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修学旅行コースの奈良の旅

2016-09-08 10:31:03 | 観光
京都駅から座席指定の特急で30分余、奈良駅に降り立つ。奈良は40年以上の御無沙汰だ。
駅前の噴水広場に托鉢の僧侶が建っていた。その僧侶を帰りにも見かけた。食事は?水分補給は?熱中症対策は?と気になってくる。

近鉄奈良駅・行基菩薩の噴水
          
               行基:奈良時代の僧侶で禁を破り民衆に仏教を広め大仏を造立した責任者
               
平城宮跡朱雀門
          
「なんと○○な平城京。」710年遷都年号の覚え方である。
車窓からその平城京の朱雀門を写す。こんな位置に建っていたとは全く知らなかった。「へいじょうきょう」と呼んでいるが、歴史学者は「へいぜいきょう」と呼ぶ人もいるそうだ。それは51代天皇に平城(へいぜい)天皇がいるからだとか。但し、遷都当時の造成土からは「奈良京」と書かれた木簡が発掘されてもいるようだ。

興福寺
五重塔、東金堂と宝物館の仏像を拝観する。
五重塔はどっしりとして、東寺の五重塔に並ぶ日本最大級。そして、今回期待は阿修羅像。この表情は20代に白血病で亡くなった女優の夏目雅子さんそのものである。今回は、朝日新聞出版社刊「日本の名寺をyく・興福寺」を持って、時間をかけて拝観した。
現在、中金堂を再建中でもある。釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂であるが、火災で7度も焼失していると云う。完成は2018年。





東金堂 本尊・薬師如来像 日光菩薩像 月光菩薩像が安置



国宝館 阿修羅像他が安置


南円堂

東大寺
聖武天皇が日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた、1,200年以上の歴史を持つ寺院である。

南大門


築地塀


大仏殿




奈良時代には大仏殿(金堂)の両脇に七重塔(推定高さ約70メートル以上)が整備

子供たちが柱の穴潜りに挑戦している。この穴、大仏様の鼻の穴と同サイズだそうで、造られた時は、大人でも潜り抜け出来たという。その当時の大人は今に比べて華奢の様だった。
柱の穴潜りといえば、弥次喜多が潜れたの、挟まったのとひと騒ぎしたのは、この穴と思っていたのだが、大違いのようだ。
                   
弥次喜多の穴潜りは京の大仏様の柱が正解のようだ。京に大仏が?と思われるが、思い起こせば50年以上前に参拝した記憶がある。バカでかいと思った覚えがある。そのあと、家族を連れて訪れたことがあったが、その時は火災で焼失した翌年であった。
その寺院は方広寺。方広寺は豊臣秀吉が大仏を建てた寺だという。その後秀頼が鐘楼を寄進するのだが、鐘楼に刻まれた文字がきっかけで、豊臣と徳川が戦う事になる。詳しい内容は大河ドラマ「真田丸」をおたのしみに。確実に出てくる話だ。
寺域には南大門・本坊経庫・開山堂・鐘楼・三月堂・二月堂・転害門の国宝に指定されている歴史的建造物や文化財がある。



二月堂


二月堂


二月堂のそばに休憩所があって、セルフの冷えた麦茶のサービスがあった。有難いことで、御馳走さまのひとことも発する。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。今回、奈良の世界遺産は、興福寺と春日大社を巡る。
          
                 文化交流の象徴として中国の船大工10人が参道で公開制作した船(南大門前)

春日大社
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社で、全国に約1000社ある春日神社の総本社である。
藤原氏と云えば飛鳥時代から平安時代にかけて権勢を誇った氏族でもある。







戦国の武将宇喜多秀家(左解説板)と直江兼続が寄進した釣灯篭

春日大社の朱(赤)色は、他の神社と違った独特の色をしている。
社殿と回廊の釣燈籠、昔は油料の続く限り毎晩点燈され、特に雨乞祈願には万燈が行われたようだ。しかし明治時代になると、人員不足と油料が途絶え毎夜の点灯が不可能になった。近年では年2回、2月の節分と8月のお盆の14、15日に点灯するようになった。
その灯は、幻想的で、優美な光景であるそうで、今はそれを北回廊にある藤波之屋(江戸時代まで神職の詰所)で見れるようになっている。
          
また、今年は20年毎に行われる式年造替(しきねんぞうたい)という儀式が行われる年である。これは、神社の社殿の一部または全部を建て替える制度。訪れた時も本殿の壁画を描き直す作業が行われていた。

浮見堂・鷺池
奈良公園の南側にある。
浮見堂は、大正5年に建てられた、檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根が美しい東屋。鷺池の岸から純和風の橋がかかっている。鷺池の岸から眺める、水面に映る浮見堂は絵になると云われるのだが。
          

          

猿沢の池
「興福寺五重塔と池の柳が水面に映える猿沢池の景観は、奈良公園の代表的な名勝地」と云われているが、この時期、水は緑色に濁り、見られたものではなかった。
          
池端に采女神社(春日神社の末社)が祀られている。帝の寵愛が衰えたので、采女(うねめ)は衣を柳に掛けて入水してしまった悲しい伝説がある。猿沢の池はカメの話だと思ったが、歴史が古い町だけあって悲話があるようだ。采女の故郷、福島県郡山市にも采女神社があると云う。
          

          
采女を祀る社は、我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに後ろ向きにしたと云われる。
9月14、15日には「采女祭」が開かれる。花扇奉納行列があり、秋の七草で飾られた2m余りの花扇と数十人の稚児、御所車に乗った十二単姿の花扇使や姉妹都市 福島県郡山市から参加のミスうねめ、ミス奈良などが天平衣装をまとって市内を練り歩く。その後春日神社の神官による神事がおこなわれて、花扇が奉納される。 猿沢の池では、雅楽が流れるなか、2隻の管絃船が、40余りの流し灯籠の間をぬ って池をめぐり、最後には花扇を池中に投じる。
          

奈良公園の鹿
 

我々の世代の中学の修学旅行は修学旅行列車・日の出号で京都・奈良の旅行であった。

川崎のひので号(卒業アルバムより)
が、孫が通う中学校では飛行機で熊本空港に降りて、北九州を周る贅沢な修学旅行である。そこで、私の京都旅行計画にあたり、奈良のポピュラーなコースを加えた同行二人の旅となった。
同行の中二の孫もいつの間にか歴女となっていた。

訪れた日:2016.8.22


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