彦四郎の中国生活

中国滞在記

北国街道、奥琵琶湖、鯖街道を経て京都に—息子や娘の家族たちも集い、越前の海産物で乾杯する

2024-07-10 14:53:11 | 滞在記

 7月7日(日)、故郷・南越前町の南条地区や今庄地区を通っている北国街道や、奥琵琶湖湖岸の道、そして琵琶湖に注ぐ安曇川沿いの鯖街道などを経て京都に戻った。それらの街道沿いに合歓(ねむ)の木の木々がたくさん、桃と白の花を咲かせていた。

 南越前町南条地区の、日野川沿いの堤防と水田が青々としている。同町今庄地区孫谷集落には今もアジサイが沿道に咲いていた。

 今庄地区の木ノ芽峠麓の宿場であった「板取ノ宿」。かっては、栃ノ木峠を越えて北国街道を滋賀県の木之本宿に至る道と、木ノ芽を越えて越前の敦賀に至るところの分岐にあった「板取ノ宿」。

 当時の石畳みの道が宿場には残り、今は4棟の兜造茅葺屋根の家だけが残っている。(※そのうちの1棟には現在、人が暮らしている。)

 敦賀の町に入り、日本海海産物市場に向かう。市場では、息子の妻の実家(京都市岩倉地区)への中元を買って郵送、そして今夜は息子や娘たちの家族が私の家に来るので、いろいろな海産物を買った。(サザエ、塩焼き用のエビ、甘えびなど)

 福井県と滋賀県の県境の深坂峠を越えて塩津街道で奥琵琶湖へ。水が澄んで美しい奥琵琶湖の大門浜。

 琵琶湖の「えり漁」の網が見え、竹生島も遠望できる。湖岸で泳ぐ人や水上バイクを楽しんでいる人たちも。

 琵琶湖西岸から安曇川をさかのぼり、鯖街道の道を行くと、途中に朽木宿。安曇川でアユ釣りをする人たちも多い。この清流の安曇川沿いの朽木地区の道路温度計表示が39℃、とても暑い暑い一日だ。

 清流の安曇川中流で泳ぐ人たち。鯖街道沿いの合歓の木の花や茅葺の家々。「花折峠」からは京都丹波山地が見えてきた。京都の大原の里や八瀬を通って、京都市内に到着した。

 京都市内の知恩院や祇園近くの白川沿いの柳並木。白川では涼(りょう)を求めて川遊びをする人たちの姿も。

 白川の近くには、学生時代によく買い物にも行った「古川町商店街(知恩院門前町)」がある。

 午後4時過ぎに京都の家に着いたら、もうすでに、娘と3人の孫たちが来て遊び廻っていた。しばらくして、息子夫婦も来宅。さっそく今晩、みんなで食べるための料理を妻と作ったり、敦賀で買ってきた海産物を調理し始めた。15個のサザエをつぼ焼きにし、大きなエビ10数匹を塩焼きにし、甘えびはそのまま刺身用にした。そのうち、仕事を終えた娘の夫も午後6時頃に来宅。みんなで乾杯🍻。孫の寛太(3歳半)は遊び疲れて眠ってしまっていた。

 食べきれない海産物なので、となりの家に、サザエや塩焼き用のエビをお土産に持って行った。みんな午後8時頃に帰っていった。にぎやかな日本帰国5日目の一日となった。

 この日は七夕の日だったようで、我が家のなかに、笹に願い事を紙に書かれた短冊(5歳半と小学2年の二人の孫たちの短冊)が付けられていたのが置かれていた。

 

 

 


媽祖(まそ)列島のこと、日本への帰国—故郷への湖西路・北陸路は今、昼は咲き夜は恋いつつ眠る、合歓(ねむ)の木の花街道

2024-07-10 10:06:08 | 滞在記

 7月3日(水)、中国福建省福州の台湾海峡に面した福州空港より、日本の関西空港に向かう厦門航空の飛行機が離陸した。離陸して4~5分くらい経過しただろうか。飛行機の窓から島々が見え始めた。台湾が実効支配する媽祖(まそ)列島の島々のようだ。(※中国政府は、福建省福州市に属する島々としている。)

 この媽祖列島は5つの大きな島と、他に30余りの小島からなる列島。台湾からは一番遠い島々で、台湾本島から約200kmも離れている。(※台湾の台北の空港からこの媽祖諸島の空港までは約50分を要する。)そして、私が暮らす福州市の連江(中国大陸)からは、列島の最も近い島では10kmしか離れていない。(※福州空港のすぐそばだ。)

 中国と台湾との政治的・軍事的緊張関係が続く中、飛行機からこの媽祖諸島を眺めると、改めていろいろな思いが交錯する。厦門航空の福州➡関西空港の飛行機は、高度を上げて、尖閣諸島付近の東シナ海上空を航行し日本の五島列島や九州北部、瀬戸内海上空を経由して、3時間ほどで関西国際空港に着陸した。

 日本に久しぶりに一時帰国して、7月5日(金)、京都市内の銀閣寺近くに暮らす娘の家に行き、孫たち3人に中国からのいろいろな土産物を渡した。夕方、市内の六曜社珈琲店に行き喫煙しながら京都新聞を読む。新聞の一面には、「府内の留学生過去最多1万7743人—コロナ前より2割増/円安で欧米よりも割安」の見出し記事が掲載されていた。(※この数字は約1年前の2023年5月時点での、京都府内の大学・短大・専門学校・日本語学校に在籍している留学生数とのこと。)

 記事によると、1万7743人の留学生のうち、➀中国9062人、②韓国1653人、➂ネパール1637人がベストスリーで、他に東南アジアの国々(ベトナム、インドネシア、タイ、ミャンマーなど)やスリランカなどが続くそうだ。私が暮らす中国からの留学生は、府下の留学生の約51%を占めているが、この比率はコロナ前の約44%よりも高くなっている。中国も再び日本への留学希望者が増加しているようだ。

 六曜社珈琲店を出て、近くの丸善書店にて1時間余りを過ごす。夕方の7時半頃、日も暮れかかった先斗町の通りを歩く。欧米系の外国人観光客も多いが、中国系の親子連れ観光客もよく目にする。7月3日の厦門航空関西空港行の機内でも、親子連れがたいへん多かったが、中国の小中高校は6月29日(土)から約2カ月間の夏休みに入っているからだろう。

 6月15日付のyahoo Japanのインターネットニュースサイトでは、「中国の夏休み"日本へ旅行"が人気  有名大学を巡る"子どもの学び"ツアーなど」という見出し記事が掲載されていた。記事には、「中国最大級の旅行予約サイトによりますと、今年7月から8月の海外旅行の予約は去年の2倍近くで、日本はマレーシァなどと並んで人気の渡航先の一つだということです。今年は日本の有名大学巡りなど、"子どもの学び"をテーマにしたツアーの人気が高まりつつあるということです。」と書かれていた。

 京都先斗町の路地にある、「スナックまこ」という名の場末の店に初めて入ってみた。店のママさんは、御年78歳とのこと。一人で店をやっていて、もうこの店は40年ちかくやっているとのこと。たいしたもんだと思う。この店をやるまえは祇園のクラブで働いていたとのことで、私も1970年代の初めころから京都で学生生活をして、祇園の深夜営業の中華料理屋(祇園飯店)で早朝5時までのアルバイトをしていたので、そのころの時代のことでも話がはずんで、あっという間に二時間が過ぎた。

 夜の9時半頃の、鴨川に架かる四条大橋から三条大橋方面を眺める。納涼床(川床)に灯りがともり、鴨川のほとりにはたくさんの人々が座って涼(りょう)をとっていた。夜の四条大橋界隈の先斗町や祇園町の光景、「日本に帰れてよかった!」と、私にとって実感できる場所の一つだ。

 翌日の7月6日(土)の午後、京都から琵琶湖西岸の湖西道路と北陸路を経由して福井県の南越前町にある実家に帰省した。湖西路も北陸路も、沿道には並木のようにこの季節「合歓(ねむ)の木」の花が満開となってどこまでも続いていた。まるで「合歓の木街道」ともいえる光景が見られる。

 ネムノキの花は、梅雨から夏にかけて開花する。淡い桃と白の色が美しく、ほんのりと甘い香りを漂わせながら花が咲くと、辺りに神秘的な雰囲気も生まれる。夜になると、相い対する葉は閉じてそっと眠る。ネムノキは、漢字表記は「合歓木」と書く。「合歓(ごうかん)」とは中国語で喜びを共にすることで、男女が共に眠る様子を表す。

 合歓の木は古代より短歌や俳句にも詠まれ、俳句の夏の季語ともなり次のような俳句もある。

 「雨の日や まだきにくれて ねむの花」(与謝蕪村)   「象潟(きさがた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」(松尾芭蕉)    西施とは、中国四大美女の一人で、「傾国(けいこく)の美女」。(国を傾かせるほど皇帝や王が愛した絶世の美女)

 短歌では、万葉集に次の一首がある。「昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓(ねむ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」(紀郎女[きのいらつめ])  現代語訳にすると、「昼は咲いて夜は恋いつつ眠る合歓の花を、私だけが眺め楽しんでいてもよいものだろうか。あなたも見てね。」 この歌は、紀郎女という女性が、年下の男性の大伴家持(おおとものやかもち)に恋ひする心を寄せた一首とされている。

 94歳の一人暮らしの母は、歳相応にいろいろな健康・認知機能問題はあるが、元気なようすだった。琵琶湖湖北の高島市の道の駅で買った四つの弁当から二つを選んで二人で夕食を摂る。妻の作ったメロンパンも弁当を一つ食べたあとに、美味しいと言いながら食べていた。食欲は健康の源かな‥。翌朝の早朝に、寺の裏山にある墓に行き、墓を覆っている夏草を刈りとり、線香をあげて、日本帰国の挨拶と感謝を父や母(33歳で亡くなった実母)、そして、育ててくれた祖父や祖母にした。

 故郷の福井県南越前町は、海(河野地区)と山(今庄地区)と里(南条地区)からなる。実家のある河野地区の海や漁港。「ふるさとの 山に向ひて 言うことなし ふるさとの山は  ありがたきかな」(石川啄木)があるが、私も、「ふるさとの海は ありがたきかな」といつも思う。天気が良いと山陰海岸までもがかすかに見える海。

 敦賀半島が目の前に、そして敦賀の町も望める越前海岸の小さな漁村が私が生まれ育った南越前町河野地区。敦賀の町には、日本三大松原の一つ「気比の松原」がある。現在、NHK大河ドラマで放送されている「光る君へ」の越前編で登場する、宋人(中国人)がいた松原客館も、この気比の松原付近にあったのかと思われる。今年の春に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業となり、「光る君へ」のドラマ放映もあり、越前国府のあった越前武生の町やこの敦賀を訪れる人も多いかと思われる。

 私の故郷の漁村の目の前に横たわる敦賀半島。その半島の先近くにある無人島の「水島」は、「北陸のハワイ」とも呼ばれる美しい遠浅海岸の広がる小島。船で渡ることができて、海水浴に訪れる人も多い。

 

 

 

 


中国「福建三大漁女」たちの「花簪」(頭上の花園)風習が今、中国女性たちに大人気です

2024-07-06 10:04:09 | 滞在記

 6月28日(金)の午後、福建省福州市内にある「三坊七巷」に、日本の知人・友人たちにあげるためのジャスミン茶を買うために行った。久しぶりに行った三坊七巷なのだが、中国各地の女性の民族衣装を身にまとって散策している女性の多いことに驚かされた。

 三坊七巷の伝統的な街並みを歩くそれらの女性たちの多くは、頭に大きな花飾り(花簪/花冠)をしている。そして、衣装はさまざまな伝統的なものを、好みに合わせて着ていた。

 三坊七巷の通りにあるカジュマルの1本の樹木はハート❤型に刈込剪定がされてもいた。

 三坊七巷の通りには、レンタル衣装店も数軒。中国各地の伝統的民族衣装が店内に並べられ、多くの女性が、店内で化粧や髪結いと髪飾り、そして衣装を試着している。

 中国の有名女優の一人である趙麗穎が花簪(はなかんざし)を付けて民族衣装を身にまとう大型写真パネルがどの店にも飾られていた。今、中国で一大ブームとなっているのが、この花簪と伝統的民族衣装を身にまとって街並みを散策したり、写真や動画に撮ることだ。

 私がこの巨大な花簪と独特の髪型を初めて見たのは、2017年の2月。福建省龍岩市にある龍岩大学に勤める日本人教員の鶴田さんと福建省泉州市に旅行に行ったときのことだった。(※泉州市は2021年に世界遺産都市に認定されている歴史文化都市。古代から中世、海のシルクロードの起点となった港町。別名は刺桐城。刺桐とはデェイゴのことで、この町はデェイゴが多い。)

 泉州市の古街の中心的な通りにたくさんの露店が並び、地元の女性たちが野菜や果物、肉類や海産物を路上で売っていた。海産物を売っている女性の髪形と髪に飾っている花々が独特だった。こういう女性たちが、まるでその髪型も長年の生活の一部であるかのような自然な光景だった。

 髪に花簪をしているが、その花簪が量的に少ない女性たちもいた。彼女たちも海産物を商っていた。最近わかったのだが、路上で海産物を商っている女性たちは、「福建三大漁女」と呼ばれる、福建省の海岸漁村の女性たち(海の女たち)だった。そして、その「福建三大漁女」は、ここ泉州市の海岸の漁村に集中していた。「恵安女(グイアンメィ)」と「湄洲女(メイジョウメィ)」と「蟳埔女(ジンホーメィ)」。大きな花簪を髪型に飾る海の漁村の女たちの伝統的な風習をもつのが「蟳埔女」だった。

 泉州市内を流れる晋江の大河の河口付近にある漁村の一つが「蟳埔村」。2023年以前にはここの女性たちの習俗である「簪花囲」(髪を花冠で飾る風習)は、全国的には一般的に知られていなかった。

 この「簪花囲」が2023年から中国国内だけでなく海外まで知られるようになったのは、中国の有名女優の一人である趙麗穎(36歳)がこの「簪花囲」をして広告されたことから始まる。燎原(りょうげん)の火のごとく、「簪花囲」はあっという間に中国女性たちの心をとらえたのだった。

 祝日や週末には1日に5万人もの観光客が泉州市の蟳埔村を訪れるようになり、村とその周辺は「簪花囲」の髪型に好みの伝統的な衣装を身に着けた女性たちの散策する光景が出現するようになっている。おりしも、泉州市は2021年に世界遺産都市に認定されたこともあり、市政府は観光にも力を入れ始め、泉州市内には多くのレンタル衣装店が開店したのだった。(※150元[約3000円]で、着物や髪飾り「花冠}などのレンタルができる。)それが、まあ、泉州まで行かなくても福州市内や中国各地の伝統的な古街地区でもレンタル衣装店で「簪花囲」をしている女性たちの姿が出現しているということになる。

 日本の前田敦子さん(元AKB48のセンターで女優)がこの4月下旬に、福建省の泉州市に来て、「簪花囲」にチャイナドレスを身にまとった写真などを撮影した。これも「とても美しい」と、中国のSNSでは評判となっていた。

 ※泉州市の「簪花」は、宋や元の中世の時代から、泉州に伝わる風習。花の冠で髪を飾ることで、女性たちの「希望」と「幸福」への願いが込めたものとされている。

 泉州市に面する泉州湾は、かっては海のシルクロードの中国の起点港だった。イタリアのマルコポーロは、イタリアから陸のシルクロードを通って中国に至った。そして、イタリアに帰るときは、この泉州から船に乗る海のシルクロード航路をとっている。

 この泉州湾の入り口には、崇武城(古城)がある。そしてその城壁に囲まれた城市内には約3万人余りの人々が暮らしている。かってこの城郭は、日本の倭寇などから泉州湾を守るために造営されたものだった。その泉州市崇武地区に行くバスの中には、独特の花笠を被った女性の姿もみられた。

 その独特の花笠の衣装は、ここ崇武地区付近の漁村の女性たちの日常的な伝統的風習衣装だった。竹で組まれた傘に花を飾り、日よけを兼ねた肩までかかるカラフルなスカーフ。

 この風俗衣装もまた、「中国福建三大漁女」の一つである「恵安女」の衣装。私はこの崇武地区(※恵安区)を2015年12月に訪れた。(※閩江大学の学生の、「いとこの結婚式」が泉州市内のこの恵安地区で行われ、招待されて結婚式に参加した。) この花笠がとても美しいので、その学生に頼み購入してもらった。今も私の福州市内のアパートに飾っている。

 福建省は東シナ海の台湾海峡に面していて、とても漁業や養殖業などが盛んな省でもある。「中国福建三大漁女」には、もう一つ、これも泉州の漁村の女たちの衣装習俗の一つだが「湄洲女(メイジョウメィ)」がある。(※私はこの「湄洲女」の人たちは、2017年2月に、泉州市古街地区の露店で見たことがあった。)

 「湄洲女」の花簪を少ししている。彼女たちの伝統的な衣装は趣がある。漁村の女たちは天秤棒を担いで、泉州の街中まで海産物を売りに来ている。まあ、日本の京都にも、花を売りに京都の街中に来ていた「大原女(おおはらめ)」などの女性と似通ったところがあるようにも思う。

 

 

 


中国の気象予報での最高気温予測は39℃まで、40℃以上は表示しない、そのわけは?—中国の小中高校は夏休みに入った

2024-07-02 09:08:14 | 滞在記

 6月中旬から猛烈な「火釜(ひがま)都市」の日々が続く中国福建省福州市街。閩江(びんこう)という大河が流れるところ以外はほぼ山々に囲まれた盆地なので夜になっても熱がこもり続ける。ここ2週間ほどの最高気温は37℃~39℃。(※ものすごく珍しいが、スマホネットニュースで最近、昨日の福州は41.1℃だったと報道されたこともあった。)

 日々、スマホのインターネットやテレビ、新聞などで報道される中国の気象情報では、どんなに最高気温が高くて40℃を超えることがあっても通常の予報では39℃までしか表示されないのだ。なぜなのかということを最近になってようやく知ることになった。そのわけは、40℃以上の最高気温下では、外で仕事をする人たち(※建設・土木工事現場などの労働者)に対して、雇い主は特別手当賃金を支給しなければならなくなるからだということだった。だから39℃までしか表示されないのだと‥。なんともな気象予報‥ではある。

 猛烈な気温と湿気の「悶熱(メンロー)※悶絶しそうな暑さ」の福州での生活の中だが、アパートの部屋にある二つのクーラー(空調)は、2000年ころに設置された旧式なため、室温は16℃に設定しても下がらない。外気温が35℃を超えるとクーラーの役目がなさなくなってしまうのだ‥。早朝にアパートを出る際にクーラーをOFFにして、大学から午後3時過ぎに帰ると室温は35℃となっている。すぐにエアコン(16℃設定)と扇風機を最強にしてつける。そして、ようやく6時間後の午後9時ころに室温が30℃まで下がるというエアコン状況。

 エアコンを付けっぱなしにして、体に風が当たるように扇風機もつけてベットに横たわり、午後9時すぎに眠りにつく。午前3時頃に起床すると、外気温が夜のうちに35℃を下回ったためか、室温が25℃あたりまで下がっている日々。この旧式エアコン、付けっぱなしすると壊れそうなので、時々、OFFにすると、室温は30℃をすぐに超えてくる。そして、エアコンOFFの時は扇風機だけでしのぐ。

 そんな耐え難い日々だが、果物店で「楊梅(ヤンメイ)/ヤマモモ」や「サクランボ🍒」、「パイナップル」「瓜(うり)」などをたくさん買って食べるのを楽しみに過ごす。

 6月23日(日)の昼前頃、福州市街の中心地にある五一広場方面に向かう。バスを降りて街並みを歩くと、「覇王茶姫」の看板。最近、福州でも人気のある「茶館」の店のポスター看板だ。二つのポスター看板、実に赤色・朱色の使い方が素晴らしい。象と歩くポスターの女性モデルは日本人女性の名前が書かれていた。

 昼食を日本料理店の「古都」で久しぶりに食べた。近くの「19番珈琲」店に立ち寄った。店主の中国人女性(※日本語会話ができる。)の林さんと話す。林さんの娘さんと息子さんは現在、日本の横浜で暮らしている。(※息子さんは日本語学校在学中で、日本の大学院入学試験を受験予定だ。)

 暑い日差しの中、ガジュマルの街路樹道を歩いて近くの茶亭公園に向かう。

 都心のど真ん中にある「茶亭公園」。この季節、蓮の花が咲き、ハイビスカスが咲く。

 沖縄の県花の一つ少し黄オレンジ色をした「オオゴチョウ」(※蝶が群れて舞うような姿の花/県花は他にデェイゴと山丹花[サンダンカ])も公園内に咲いていた。

 6月21日(金)~22日(土)にかけて、福州市内の大学の多くで卒業式が行われた。アパート近くの福建師範大学倉山校区の正門付近で記念写真を撮る卒業生たち。閩江大学では22日に卒業式が行われた。

 猛烈な暑さの日々、突然に黒い雲が空を覆い始め、雷⚡が発生し、スコールの大雨に30分ほど見舞われることもよくある。急いで店じまいを始めた露店のスイカ売り(ウイグル系の人)の運搬バイク車から、スイカが転げ落ち、路上に散乱した。

 閩江大学構内にある「閩院酒店」(※大学のホテル)。インドソケイの花が美しい。近くの大学構内の森には亜熱帯地方特有の大きな葉っぱのタロイモ科の植物。南洋の島々ではこのタロイモは主食となっているようだ。

 大学構内の水辺の蓮やスイレンを眺める。猛烈な暑さと湿気で顔から汗が流れる。

 この季節に咲く紫色の樹木花や山丹花のオレンジの花。

 6月27日(木)、福建師範大学に勤めていた頃の中国人女性同僚の倪(ゲイ)先生からの誘いで、彼女の息子さん(大学3回生)とともに昼食を一緒にした。昨日7月1日、閩江大学卒業生の王さんと彼のフィアンセとともに、夜に福州市内に新しくできた日本料理店に誘われて会食で乾杯🍻。最近再び、日本料理店が中国では人気となっているとのこと。

 中国の小学校・中学校・高校は、7月1日(月)より2カ月間の夏休みとなった。昨日の1日、大学に行き、作成した成績資料などを大学に提出。今学期の仕事が一応終了した。私も明日の3日、ようやく夏休み休暇で日本に帰国できることとなった。「悶熱」の地区からの脱出といった感がある。