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節句の旧安田邸からつつじまつりの根津神社へ

2017-05-07 14:37:13 | 観光

公開は水曜と土曜の週2日のみで、今回たまたま都内に予定があった水曜日に旧安田楠雄邸を訪れた。
JR日暮里駅より「夕やけだんだん」の谷中ぎんざ、よみせ通りを抜け向かった。


公開時間を気にせず向かったのだが、10時半からと門の前で20分待つ。
旧安田楠雄邸は、1919(大正8)年に豊島園の創始者である実業家・藤田好三郎氏によって造られ、1923(大正12)年に旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿・善四郎氏が買い取り居住。  
1995(平成7)年に当主の楠雄氏が亡くなられたのち、2007(平成19)年から一般公開される。
関東大震災と第二次世界大戦の被災を免れた外見は和風建築で、ほぼ改造されることなく創建当時の姿を残している。
唯一の洋間にはサンルームやマントルピースも配置されている。





猫間障子と云い、ガラスがはまっている部分の障子が左右に開く構造になっている。はじめは、猫が抜けられるようにガラスはなかったのだが、次第に気密性を考えガラスがはめられた。専門家によると、一般的に関東で使われていると云われる。
素透視ガラスは波を打っていたり、気泡があったりして年代を感じるが、すりガラスは、きれいな模様が描かれたり、中間に素透視を入れたりして古い時代のガラスとは思えないほどシャレている。




旧安田楠雄邸では、五節句のイベントが行われていて、今回は端午の節句で五月飾りが飾られていた。







根津神社裏門から森鴎外記念館や旧安田楠雄邸前を通り駒込方面に通じる古くから自然にできた道を「薮下道」と呼ばれ親しまれた道で、森鴎外や夏目漱石などの多くの文人が散歩をした道ともいわれている。
むかしは道幅も狭く、両側は笹薮で雪の日には、その重みで笹が垂れ下がって道がふさがれて歩けなかったと云われている。


薮下通りを通って、根津神社へは裏門から入る。屋台がずらっと参道に並んでいた。

根津神社は日本武尊が1900年近く以前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。
1706(宝永3)年に徳川五代将軍綱吉が現在に残る社殿を造営、権現造りの本殿、幣殿、拝殿、唐門、楼門、透塀は国の重要文化財に指定されており、江戸の神社建築としては最大規模のものである。

















女性ばかりの根津権現太鼓が華を添えていた。



根津神社のつつじまつりも2日後に終りを控え、つつじの盛りはとうに過ぎていた。隣に建つ大学院の通路に咲くツツジが見事だったので、撮らせていただいた。

訪れた日:2017.5.3


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