あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

富士山に挑戦 リーダー中ちゃんとチームひよこ 2015

2015-08-10 17:21:49 | 富士山
 
小4の孫の級友が富士山に登った体験があるので、自分も登りたいと話すので付き添いとして2度目の妻と初めての私が富士山頂に挑んだ。
「富士山保全協力証」缶バッチの色は、今回登った山梨県吉田ルートは「黄」、静岡県富士宮ルートは「青」、御殿場ルートは「緑」、須走ルートは「赤」と分れている。
      

先ずは、登山の安全と登頂祈願に小御嶽神社にお参りをする。
          
ツアコンと中ちゃんこと中林義晴さん(右)。
重量検査があって、ボトル(500ML)×2本以上持参した者は提出した。このボトルどうするかと思ったら、中ちゃんが運んでくれると云う。運んでくれるのだったら事前にローカーに置いてきたボトルを持ってくればよかったと悔やむ。
  
   

           
ツアーで一緒になった40余名の「チームひよこ」のメンバー。うち4割近くが若い女性なのには驚く。「チームひよこ」のネーミングは、靴に付けたリボンが黄色でゆっくり登ることから名付けられた。
関西から両親と参加した看護師さんのマスコット「ニャン太郎」。偶然なのか名札に「ひよこ組」と書かれている。
           

          
元気いっぱい山頂めがけて「絶対に登るぞ」と気合をかける。

 
12:20 いよいよスタート。チームひよこでは最年少者と最高年齢者の我々は中ちゃんリーダーのすぐ後ろに位置し、とてもラッキーであった。
5合目の観光地から登山道にはいる。
「泉瀧」は参詣者が水行した場所で、ここで身を清めて登山を開始した。
          

 
佐藤小屋経由の吉田口ルートとの分岐点。右へと進む。 

 
シェルターを通って13:10六合目に到着。途中2度ほど小休止、このシェルターの場所では1980(昭和55年)に八合目から六合目にかけて大規模な落石事故が発生、12名の尊い生命が失った。
          
六合目には安全指導センターが置かれている。それだからか、段差の歩き方を実践で説明された。これからが本格的な登山道。
 

 

          

 

 
3回ほど休憩してジグザグの道を上がって15:05に七合目に到着。この間常に中ちゃんからは呼吸をしっかり整えろ、段差を大きく上がったところは深呼吸を、姿勢をしっかりと声が飛んでくる。
休憩でベンチに座ると一気に力が抜けって行った。登山もここまでかと感じたが、ここの休憩時間が長かったことが助かった。再び力が湧いてくる。まだまだ行ける。
孫も疲れてきた。本人は云わなかったが眠くなってきていたようで、これも一種の高山病の兆候と本人は感じていたようだ。
チームひよこのメンバー内にもバテ気味者が出てきて、我々の前に立つ人が現れた。
七合目には7軒の山小屋と救護所がある。七合目の休憩でベンチに座ると一気に力が抜けていく自分がいた。もう登れないと感ずる。だが、この休憩が長かったので、再び力が戻ってきた。ラッキー。
16:20七合目最後の小屋・東洋館を通過する。
          

          
                
着物を着た登山者の写真が小屋に貼ってあった。何時ごろなのか?私の母も着物で富士山に登ったと聞く。
頂上まではまだ4時間余り、まだまだ遠い。
           

 
1回休憩があって、17:25八合目に到着。   
           
八合目白雲荘に18:20に通過、進みが遅くなっている。休憩して灯りの用意をする。
この上に、本八合目があって目的の八合五灼の御来光館は更に上である。まだ遠い。
            

19:50御来光館に到着。
小屋の中を見渡すと外国人ばかり、人気があるのだな。ここに来る間もツアーを追い抜く外国人がたくさんいた。外国人は心肺能力が優れているからだと中ちゃんが話す。
実に7時間30分の長丁場、ガイドブックの所要時間では4時間となっているので、倍近くかかったことになったが、それだからこそ落後者も出さずに到着出来たのである。
ツアーガイドの中ちゃんに感謝する。
このツアーは八合目以上の宿泊が条件となっていたが、山小屋で一番高い位置にある御来光館(3,450m)での宿泊は申し分ない。翌日の登頂が楽になるようなツアーを選んで正解だ。
 
生野菜付きのハンバーグ夕食を半食するが、孫は手に付けられないほど疲れていた。
21時消灯だったが、階段付近だったからか、消灯しないため明るく眠れずに時間が過ぎるだけであった。
深夜2時近く、ゴソゴソ動く音で目を覚ます。3時間ほどの睡眠だ。

2:30小屋をスタート。
Tシャツの上に山用の薄いアンダーシャツ、冬のカッターシャツ、それに上下の雨具で防寒体制。動いている時は前のファスナーを開けて歩くほどの状況だった。
九合目の鳥居に3:00、長時間休憩となった。
3:30スタート、頂上はすぐそこ。夜空を眺めて流れ星をと云うが、孫は見たようだが、見ることが出来なかった。
          

          
4:00最後の鳥居をくぐり、4:05中ちゃんとハイタッチ。ようやく山頂だ。ご来光までは十分時間がある。
空気が澄んでいて今シーズン1~2の素晴らしい日の出になるよと。今シーズン9回目の添乗員さんも全て日の出を眺められたほどの晴れ男と話しているが、私も他人が認めるほどの晴れ男、素晴らしい御来光を期待出来そうだ。
          
          
          
          
          
           
すぐに10余人ほどのお鉢巡り組と分れる。
4:46日の出となる。この日の山頂の気温は、4時で5.8度、5時で5.7度のようだったがそれほど寒さを感じなかった。薄いダウンも持って行ったが不要、これも風がなく天候に恵まれたからだと思う。
外国人夫婦からカメラ撮りを頼まれた。逆光なのでフラッシュのセットを教える。少々戸惑ったが無事撮影。女性から「ダンケ」と云われた。これも国際親善。

神社や土産物屋をまわって火口を覗いて5:40下山を開始する。その時、お鉢巡り組は真正面の剣が峰を歩いているとの連絡があった。
 
          
 
間もなく、御来光館でストップした人を添乗員が迎えにゆく。その間我々は防寒着を脱ぎ薄着に戻った。
6:20再スタート、細かな火山弾石の道を下る。6:40下江戸屋分岐に到着。
須走口に迷わぬよう、ここまでは同行、その後は小グループでスバルライン5合目まで下山する。
我がグループは30分に一度程度3回休憩をとりながら、滑り、滑りながら9:50無事に戻った。
小屋で用意した朝食のシャケ弁も食べず、私は前日昼食用の5個入りのあんパンの残りを出発に1個、頂上で1個食べたにすぎない。孫にあっては食欲がなく、頂上での缶入りのコーンスープのみ。これでスタミナがよくあった。
水分はと云うと500ccボトル各人2本と3人であと2本を購入した。
 
ツアー客全員が無事に下山した。但し迎えのバスが1時間遅れ。
5合目を12:00出発、中ちゃんとお鉢巡りのガイドが見送ってくれた。一路、温泉と昼食に。

     
山頂までの登頂は全く自信がないままの参加であった。ある大手のツアーに申し込んだのだが、参加者が集まらず中止。富士山が噴火するのではと云う風評による影響であろう。次も大手に申し込む。横浜発の横浜着だったはずが参加者不足からかこれも東京着に変更と、我々も風評被害者になった。世界遺産受賞年に登った妻からは今回の登山者は半分だと話す。
結果オーライで全て良しとなり、楽しくも苦しいツアーであった。
同行されたみなさんお世話様でした。最前列に並び失礼しました。
富士山登頂の翌日、私はまたひとつ年を重ねた。どなたの言葉か「自分で自分を褒めてやりたい。」と思う登山であった。
当然、小4の孫もだ。
        
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富士山の山開きに

2011-07-01 17:04:25 | 富士山
               今日、7月1日は富士山の山開きである。
               ことしも多くの登山客が押し掛けたと思われる




富士信仰、現在では富士登山はレジャーと認識されているが、富士山は信仰の対象でもあった。

横浜市泉区岡津町にある導向寺の裏山に富士塚がある。
中腹には「ゑぼし岩」と「食行身禄」の文字が刻まれた富士講碑がある。1840(天保11・篤姫が6歳の頃)年にたてられている。

      

ゑぼし岩とは富士山の8合目にある烏帽子岩(当時は7合5勺と云われている)を指しており、食行身禄(じきぎょうみろく・1671(寛文11)~1733(享保18)年)が断食行を行い、35日後に即身仏となった場所である。
身禄とは救世主、教祖的な存在であり、戦国時代に発生した富士講は食行身禄によって発展した。
文化・文政期(19世紀初期)には「江戸八百八講」と呼ばれるまでにもなり、あちこちに富士塚と呼ばれる小型の富士山が築かれた。富士塚は通常行けない庶民が信仰の対象とし、実際に富士山に登らなくても、富士登山の功徳が得られるとされた。

                     
                  富士吉田口三合目「三社宮」の食行身禄師像2010.8


              
               五合目河口湖登山口2010.8 
             
なお、ことしは東日本大震災を受けて、「がんばろう 東北」と手書きのTシャツを着た登山者もいて、御来光が雲の切れ間から見えると、祈りをささげていたとのことだ。

              
               河口湖五合目より富士山頂2010.8

               
       昨シーズン、山梨県側からの登山者は、26万人近くと過去最高であったそうだ。
       8月末までの夏山シーズン、無理のない登山計画で事故がないことを望みたい。
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今日の富士山 3.18

2011-03-18 11:47:39 | 富士山
           
                                       39K004Mポイント地点にて

                日本人のパワーの源 富士山と東海道新幹線
                   昨日は山頂に雲がかかっていたが今日は快晴
                     日本も早く快晴の世になって貰いたい
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富士山吉田口歴史の道 三軒茶屋

2010-09-05 10:28:14 | 富士山
歴史の道 吉田口登山道


1996(平成8)年 北口本宮冨士浅間神社を起点とした吉田口登山道は文化庁選定「歴史の道 百選」に選ばれる
登山道は浅間神社から馬返しまでを「草山三里」と呼び 馬返しから森林限界の五合目までの木々が生い茂る道を「木山三里」 その先頂上までの焼石の道を「焼山三里」と称される

三合目 三軒茶屋
三合目は見晴茶屋と蜂蜜屋の茶屋と三社宮があった

        


見晴茶屋と蜂蜜屋の茶屋


「見晴茶屋」の看板が立てかけてある




ショーケースの中に提灯が置いてある 提灯で富士登山は何時頃の時代か それとも他の目的で提灯を使用したのか


懐中電灯用のマメ球とろうそく


登山者が使用する懐中電灯用マメ球のスペアとして商いしていたのだろう

                
現存する七合目日の出館の「特別優待券」
「御来光最適地 親切ヲ第一トスル 古代ヨリノ宿泊所」と書かれている この券でどんなサービスが受けられたのだろう

徒歩での冨士参詣の時代は江戸から甲州街道を通り難所の小仏峠を越え大月あたりで一泊する
大月の桂川にかかる大月橋のたもとから冨士道に進み富士登拝をする 往復1週間の行程だったと云う


三社宮
三合目には道了・秋葉・飯綱の三神を祀った三社宮と呼ばれる小祠があった


三社宮の小祠
 軒の上には「誠敬」(真心があって敬いつつしむ)と云う文字がかかっている

                      

                       
                        藤原朝臣俊学書の社名

           
           三社宮内部
道了・秋葉・飯綱の三神とも山岳信仰の神で 権現(神仏習合時代の仏が神の形として現れる)の神号である
道了権現は天狗に 飯綱権現は烏天狗に化身 飯綱は高尾山薬王院に祀られていることや上杉謙信のカブトの飾られていることで有名
秋葉権現は隣の遠州(静岡県)から発生した秋葉社 秋葉講で距離的に近いため信者が多く三社宮として祀られたのか
  

                   
元祖食行身録師像
 食行身録(じきぎょうみろく)は伊藤伊兵衛と云い伊勢の生まれ 富士講の祖とも云われる
 徳川吉宗時代米相場の暴騰を批判し富士山八合目半にある烏帽子岩近くで入定(即身成仏)した
 身録は士農工商の平等 男女の平等など現代に通じる思想者であった
 また身録は富士講の登拝を吉田口と定めた師でもある
 三社宮が富士講の人々に信仰されていたと市の案内に書かれているが 食行身録の像が祀られていたからだろうか (新田次郎著「富士に死す」に食行身録の生涯が書かれている)

                           
                        三神が祀られているのだろか 扉が閉じられていて不明

                       
                       「三社大権現」などと記された幡

                       


            
                       

                       
                       大願成就で奉納された頭髪


江戸時代の文化・文政期 「江戸八百八講 講中八百八万人」と隆盛を迎えた富士講は「富士を拝み 富士山霊に帰依し心願を唱え 報恩感謝する」と云う分りやすい一種新興宗教ブームのようなものだったようだ
そんな時代 ここ三合目 三軒茶屋・三社宮は白装束の富士講の登拝者たちで埋め尽くされていたのだろうか
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わが家の富士山ハイク

2010-08-28 11:14:14 | 富士山


北口本宮冨士浅間神社
  北口浅間神社の歴史は古く現在の位置に社殿が築かれたのは今からおよそ1200年前だと云う
  戦国時代以降この神社が富士登山への吉田口の起点となっている

  山開き前日の6月30日登山道入口の鳥居に張られた注連縄(しめ なわ)を切る
  「お導開」がこの神社で行われ7月1日の「お山開き」となる


老杉古檜がうっそうと繁る参道 この参道前方が旧鎌倉往還が通り昔を偲ばせる


高さ17.7mの朱塗りの四脚鳥居と山門 苔むした灯篭は歴史を感ずる


鳥居の奥には神仏習合の山門がある
山門の両脇は金剛力士ではなく左・右大臣だろうか資料不足で不明だが武士像が安置されていた


参拝した翌日8/26に行われる吉田の火祭り(鎮火大祭)の松明(詳しくはクリック)
これは北口本宮冨士浅間神社と境内社諏訪神社の秋祭りであると同時に「お山じまい」の祭りでもあるそうだ

馬返し
  富士山信仰の起点と云うべき場所
  ここから先は馬では行けぬほど道が険しく馬を返したと云ういわれからだ
  馬を下りた登山者はここにあった茶店で休憩し身支度を整えた


昔は茶店があってこんなに賑わったのかと驚く 今や富士山信仰者の夢の跡だろうか


吉田道は富士山の歴史が山積している
江戸後期 千を超す富士講があったとされる その推定登山者は1シーズン1万人にも達すると云うから当時としたら驚きだ

 
「大願成就」等の石碑群と富士守稲荷の祠


古来 ここから先は富士山の聖域とされていた
鳥居の下では正座し富士山を拝んだとされる


鳥居は文政9年と云うから200年近く前の建造 鳥居の前には曰くあるお猿一対がお守りしている


禊所
  大正期頃より山頂に向かう道者(信仰のために登山をする人)はここでお祓いを受け身を清めた          




一合目 鈴原社
  鈴原社は密教の最高仏である大日如来を祀り 古くは大日堂 大日社 大日如来社などと呼ばれた
  富士山の神である浅間明神は仏に例えると大日如来であると一合目に祀り登山者に知らしめている


一合目鈴原社 正面より登る道も残っているが現在は左手からが正道

 


一合目の石碑群

 
(左)海抜五千三十五尺と刻んである 尺貫法ではピンとこない 1,520mなのだろう
(右)至る二合目十丁十間と刻んである こんなに細かな距離は何処を指すのか


二合目 御室浅間神社      
  富士山の神である浅間明神を祀り1300余年前に創建した富士山周辺では最古の神社と云われる
  戦国時代の武将武田家の祈願所として崇敬が厚かった
  桃山時代の豪華な建築様式の本殿だが1974(昭和49)年に河口湖畔に移築した

  江戸時代まではここからは女人禁制であった

 

 

 
二合目の石碑群と石像  右の石像は宝永の年号が読み取れた 300年前お犬将軍徳川綱吉の時代だ 古いねエ




三合目 中食堂
  江戸時代から茶屋が二軒なのに三軒茶屋と称されている
  また中食堂とも呼ばれるのは 早朝に富士吉田を発った道者たちがここで昼食を取ることが多かったからだと云う
  茶屋の傍らには道了 秋葉 飯綱の三神を祀った三社宮と称する社があり石碑が残っている



 

 
看板 見晴台 三合目 やきいん の文字が読み取れる


    

四合目 大黒天
  四合目には茶屋(山小屋)が1軒あった
  茶屋には古くから大黒天像が祀られていたことから大黒室 大黒小屋と呼ばれていた
  大黒天は福の神として富士講の人々に信仰され茶屋では木版で刷った大黒天を授けたと云う


四合目 大黒小屋の絵

 


大黒天像は里に下ろされ茶屋は跡かたもない




アクシデントで今回は目標の五合目までは登る事が出来ずリタイア 残念


スバルライン五合目
  富士山に来たのだからせめて五合目の空気を と車でここまで上がった
  スバルラインは1964(昭和39)年に完成 40年以上の古い歴史がある


富士山の歴史の碑
これによると成層火山の寿命から富士山は現在20歳前後で最も美しく神々しい輝きがあるとされている


ふじ山の歌碑
あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下にきく 富士は日本一の山
                       

真正面の富士j山頂を指さすカップル登山者


富士山五合目銀座


山頂に続く登山道入口  次々に登山者が帰ってきていた


富士山山頂を写す  暫くチャンスを待っていたが雲は切れなかった    なのに車に乗って帰るときに晴れる 車中で撮る

            
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