストラン
茶ろん上七軒
上七軒歌舞練場の建物内にある。特別変わった料理はないが自家製のハンバーグはイチオシ。
歌舞練場ということで芸妓さんの写真入りのストラップが販売されている。
食事をした「さろん 上七軒」と「上七軒歌舞練場」の建物
平野屋
夜の食事は、今回
丸山公園前の300年の歴史ある「いもぼうの平野屋」で、
ここは古くから文人墨客に親しまれており、川端康成の「古都」にも出て来る。
いもぼうは京野菜のひとつ海老芋と棒鱈を一緒に炊いた料理。
格安旅行
今回は、JR東海の新幹線+2泊セットで京都を旅したが驚くほどの格安旅行が出来た。それでいて「るるぶ」で泊まりたいホテルに名を連ねるホテルに宿泊できた。
この秋京都に行く方は、JR東海に検索を!そして「そうだ京都、行こう」
夜の散策
八坂神社近くの花見小路、先斗町に木屋町通、修学旅行生の行く新京極、ひとつ先の寺町通などなど。
また、清水寺や高台寺のライトアップも一考。
この映像では綺麗に紹介できないが池に映る木々が神秘的だ吸い込まれるような錯覚を感じた
最近TVでも紹介されたようだ
お地蔵様
郊外だけではなく市内の至る所にお地蔵様が祀られている。
この2体のお地蔵様は、ある生命保険のビルの壁に祠が埋め込まれている。
花が植えられ、綺麗に掃除されている。信仰の厚いことに頭が下がる。
関東圏、横浜のこの辺りではお地蔵様よりも道祖神や庚申塔が目に付くが、それも区画整理で移転させられてまとめられている。戸塚駅前の再開発整理で妙見様の移転場所が決まらないで宙に浮いていることも聞いた。
十数年ぶりの京都の旅ということで、ポピュラーなコースを選択した。
50年前に修学旅行で泊まった三条京阪前の旅館も健在だった。
40年前に泊まった祇園・一力の裏手にある宿もまだ残っていた。
若き日々のかけらが京の初秋に残っていた