彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本三大、大学自治寮➊京都大学「熊野寮」「吉田寮」、北海道大学「恵迪寮」―バンカラ伝統も

2022-10-19 10:17:52 | 滞在記

      上記写真は、京都大学吉田キャンパス本部エリア

 日本には780余りの大学がある。そのうち600余りは私立大学で、180余りが国公立大学だ。私の息子や娘が大学に入学したり卒業した2000年代の10年間、伝統的な建築群もありキャンパスが美しいと言われる大学を中心に約150箇所余りの大学を見て廻ったことがあった。そして、私なりの「日本の大学ランキング・ベスト50」を作成してみたりもした。評価ランキング作成の観点は、「①その大学のキャンパスの光景[建物群含む](40%の得点)、②その大学の難易度[偏差値など](20%の得点)、③その大学の周囲の環境[都市環境など](10%の得点)、④その大学の学問性の高さや自由度(30%の得点)」

 その4つの観点から、私なりの大学総合評価ランキングの第一位は京都大学、第2位は東京大学、第3位は北海道大学、第4位は早稲田大学、第5位は一橋大学、第6位は同志社大学、第7位は東北大学、第8位は奈良女子大学、第9位は東京工業大学、第10位は慶応大学だった。

   11位~20位には、関西学院大学、御茶ノ水女子大学、神戸大学、大阪大学、名古屋大学、立命館大学、九州大学、青山学院大学、岩手大学、帯広畜産大学などが入る。②の超難関大学の中でも、例えば、大阪大学・名古屋大学・九州大学などは、①があまりよくない。また、②の難関大学の中でも、例えば、明治大学や法政大学などの①は、まるで一流企業の都心の高層建築のようで、大学という雰囲気はほとんど感じられないので論外となり、ベスト40にも入らなかった。

 2009年1月6日付の朝日新聞に、「日本一のキャンパス 大志ここに」という見出し記事が新聞の1ページ全体を使って掲載されていた。約1万人余りからのアンケート結果をもとに、「日本一だと思うキャンパスベスト10」が掲載されていた。それによると、1位は北海道大学[札幌](4105人)と圧倒的。続いて、2位は東京大学[本郷](2833人)、3位は早稲田大学[早稲田](1405人)、4位同志社大学[今出川](1228人)、5位慶応大学[三田](872人)、6位関西学院大学[西宮上ケ原](797人)、7位青山学院大学[青山](685人)、8位立命館大学[衣笠](662人)、9位一橋大学[国立](635人)、10位東北大学[片平](557人)となっていた。まあ、このベストテンの大学は、①のキャンパス光景はなかなかのものだ。だが、慶応大学の三田キャンパスに実際に行くと、伝統的な何棟かの建物群は素晴らしいが、あまりのキャンパスの狭さにはちょっとがっかりもした。

 さて、この新聞記事のベスト10には、京都大学[吉田]がないではないか。これは、なぜだかまったくわからない?!私が見た150余りの大学キャンパス光景の中では、まあ、北海道大学に次いで、東京大学とともに美しく、且つ、優れた広いキャンパス光景だ。記事が故意的に間違っているのではないかと思ってもしまう。

 さて、話しは少し変わるが、日本全国の大学の学生寮の中で、現在もなお学生(寮生)たちによる寮の自治運営の伝統が残る(守られている)大学寮が三つ、日本にはある。この三つともに、今なお、バンカラ的雰囲気や一種のアホさ、バンカラ的雰囲気が濃厚に、カオス的に、そしてその汚さでも、伝統的に保たれている学生寮である。京都大学の「熊野寮」と「吉田寮」、そして北海道大学の「恵迪(けいてき)寮」の三つの学生寮である。

 私が勤務する中国福建省の閩江大学3回生の呉文潤沢君がこの10月から京都大学に1年間国費留学生として来日することになったので、おそらく大学の寮に入るのだろうと思い、8月下旬、久しぶりに、今の「熊野寮」と「吉田寮」はどうなってるんだろう?と、行ってみることにした。実は、私は大学1回生の時(1970年代前半)にこの「熊野寮」に2カ月間ほど暮らしていたことがあった。(■呉君の国費留学先は、「①東京大学、②東京外国語大学、③京都大学、④大阪大学」があった。この中から留学先希望大学に、1位から4位を選択し、国費留学試験に臨んだ。呉君から4月上旬に、「先生、どの大学がいいですか?」と問い合わせがあったので、「京都大学が一番いいですね」と返答していた。)

 1070年代の前半当時、学生紛争がまだくすぶり続け、熊野寮は新左翼と呼ばれる学生運動団体の有力拠点の一つのようで、60歳代かと思われるおじいさんなど、得体の知れない人たちもたくさんこの寮で暮らしてもいた。私がしばらく暮らした雑然とした足の踏み場もあまりない寮室は、私を含め5人が同居していた。寮費は月に1000円ほどだった記憶がある。2カ月間あまりでこの寮を出て、その後、平安神宮近くの2畳部屋(5000円の家賃)に1年間、そして、銀閣寺に隣接した4畳半部屋(1万5000円の家賃)へと引っ越しをした。

 この銀閣寺隣の下宿部屋からは、吉田山がよく見えて環境抜群だった。隣の部屋の新左翼らしい京都大学フランス文学科の学生は、警察に逮捕されて、この部屋を去っても行った。国宝の銀閣寺に夜に数人で山の方から忍び込み、足利義政ゆかりの井戸のある場所で、京都の夜景を見ながら一升瓶で酒盛りをしたことも2度あまりあった。いわゆる、「真面目だが、アホなことも、けっこうする学生」でもあった。当時の右翼的学生から新左翼的な学生たちまで、さまざまな考え方をもつ学生たちとの交流があった学生時代でもあった。

 まあ、そんな思い出もある熊野寮構内や建物内にこの8月28日(日)の午後3時頃、数十年ぶりに入ることとなった。この日たまたま、熊野寮は「くまの夏の夜まつり」という夏祭りを開催していた。午後3時から午後9時までの開催らしい。寮構内には、おびただしい数の学生たちの自転車置き場。懐かしいなあと思った‥。

 寮の近所の理髪店の窓にも、「くまの夏の夜まつり」のポスターが貼られていた。祭りは始まったばかりの時間帯だったが、若い女性たちや子供連れの一般人たちも祭りに来ていた。祭りの行われる寮構内の小さな広場(空き地)には、音楽を演奏するステージや盆踊り的な櫓(やぐら)なども組まれている。

 屋台テントも10棟ほどできていて、例えば、スマートボールなどの遊技台には親子で興じる姿なども‥。祭りに合わせた熊野寮オリジナルTシャツグッズなども売られていた。スマートボール台の横には、「2022年度の流行語"マスク詐欺"―どっか良い男はいないかしら—」の紙が貼られていた。

 寮は4階建てのA棟・B棟・C棟の三棟があり、さらに食堂棟がある。寮の正面玄関の横に、灰皿の置かれた屋根付きベンチがあり、ここにいた数人の学生たちと喫煙しながら話をしながら、現在の寮での暮らしのことなどを聞いた。一人の寮生とは、さまざまな政治・経済、世界情勢などの話を20分間くらいにわたって話をしたが、最近の学生にしてはこれらの話題に関心も高く、知的レベルも高いかなりの勉強もしているなあと感じる学生だった。

 懐かしい食堂棟に入る。40年ほど前の熊野寮の雰囲気や様子とさほどの違いは感じなかったというか、あの頃のままにほぼ近いことに驚いた。まず、食堂入り口には、学生帽子に白衣を着た学生らしい人の同寸大の人のパネル。「玄関まわりの不穏な政治的看板は、この男が書いています。苦情はお気軽に。愛と誠実。」と書かれた紙をもって立て掛けられている。その横には、「中核派の革命的見解です」と書かれた見出し記事の大きな立て看板。今時にもこんな大学寮があるんだとと改めて驚かされる。

 食堂棟内部に入って行くと、熊野寮の年間のスケジュールや行事が書かれた貼り紙、「"前進"を読もう—食堂で読む会を毎週火曜日19:00~19:55開催」「安倍国葬粉砕」の一面見出し記事の、中核派の機関紙「前進」などが貼られている。まあ、雑然とした雰囲気だ。ソファーの周囲には何本ものギターが置かれ、本や雑誌なとも雑然と置かれている。

 フロアーには、ここの寮生ではない40代〜50代くらいの人たちが数人バンド演奏をしていた。部屋のある廊下には、冷蔵庫やレンジなどが所狭しと置かれている。トイレはペンキでの落書きだらけ。

 共同洗面所や共同台所はまだきれいか‥。なにか怪しげな▲型鉄骨が置かれた、防火水槽用の池。私は当時、このB棟の2階に住んでいた。この熊野寮が設立されたのは1965年。当初、男の学部生だけの入寮だったが、現在は女子学生も、大学院生も留学生も入寮が認められているようだ。京都大学に学籍を置く全ての学生に入寮の門戸が開いている。

 入寮に関する審査や寮運営などは、寮の自治委員会組織が担ってもいて、今もなお大学寮の自治は40年ほど前と同じように健在だ。現在の寮費は月に4100円(光熱費・ネット代金・水道費込み)。京都大学の寮としては、最大の400人余りが入寮していて、そのうち80人余りが女子学生。個室部屋はなく、ほぼ4人〜6人部屋となっているそうだ。寮の玄関付近の立て看板や貼り紙などを見ると、「中核派に支配された寮」のようなイメージを強烈に受けるが、そうではないようだ。一部の寮生は中核派の学生もいるようだが、寮生のほとんどは中核派とは無関係というか、一線を画しているようだ。だが、そのような中核派の存在が寮内にあることも容認しているのが、熊野寮の自治。犯罪に関与するものは認めないが、その他はなんでも容認するという寮自治の伝統は、ここ熊野寮には濃厚に残って(守られて)いた。

 2018年に出版された本に、『京都大学熊野寮に住んでみた—ある女子大生の呟き』(福田桃果著)[エール出版]がある。この書籍のブック帯には、「それは月4100円(光熱・水道代込み)で住むことのできる、京都大学の学生寮 圧倒的汚さと楽しさを誇る」と書かれている。

■この熊野寮の伝統的な年間行事の一つとして、京都大学の時計台のある本部棟建物の時計台に、学生たち数人が梯子を掛けて登るという、いわゆる「時計台占拠」というものが、脈々と数十年にわたって続けられていた。そして、大学側もこれを黙認してきた歴史がある。だが、昨年の2021年、大学側は、この時計台に登った学生数名を無期停学処分とした。この「くまの夏の夜まつり」の会場では、処分を受けている学生が、「処分撤回」を求める署名活動をしていた。日本一の学問の自由と自治を誇り伝統としてきていた京都大学も、現在変わってもきている。

 特に、その「自由と自治」が大きく変わって来たのが2015年頃からだ。当時、京都大学の学長だったのは、霊長類学者として名高い山極壽一氏(70)だった。彼は2014年から2020年までの7年間、京大の学長だったが、このような「自由や自治」といったことには関心がないようで、京都大学の周辺に置かれた多種多様な「立て看板」の撤去にも踏み切った。京都市民からは「京大はんらしゅうて、いい光景やわ」と惜しまれた立て看板だったのだが‥。

 さらに、彼は、京大学長を兼ねながら、日本学術会議の会長職ともなった。だが、「自由や自治」に関心のない山極氏の会長時代の2020年、「6名の任命拒否」を菅内閣は行った。これに対する抗議も、山極氏はほとんどしてこなかった。山極氏の後任の梶田会長(ノーベル賞受賞者)は、この任命拒否問題の撤回を岸田内閣に真摯に要求している。山極氏は、2021年に京都大学を退官し、現在天下り先として、京都にある「総合地球環境学研究所」の所長になっている。まあ、京都大学の歴代学長の中で、最も「大学の自由と自治」に無関心な、京都大学にふさわしくない人物だったと、私は思っている。 

 この9月下旬に「安倍元首相国葬」が行われた。この国葬実施には、国民世論が二分され、国葬間近の9月下旬の世論調査では国民の反対は7割近くにものぼった。こんな反対世論の中、東京を中心に反対のデモや集会が開かれたが、テレビの報道番組で久しぶりに中核派のデモというものを見た。40年前と同じように「中核」と書かれた白いヘルメットをかぶり「安倍国葬阻止!改憲・戦争の岸田を倒せ!」の横断幕を掲げ、スクラムデモをしていた。

 ■「中核派」とは

「革命的共産主義者同盟全国委員会」というのが「中核派」の正式組織名。「反帝国主義、反スターリン主義の旗のもと、万国の労働者よ団結せよ」をスローガンに掲げる。資本主義だけでなく、ソ連や中国の社会主義も否定する。警察は1960年代末から70年代にかけて、「連合赤軍」や「核マル派」などとともに「極左暴力集団」に指定し、その指導者や幹部などは逮捕されたり指名手配をされた。現在、「中核派」は、「非合法活動」とは決別したとの声明を出し、「合法活動」をしているとしているともされる。京都大学熊野寮には、数人の中核派メンバーがいるようだが、2021年6月には京都府警の機動隊数十人による「家宅捜索」が熊野寮に対し行われた。出入りしている中核派メンバーの一人の「免許不実記載」という軽微な罪状での捜索だった。

 まあしかし、現在もここ熊野寮のようすには、私自身、懐かしさとともに40年ほど前とあまり変わらないようすに、驚いた。あの汚さには、中国の大学での寮生活(4人〜6人部屋)に慣れてはいる国費留学生の呉君にとっても、この熊野寮への入居の推奨は難しく感じた。

 この日「熊野寮」見学を終えて、京都大学医学部や熊野神社近くにある「からふねや珈琲店」に入った。猛烈な暑さのこの日だったので、抹茶練乳かき氷を注文し、しばし休憩し、近くにある次の見学寮、京都大学「吉田寮」に向かった。

 

 

 


国連緊急特別総会「ロシアのウクライナ併合非難決議」143カ国の賛成(74%)多数で採択される

2022-10-16 13:00:30 | 滞在記

 9月30日、国連緊急安全保障理事会(15ヵ国)での「ロシアによるウクライナ併合に対する非難決議案」が、常任理事国のロシアの反対(常任理事国拒否権発動)により採択とはならなかった。10ヵ国は賛成、中国・インド・ブラジルなど4カ国は棄権。このため、非難決議案の採択は緊急国連特別総会(193ヵ国)の場へと移ることとなった。

 10月10日から開催されたこの緊急国連特別総会において、60ヵ国以上の国々がこの問題に関して演説を行った。決議案の内容は、「ロシアによる違法な併合は、国際法の下では何の効力もない」という文章や、「即時停戦とロシア軍のウクライナからの撤退」の文章。ロシアの国連大使は、併合の正当性を改めて主張を繰り返し、議事妨害ともとれる要求(総会での投票は国名を書かない無記名投票とすることなど)をした。そして、この要求が拒否されると、会合議事途中に立ち上がりロシア代表団は退場していった。(※ロシアの「無記名投票」要求提案に対抗して、アルバニアからは、「ロシアの無記名投票提案は国連総会の透明性を脅かすものだ」として、公開投票の実施を要請、この「公開記名投票」提案に対する採決が行われた。この「公開記名投票案」は、賛成107ヵ国、反対13ヵ国、棄権39ヵ国。)

 国連総会での決議には、法的な拘束力はないが、国際社会の総意としての意味をもつため、何カ国が賛成するかが焦点となった。

 そして、この緊急国連特別総会が開催された10月10日、ロシアによるウクライナの首都キーウをはじめとしてウクライナ全土への激しいミサイル攻撃が行われた。クリミア大橋の爆破をウクライナによるものと断定し、その報復として、「その脅威のレベルに匹敵する規模で 厳しく報復する」と宣言した。10月12日付朝日新聞には、「ウクライナ全土報復攻撃―プーチン氏"橋爆破はテロ/連日ミサイル120人超死傷」「市民・インフラ標的—大統領府まで1キロ・公園遊具そば着弾/プーチン氏"突き上げられ"/欧米から防空システム」などの見出し記事。(クリミア大橋の爆破は、ロシア国防相の自作・自演との見方も出てきている。)

 10月10日・11日と二日連続でウクライナ全土の40余り(80余りの都市とも?)の都市を高性能ミサイルで攻撃したプーチン大統領のロシア軍。精密誘導ミサイルと呼ばれるそのミサイルは、10日には84発、11日には28発、合計112発もが発射された。10月12日付朝日新聞には、「ロシア新司令官"完全な冷酷"―強硬派の批判受けプーチン氏意向 10日の攻撃指揮か」「クリミアはロシアのレッドライン(兵頭慎治氏筆)」「よみがえる開戦期の記憶」などの見出し記事。2日間の攻撃で、死者は少なくとも44人、死傷者は200人以上にのぼった。その多くが民間人だ。

 日本の報道テレビ番組には、「プーチン氏窮地か"切り札(ミサイル)使い切る」「ウクライナ国防相発表―10日のミサイル84発中43発、13機の無人航空機を撃墜と発表」した。この二日間のロシアの攻撃で、ロシアは虎の子(超貴重な)の精密誘導ミサイルの在庫をほぼ使い切ったとも指摘されている。このため、今後、このミサイルを使用してのウクライナ攻撃は難しいと報道されていもいる。このためか、プーチン大統領は、「ウクライナ全土への攻撃の目的はほぼ達成した。これ以上の攻撃は必要ないだろう」と15日の会見で述べた。実は、ミサイルの在庫が少ないので、再びの攻撃ができないのが真の理由のようだ。(このミサイルは、一発が平均8億円、112発で約1000憶円。)

 この冷酷な無差別爆撃を直接指揮したのが、10月に入りロシア軍の新司令官に任命されたスロヴィキン将軍だ。残忍で冷酷な軍事行動をとる軍人として知られ、あだ名は「アルマゲドン(最終戦争)」との異名をもつ人物で、核兵器使用にも積極的な軍人だ。この人物が、ロシア軍NO2的な地位となり、ロシア国内の強硬派として知られるチェチェン共和国首長のカディロフ大将がロシア軍NO3となった。彼もまた核使用ためらわずの人物だ。

 一昨日14日(金)のABC放送系報道番組「大下容子のワイド・スクランブル」では、大和大学の佐々木正明教授が出演・解説。「攻撃を受けた都市40箇所以上」「標的となったのは発電所などのインフラ施設—ウクライナ国内のエネルギーインフラの約30%が損傷」「今の時期のウクライナは、東京の真冬の寒さと一緒で、今後マイナス20度まで下がる冬となる」

 「国民の戦意喪失を狙った可能性が高い」➡「しかし、このインフラへの大損失にも耐えようと、国民が一致団結し、ますますロシアに対する戦意が高まってしまった可能性が高い」(戦死した兵士を車に乗せて走行している車両に対し、反対車線の車は全て停車し、車外に出て全ての人が片膝をつき、車を見送る動画映像を紹介し、佐々木氏は、ウクライナ国民の戦意のますますの高まりを指摘していた。)  また、このウクライナ全土への攻撃を受け、欧米各国はウクライナの防空システムの緊急性も痛感し、アメリカやドイツは防空システムの本格的な支援に乗り出すこととなった。また、フランスやドイツも支援を行うもようだ。

 ロシア安全保障会議のベネディクト副書記(会議序列NO2)は、「もし、ウクライナがNATOに加盟すれば第三次世界大戦を引き起こすことになる」との声明を出した。

 ロシアのプーチン大統領ともパイプがあり、ロシアとウクライナの仲介をたびたびしてきていたイスラエルのラピド首相は10月10日、「市民に対するロシアの攻撃を強く非難する。犠牲者の家族とウクライナ国民に哀悼の意を表する」と、自身のツイッターに投稿した。

 そして、このウクライナ全土への攻撃があった期間も、ウクライナ軍によるロシア占領地域へのさらなる奪還がすすんでいる。特に、南部ヘルソン州の州都への奪還作戦が大詰めを迎えつつあり、ヘルソン州のロシア寄りの責任者は、住民の避難を呼びかける一方、ロシアの軍事支援を求めている戦況だ。

 このようなロシア軍の敗色をくい止めるために、プーチン大統領はベラルーシのルカシェンコと協議し、「ロシア軍とベラルーシの合同軍」を編成。ウクライナ北部に対する軍事的圧力をかけ始めた。15日には、ロシア軍がベラルーシに入国した。また、ベラルーシは、これまでにロシア軍に戦車を数十台軍事支援している。10月16日付朝日新聞には、「ロシアに戦車支援―ベラルーシ監視団体が確認 67台」の見出し記事。

 だが、ベラルーシの軍隊は5万人余りの軍事兵力であり小規模だ。そこで、ルカシェンコ大統領は、予備役の招集を検討し始めているとも報道される。だが、とても慎重にルカシェンコ大統領は考えてはいる。なぜなら、ベラルーシ国民の85%はロシア軍と共にウクライナに軍事介入することは反対と報道され、ロシア軍との共同出兵に賛成は数パーセントしかないと目されている。もし、独裁者ルカシェンコ大統領が、ロシア軍とともにベラルーシ軍を共同派遣したり、予備役の大規模招集をした場合は、国内で打倒ルカシェンコの大規模行動が起こり、政権が崩壊する可能性はロシアよりもかなり高い。

 そして、10月10日から始まった国連緊急特別総会では、12日に「ロシアによるウクライナ4州併合非難決議案」への投票が行われた。その投票結果は、193ヵ国中、賛成143、反対5(ロシア・ベラルーシ・北朝鮮・シリア・ニカラグア)、棄権(中国・インド・カザフスタン・モンゴル・パキスタン・南アフリカ・エリトリア・タイ・ベトナム・キューバ・エチオピア・アルジェリアなど)、無投票となった。今回は、ブラジルのトランプとも言われ親プーチン派と目されるボルソナロ大統領はなんと賛成に回った。(※9月30日の国連安保理事会では、決議に対し中国・インドとともに棄権だった。)

 ウクライナの国連大使は、「ロシアとともに投票した国が4か国しかないことに感動し鼓舞されています」とのコメントを述べた。

 10月14日付朝日新聞には、「ロシア非難 143ヵ国賛成—国連総会決議"4州併合無効"」「"自分事"に練られた決議—国際社会 薄れぬ関心 143ヵ国 過去の決議上回る」などの見出し記事。同紙の14日付「社説」の見出しは「対ロ非難決議 非道を許さぬ国際意思」。

■2014年の「ロシアによるクリミア半島併合」に関する、国連緊急特別総会」での「ロシア非難決議・併合は無効決議」では、賛成は100、反対は11、棄権は58だった。

■2020年3月2日の「ロシア非難決議・ロシア軍の即時撤退決議」では、賛成は141、反対は5、棄権は35、無投票は12だった。

■2022年3月24日の「ロシア非難決議・ウクライナでのロシアの戦争犯罪に伴う人権改善を求めた決議」では、賛成は140、反対は5、棄権は38、無投票は10だった。

■2022年4月7日の「ロシア非難決議・国連人権理事会でのロシアの資格停止を求める決議」では、賛成は93、反対は24、棄権は58、無投票は18となり、賛成93に対して、反対・棄権・無投票の合計100が上回っていた。

■そして今回10月12日の投票結果(国際社会の意向)へと変化してきている。

 このような国際社会の意向も踏まえ、トルコのエルドアン大統領が、再びロシアのプーチン大統領ともこの国連総会後に会談、また、アメリカのバイデン大統領にも働きかけて、停戦に向けた仲介をとろうと動いてもいる。

 10月16日付朝日新聞には、「プーチン氏 苦戦にじむ会見」の見出し記事。15日付同紙には、「旧ソ連国もロシア離れ—軍事支援ない同盟に不満/プーチン氏は結束訴え懸命」などの見出し記事。

 プーチン大統領が9月22日に発表した「部分的動員令」により、10月中旬までに約22人の予備役の招集が完了し、すでに一部はウクライナの前線に派遣されているとロシア側は表明、下旬までにはその招集が完了するだろうとも述べている。まともな武器や戦備が枯渇していく中、ベラルーシの軍事支援を得て、ウクライナの前線では、新たに招集した30万人余りの人海戦術で敗色を挽回しようとしているプーチン大統領。また、戦術核兵器の使用での戦況挽回も図る可能性もある。新たに招集された兵士たちもまた、プーチン氏の権力を守る楯(たて)として死傷させられていく。

 2月24日のロシア軍によるウクライナ侵略開始から2か月間ほどは、「いけいけプーチン!」「プーチンすごいぞ!」「プーチン頑張れ!」「プーチンは現代の英雄だ!」「ゼレンスキーは身の程知らずだ!大国ロシアに逆らうとは!」などという記事が溢れかえっていた中国の各種インターネット報道。だが、5月に入り、そのような言葉も影を潜め始め、この9月以降のウクライナ軍のロシア軍占領地への反撃・奪還が進む中、インターネットの「ロシアによるウクライナ侵攻」関連の記事もめっきり少なくなった。取り上げられていても、小さな記事で、一面・二面記事となることは少ない。

 今日10月16日、中国の何局かのネット報道を閲覧すると、「プーチンすでに22万の予備兵を招集」「ロシア、ウクライナ全土にミサイル攻撃」などの記事が少し掲載されている程度だった。

 中国にとって、このロシア・ウクライナ戦争の長期化によって、「①ロシアの石油やガスをとても低価で買いたたけること、②特に極東ロシアや中央アジアでの中国の存在感の高まり」など歓迎すべき点もある。だが、「①一帯一路政策の頓挫(とんざ)、特に東ヨーロッパ諸国からの中国への反発や離脱、②国連総会で棄権を続ける中国への国際的信頼度の低下」など苦しい点も多々多い。そして、中国が一番心配するのは、ロシア国民がプーチン政権への不満をさらに募らせ、ロシアがこのウクライナ侵略戦争にさらに敗色を濃くし、ロシアでも「カラー革命(民主化革命)」が起こり、プーチン政権が崩壊し、新しい民主化政権に変わることだ。また、核兵器の使用も止めたいところだろう。

 

 

 

 


山国さきがけフェスタ、三年ぶりに開催される―戊辰戦争期、山国郷士で編成「山国隊」の巡行も

2022-10-14 07:26:26 | 滞在記

  京都府の丹波山系にある京都市右京区京北町。その山系の山並は、京都市内を流れる鴨川に架かる四条大橋や三条大橋からも間近に眺められる。読んで字のごとく、京都市のすぐ北にある町が京北町だ。京都市の繁華街から25km余りしか離れていないこの京北町には6つの地区があるが、「山国地区」もその一つ。室町時代から皇室御料地(天皇家の領地)であった関係で、「尊王(勤王)」の伝統が今も息づく地区でもある。

 ここは、私の妻の実家があるところなので、結婚以来の40年余りここによく行くこととなった。地区の小学校のかっての名前は「山国(やまぐに)小学校」。(今は統廃合のため廃校となったが‥)

 毎年、10月10日前後の日曜日に山国神社の祭礼(還行祭)に合わせて「山国さきがけフェスタ」が開催されてきていた。だが、新型コロナ感染拡大問題で、この2020年・21年と開催が見送られていた。そしてこの10月9日(日)に、3年ぶりに開催された。(午前10時開始)  「山国さきがけフェスタ実行委員会」から、案内のハガキが9月下旬に送られてきていた。

 お昼の11時半ごろに妻の実家に到着し、すぐに山国神社付近の会場に行った。コロナ禍のため日本に滞在してもう2年半以上となっていたが、ようやくこの「山国さきがけフェスタ」を見ることができた。2013年9月に中国に赴任して以来、実に9年ぶりだ。とても見ておきたかった祭りでもあった。

 山国神社に続く参道には、たくさんの屋台が並び、名産の「鯖寿司」「ヨモギ餅」「納豆餅」「シシ鍋」などなどが販売され、多くの人で賑わっていた。参道周辺の丹波黒豆の広い畑では、畑の黒豆を鎌で無料で一般人に収穫させてもいた。

 季節の花、コスモスの畑でも、「コスモス畑—ご自由にお持ち帰りください(花摘み体験)、種代のカンパを」と書かれていた。100円をカンパして、両手で抱えるほどのコスモスを採らせてもらった。

 この「山国さきがけフェスタ」は、このようなたくさんの名産屋台を廻る楽しみや、畑に入り農産物や花を採る楽しみがあるのだが、一番の呼び物は、山国神社の神輿(みこし)や大太刀の巡行、そして「山国隊」の巡行だ。巡行前に、山国神社の鳥居の前で、70人余りの隊員が記念撮影をしていた。妻の兄(70歳代前半)の姿も見える。山国隊の隊列は、鼓笛隊と銃隊からなる。その隊列の先頭には、「錦の御旗(みはた)」が行く。

 この日は、午前中は曇り、午後からはあいにくの小雨の天気予報。神輿・大太刀、山国隊の巡行は午後1時過ぎから開始されるので、神社境内に置かれた神輿や大太刀は雨に備えて透明ビニールシートで覆われていた。

 稲が黄金色に実り、刈り取りは間近。そんな参道脇の水田。午後1時過ぎ、ぽつぽつと雨が降り始めた空模様の中、山国隊の巡行が始まった。

 参道脇のテントの一つには、この山国隊の歴史に関する展示もされていた。この山国隊は、明治維新へと続く戊辰(ぼしん)戦争[1868年]時期、公家の西園寺公望の呼びかけに呼応して、この山国地区の郷士や農民が編成した隊だ。隊員は83名、薩摩・長州・土佐などの東征軍(討幕軍)とともに、この山国から関東方面へと、「錦の御旗」を護衛しながら転戦している。83名中、7名が戦闘などで戦死した(負傷者も多数)。この戦死者を祀る神社も近くにある。(山国護国神社)

 この「山国隊」の特異性は、郷士や農民で組織された部隊であることや、鼓笛隊をも編成していることだ。「トコトンヤレ トンヤレ‥」のリズムや「ピーヒャラ、ピツピッピ」の笛のリズムで、鼓笛をする鼓笛隊は、大太鼓や小太鼓、そして笛から編成されていた。その伝統を今日まで引き継ぐのがこの山国隊。山国地区の男子の人々は、小学生の高学年になると、山国隊に入り、鼓笛の練習をすることとなる。私の妻の兄や弟たちも、みんなそうしてきている。

 京都の三大祭りの一つ、毎年10月22日に開催されている「京都時代祭」の先頭を行くのがこの「山国隊」。平安遷都千百年を記念して明治28年(1895年)に始まった時代祭行列に参加し、明治30年(1897年)からは行列の先導役を務め、山国隊は再び社会の注目を集めた。

 交通事情が今日とは異なる当時は、時代祭りに参加するだけで2泊3日、それも100名以上の大人数ともなれば費用もかさんだ。「秋の農繁期」とも重なり、大正6年(1917年)を最後に、この京北町山国地区の「山国隊」は、時代祭への参加を取りやめることとなる。大正10年(1921年)からは京都市内の壬生地区が、京北山国隊に代わる新たな行列「維新勤王隊」を組織し、今日まで時代祭の先導を務めている。そして、本家本元の京北町山国地区の「山国隊」もまた、脈々と受け継がれ、この「山国神社」の祭礼での巡行を行っている。

 小雨が降り始めた中、3年ぶりの「山国隊」の巡行が午後1時過ぎから始まった。コロナ感染対策のために巡行経路は2キロ縮められて4キロの行進となったが、山国地区の道を小雨の中巡行した。

 妻の実家の人たちも、沿道で隊列を見送っていた。妻の兄は笛を吹き行進している。彼は、笛の指南役でもあるようだ。

 10月10日付京都新聞には、「山国隊、りりしい行軍—京北さきがけフェスタ」の見出し記事が掲載されていた。また、10月9日(日)には、京都の平安神宮周辺一帯で「京都学生祭典」も開催されていた。10日付京都新聞には、「京都学生祭典 3年ぶり対面開催—平安神宮一帯/第20回目 感謝の"そでふれ"」の見出し記事。

 妻の弟の高室茂幸君(名古屋在住)もこの「山国さきがけフェスタ」に合わせて、久しぶりに京北町に戻ってきていた。夕方五時半に京都四条大橋ちかくの京都南座前にて待ち合わせをし、祇園白川石畳通りにある居酒屋侘助にて、2時間半ほど酒を飲みながら語り合った。彼とも3年ぶりくらいの再会となった。

 来週土曜日の10月22日(土)、これも3年ぶりの京都時代祭が開催される。今年は土曜日なので、たくさんの人々がこの時代祭を見に訪れることだろう。海外からの観光客も最近、京都市内でよく見かけるようになってきている。

 

 

 


京都大学への国費留学生が初来日した—4回生たちへの卒業論文の指導もすることに‥‥

2022-10-12 09:10:38 | 滞在記

 日本政府が招聘(しょうへい)する超難関の国費留学試験に合格した呉文潤沢(ご・ぶんじゅんたく)君が、京都大学に1年間留学するために10月5日に初来日した。彼は現在、私が勤務する閩江大学の3回生だ。出身は、大学のある中国福建省福州市。私は、呉君とのオンラインを通じて、この3月~4月にかけて、日本政府の国費留学試験に向けて、研究計画書作成や面接試験対策などの指導を行っていた。そして、7月上旬に「先生、私は合格しました!」との喜びの連絡が入った。

 国費留学試験日を間近に控えていた今年の4月中旬、呉君の父親(まだ50歳前後)が突然の病(やまい)で亡くなっていた。夫に先立たれた母親としても、呉君の日本国費留学合格は、将来の息子への期待としての大きな喜びだろうかと思われる。呉君が2回生の時の9月~1月までの前期授業で、私は「日語会話3」の授業をオンラインで担当をしていた。だから、まだ、呉君とは直接に会ったことはなかった。

 京都大学の後期授業開始の10月3日(月)に間に合うように、9月下旬には来日予定だったが、日本政府の文科省の航空券手配の都合で、10月5日の来日となった。5日の夜7時過ぎに成田空港着、翌朝の6日に関西国際空港に到着し、京都大学には午前中に到着。その後、大学の案内で、京都大学の留学生寮に着いたのだそうだ。そして、7日(金)からは大学の授業に早くも参加していた。

 その呉君から、「先生、自転車ノートパソコンを買いたいので、案内してもらえませんか」との連絡が6日に入っていた。留学生寮のある修学院地区から京都大学までは、交通機関としてはバスか京福鉄道(叡山電車)になるが、日本の交通機関は、中国人にしてみればべらぼうに高い。例えば、京都市内バスは230円(11元)するが、中国の市内バスは1元(20円)と、日本の約10分の1なのだ。だから、早く自転車は欲しいだろう。「なぜ、パソコンが欲しいの?中国から持ってこなかったの?」と聞くと、「小さなタブレットは持っていたので、日本に持ってきましたが、やはり日本ではノートパソコンは必要です。今までは、家で父と母が共有で使っていたパソコンを、私も時々使っていたのです」とのことだった。

 10月8日(土)、私もこの日はオンライン授業はないので、この日の午後に呉君の留学生寮がある京都市左京区の修学院に車で向かい、午後2時に、寮のある「京都大学国際交流センター修学院本部」に到着した。ここは、京都大学に6〜7箇所ある留学生・留学研究者たちの寮の一つだ。初対面の「初めまして」と挨拶から始まった。そして、車に呉君を乗せ、京都大学近くにある吉田山山麓の吉田山荘真古館(喫茶店)に向かった。

 この喫茶店で30分余りを過ごし、いろいろな話や、今日のこれからのスケジュールを打ち合わせた。たまたま、隣の席にいた女性が、私たちに「こちらは留学生の方ですか」と話しかけてきた。彼女は今、京都市内にある「京都日本語教育センター・京都日本語学校」の講師をしているとのこと。しばらく、彼女を交えて話をした。その後、京都大学や同志社大学近くにある自転車店(中古自転車もある"エイリン")2軒を廻り、購入する中古自転車を決めることとなった。それから、京都駅周辺の中古パソコン店や大手家電販売店(ヨドバシカメラ)などでパソコンを見て回った。

 そして、午後5時半頃となり、夕暮れが近くなってきたので、同志社大学の近くにある自転車店に行き、中古自転車を購入。呉君は、その自転車に乗って日没となった道を修学院の寮まで戻ることとなった。パソコンの方は、よく考えて商品を選び、後日に購入することとなった。

 閩江大学での前期授業が9月上旬から始まり、1か月半が経過した。2回生の「日語会話3」、3回生の「日語講演と弁論」と「日本概況」、4回生の「日本文学作品選読」の4教科を、週4日間の時間割でオンライン授業をしている。授業準備などもふくめて、それだけでもけっこう多忙な日々だ。

 台湾海峡を挟んで台湾の首府「台北」まで約150kmほどの距離にある中国福建省福州市(省都)。沖縄県の那覇市と同じ緯度にある亜熱帯気候の福州市だが、5月上旬から10月下旬までの半年間は夏の気候。この10月中旬になっても、30度前後の気温で、日傘の花がいまも咲く。

 夏の亜熱帯地方の花である、ブーゲンビリア、ハイビスカス、デェイゴの花々が、広い大学構内に今も盛りと咲いている10月中旬。年に3度は実るバナナ、そして、マンゴーの実も大きくなり黄色く色付く。

 亜熱帯地方の気候は、1月から6月までは、日本の京都よりも約1か月余り早く季節が移ろい、7月から12月までは日本の京都よりも約1か月余り、季節が遅く移ろう。日本の京都では9月上旬から咲き始める「芙蓉(ふよう)」の花は、福州では1か月ほど遅く10月上旬から咲き始める。

 5日ほど前の10月9日、大学の日本語学科の主任教員から、「4回生の卒業論文の指導教員の一人になってほしい」との連絡が突然に入った。これまでに、何度も卒業論文の指導教員になったことはあったのだが‥。でも、今回は突然だった。今学期は、4教科の授業だけでもけっこう忙しい。現在、閩江大学の日本語学科には、10名余りの中国人教員がいて、日本人教員は私を含めて3名だ。結局、この指導教員の依頼を引き受けることにしたのだが、オンラインでの指導は、それはまた、苦労ではある。中国人教員6人と私の計7人で、4回生38名の指導を分担(5〜6名)あたることとなった。

 現在の4回生たちとは全員、直接の面識はない。彼等が2回生となった時(2020年9月)に、初めて日本からのオンライン授業での映像を通じて顔見知りとなった間柄(あいだがら)。それでも、オンラインを2年間以上続けている間柄となると、一人一人に親しみも感じる。今学期は、「日本文学作品選読」の授業で毎週オンライン上で会っている。4回生38人のうち、3人は現在、広島大学に交換留学生として来日してきている。この11月~12月には、彼には京都に来て、「初めまして、そして乾杯!」をすることになるかもと思う。

 

 


プーチンによる核使用が現実味を帯びる―2022ノーベル平和賞(ウ・ロ・べなどの団体や個人へ)

2022-10-11 07:41:42 | 滞在記

 プーチン大統領がウクライナ4州のロシアへの編入を強行し、この強制編入を宣言した地方へのウクライナ軍による奪回を、「ロシア領土に対する攻撃」とみなし、核兵器使用など排除せず、あらゆる手段で反撃するとの勝手な・無法な口実を与えることともなったロシアによるウクライナ侵略戦争。

 前号ブログでも取り上げた、「報道1930」では、ロシアの非戦略核兵器「ポセイドン」のことが報道されていた。核兵器には、大別すると「①戦略核兵器(大陸間弾道ミサイル)と②非戦略核兵器(低出力核兵器)」がある。①の戦略核兵器は現在、ロシア・アメリカともに、約6000発余りを所有しているとされている。その1発の威力は、広島型原爆の約1500倍とされる。日本にもしこれが5箇所に発射され爆発したら、日本はほぼ壊滅する。②の非戦略核兵器は、その射程が戦略核に比べて短く、威力も小さいものだ。戦術核とも呼ばれる。威力は広島型原爆と同程度のものが一般的とされている。これをロシアは2000発余り、アメリカは200発余りを現在もっている。

 通常兵器ではとてもアメリカに太刀打ちできないロシアはこの10年間余り、ひたすら核兵器開発に力点を置いてきたと言われている。「ポセイドン」はこの②の非戦略核兵器に分類されるが、その威力は、広島型原爆の1000倍とされる最終終末核兵器だ。この「ポセイドン」は潜水艦から発射され、海中で爆発させる核兵器だ。通常の潜水艦では巨大な「ポセイドン」を水中発射できず、この「ポセイドン」が発射可能な潜水艦も数隻、ロシアは建造し就航させている。この潜水艦が北欧のバルト海や北海に移動してきたと報道される。「ポセイドン」による核の威嚇だ。

 「ポセイドン」とは、ギリシャ神話の「地震・津波」を起こす神の名前。これが海中で爆発すると、500~600mの高さの津波を引き起こせるとされる。かりに、ヨーロッパの北海から北アメリカ大陸のアメリカ東海岸に向けて発射されると、超巨大津波により、アメリカ東部の海岸沿いの都市の全ては海の藻屑(もくず)となり、海中に壊滅をする。しかも、コンピューター操作により、いかなる海底をも海中走行し、敵国潜水艦からの遊撃を免れ、爆破海中点も自在に操作できるため、最終末兵器と呼ばれたりもする。このようなものをプーチン大統領は開発をしていたのだ。このポセイドン掲載可能な潜水艦は、今後、日本海や太平洋にも配備される予定とも報道される。(ロシアは現在32基のポセイドンを保有しているようだ。)

 アメリカのサリバン国家安全保障担当補佐官は、9月25日、ロシアがなんらかの核兵器を使用した場合は、「ロシアに壊滅的な結果を与える」と警告した。プーチン大統領がウクライナなどで核兵器使用に踏み切った場合、アメリカは核兵器での反撃ではないかもしれないが、強力な通常兵器を使用しての大反撃を行い、ロシアのプーチン政権を壊滅させるとの強いメッセージを発したこととなる。

 10月5日に公表されたウクライナ侵略戦争へのアメリカ人の意識調査。米国人の約4分の3(73%)が、ロシアが核兵器使用の可能性に言及しても米国は引き続きウクライナを支援すべきと考えているとの意識調査の公表だった。(支持政党別では、共和党支持者の66%、民主党支持者の81%が支援継続すべきと回答している。)  8月の同意識調査では、「支援すべき」は51%だったので、武器支援継続の世論が、アメリカ国内で急速に高まってきていることが明らかになった。これは、11月に行われる米国の中間選挙にも影響を与えると予測されている。

 池上彰氏は、テレビ報道番組で、「ロシアが期待する"冬"と"あの人"」と語っていた。これからの冬期により、燃料費が高騰するヨーロッパ諸国での分断、"あの人"とは米国の前大統領トランプ氏の2024年大統領選挙での復活への期待。

 10月8日付朝日新聞。「強権に抵抗、平和賞—ベラルーシ活動家、ロシア、ウクライナ2団体/侵略さなかノーベル賞」「欧米は歓迎や称賛、中国は沈黙」、「ノーベル平和賞—圧政に抗する活動の力」(社説)などの見出し記事が掲載された。

 10月10日付朝日新聞。「自由のため、人権のため—ノーベル平和賞 それぞれの決意—ウクライナ"市民自由センター"、ロシア"メモリアル"、ベラルーシ"ビャリャッキ氏"」の見出し記事。ビャリヤッキ氏は獄中にあり、その受賞を知らない可能性もあると報道されていた。

 10月8日、ロシア本土とクリミア半島をつなぐ唯一の橋「クリミア大橋(2018年完成)」で劇的な大爆破が引き起こされた。ロシア本土側から来た個人所有のトラックが大爆発、大火災が発生した。プーチン氏肝いりの大橋の爆破、ウクライナ諸州併合の記念碑的・象徴的な橋だけに、ロシア側は大きな威信ダメージを受けたこととなった。この出来事に関し、ウクライナのポトリャク大統領顧問は、「これは始まりだ。違法なものはすべて破壊する必要がある」とのコメントを行った。

  この事件は、ロシア国内のウクライナへのロシア人協力者が、ウクライナの工作機関と共同して行ったものとの見方が有力だ。ウクライナの首都キーウの広場に置かれたクリミア大橋爆破の絵の前で写真を"喜び自撮り"する人たちの映像も報道されていた。(ウクライナは、この橋はウクライナ領海上にあるとしている。)