彦四郎の中国生活

中国滞在記

人生賭け約1030万人が「高考」に挑む❷すべての道は高考に通じる―農民工の母と娘の「高考」物語

2019-06-13 04:49:22 | 滞在記

 6月7日(金)、中国の大学入学試験「高考」の第一日目が始まった日の夕方、日本のテレビ報道番組でも「高考」に関するニュースが報道されていた。

 「人生賭け1030万人が挑む"超学歴社会"中国で大学入試」「"超学歴社会"中国、街は"高考"一色」「全国統一の大学入試、2日間の日程で行われる」「中国全土で1030万人が受験」「受験者のうちの70%が大学に進学できる」のテレップが流れる。

 「親も赤い服でゲン担(かつ)ぎ」「1回の試験で入学できる大学が決まる=一発勝負」「会場周辺―バスやクラクションや工事現場の騒音が出る作業が禁止される」「人民大学付属高校の後輩たち―赤いユニホームを着て受験生頑張れ!」「"高考"=人生を決める試験」のテレップ。インタビューを受けた受験生は、「両親がずっとそばにいて励ましてくれたので感謝しています」や「緊張しています。12年間勉強してきたから頑張ります」と答えていた。

 「高考」が始まる2日前の6月5日(水曜日)の夕方、中国全土の高校では、1・2年生や教職員、保護者などが参加しての壮行会が行われていたことが、翌日6日の中国のニュース報道でされていた。中国では今も「科挙(かきょ)」の伝統が生き続ける国だ。「高考」で高得点をとり、北京大学や清華大学や復旦大学、上海交通大学などの大学への入学が決まれば、地方の方の学生であれば、地元の新聞やテレビ局で親子ともども報道されることも珍しくない。(このような人のことを「状元」と呼ぶ。「状元」とは科挙合格した人のことである。) また、中学や高校では、成績の優秀な生徒は、定期的に正門前に顔写真入りで数名が掲示される。この傾向は、地方の町ほど顕著になる。

 中国の現在の小中高の学校教育を一言で表せは、「すべての道は"高考"に通じる」である。「文武両道」とか「知徳体」とかが日本の教育では重視されるが、中国ではそうではない。「武がなくて"文"だけ」「徳・体がなくて"知"だけ」となっている。このため、体育や芸術系(図工など)などの授業数は極端に少なく、もちろん家庭科目・技術科目はない。中学・高校でのクラブ活動もない。小学校の教育から、「いかに高い点数をとるか」がほぼ重視される。小学校での宿題の量の多さも半端ではない。スポーツや芸術は、やりたければ個人がそのような教室に通うこととなる。オリンピックなどに出る選手の育成は、10才くらいから育成するそのような学校が全国各地にたくさんあるが、芽が出なかったらそれまでである。この世界も激烈な競争の世界である。いずれにしても、日本のテレビ局が「人生賭けて」と表現するのはけっして大げさな話ではない。

 中国の「科挙」試験制度は、「隋王朝(589年—618年)」の時代から始まり、そして「清王朝」が滅亡する2年前の1910年まで脈々と続いた国家的試験である。地区試験(郷試)や地方試験(現在のほぼ省単位)、そして 地方試験に合格した者のみが参加できる最終的な首都での試験の三段階の試験があった。郷試に合格するだけでもたいしたことで、その地区の役人になることができた。

「科挙」の伝統の影響が強く、中国では伝統的に「文武両道」ではなく、「文高武低」の価値観があり、国家精神的には「文」に価値が置かれてきた世界である。「科挙」の試験を受験する者は、役人や地主や分限者のように立派な屋敷を構えている家の息子だった。そして、今は、家庭に少しの余裕があれば、誰でもが大学受験をできる世の中になっている。大学進学率は40%近くにまでなっているが、今年のように1030万人の受験生全員がどこかの大学に入学できるのなら、大学進学率(短大を含む)は50%ちかくまでいくだろう。(※日本は現在52%くらい)

 そんな「高考」であるが、1年ほど前の2018年7月の中国のインターネットに「女孩高考701分、給母親报喜、電話忘挂断、那頭的対話让她楞住了」という見出しの印象的な記事が掲載されていた。「ある女生徒が高考で701点という高得点をとった。母親に大きな喜び・歓喜を与え、電話を受けてそのことを知った母親は歓喜で茫然としていた。」というような意味となる。記事の内容はおおまかには次のようなものだった。

 生徒の名前は張静怡という名前で、母一人子一人のどこにでもある母子家庭だが、彼女の場合は比較的いろいろ苦労が多かった。彼女が6才の時、父親が他の女とできてしまい、妻と子供のいる家を去ってしまった。母の張麗は、その後再婚せずに、我が子一人のために仕事に励んだ。暮らしが苦しいため、一日に3つの仕事をこなし、睡眠時間は毎日4時間くらいしかとらなかった。

 娘が中学にすすみ、学校の寮生活をするようになってから、もっと稼ぎのいい都会での農民工(出稼ぎ労働者)となって、母と娘が会えるのは年にわずかだった。母親は伝統的な女の人で、子供を読書が大好きな子に育てた。小さい時から賢く勉強が大好きな我が子に一片の人生の光明を見つけ、辛い仕事にもがんばった。そして、大学に進学させることを考え始めた。

 7月中旬に、張静怡に高考の成績通知が届いた。総合得点は701点。700点越えという超高得点であった。その結果を、電話で母親に伝えた。母は、歓喜で茫然としていた。母親のいままでの言葉につくせない苦労が報われた瞬間だった。娘は母の苦労に報いた。大きな大きな孝行である。

 ※記事はこのようなものだった。

◆「高考」の総合得点の満点は780点てある。701点という得点はとても高い得点であり、日本での偏差値でいえば、「90」くらいに相当する。東大や京大の医学部に合格できる点数である。中国の大学では、600点以上あれば100位以内のランキングレベルの大学はもちろん、50位以内の超有名大学にほぼ合格できる。701点という得点は、北京大学や清華大学にゆうに入学できる点数でもある。

 現代中国では、日本以上にどのレベルの大学に入学できたが重視される。大学レベルによって、給料も格差があるのが当然視される社会だ。(韓国もそうだが)  いわゆる「高考」の結果がその後の人生に大きく左右する。どんなに貧乏な家庭の育ちや家庭環境であっても「高考」によって人生に這い上がれるチャンスがある社会であることは、日本の比ではない。

 私が今暮らすアパートの部屋は、私が入居する以前は、「母と娘」が二人で1年間暮らしていた部屋だ。娘は高校3年で6月の「高考」に備える日々だったようだ。午後5時ころに正規の授業が終わった後も、だいたい午後6時ごろから夜の10時ころまで教室で補習(※有料)をほとんどの生徒は受けたり、自習したりしているのが中国の高校3年生の学校生活だ。だから、学校の近くに部屋を1年間だけ借りて母娘で生活。週末の土曜日の夕方には平日は父が一人で暮らす自分の家に母と共に帰りしばしの一家団欒、また、日曜日の夜にアパートに戻るという生活をしていたようだった。「高考」終了後の6月末まで入居していて契約を解除し自分の家に引っ越していった。そして、7月上旬からは私がこの部屋に入居した。

 私が教えている学生たちに「高校3年生」の思いでを聞くと、ほとんどの学生たちからは、「勉強勉強勉強勉強で頭がおかしくなりそうな、辛い、あまり思い出したくない1年間」というようなニアンスの答えが返って来る。ちなみに、中国の高校では「恋愛禁止」である。しかし、これは、なかなか禁止できるものではないのが実情だが。あまり、恋愛の態度が学校内で好ましくない場合、保護者は学校に呼ばれて指導される。まあ、これも、2015年ごろから中国の10代の世代の大きな意識変化で「規制」が難しくなっていて、教師たちを悩ませているとも伝えられる。教師評価は、生徒がどのレベルの大学や高校や中学に進学したかが重視されることが中国では当然視されている。

◆かって日本では、1970年代から80年代にかけて「受験地獄」という言葉が新聞やテレビでも使われたが、その言葉は、中国の「高考」のようすをみていると、中国にこそあてはまるような感じさえする。日本では「地獄」ではなく、「受験苦労」というくらいの表現の程度になるかと思う。中国のような「一発入試」ではない。中国の受験生たちのプレッシャーはすごいものがあるが、12年間で勉強へのエネルギーを使い果たしてしまうからか、別の要素もあるのか、大学に入学するとあまり「積極的」な学びというものをしなくなるのも中国の学生の特徴でもある。「別の要素」というのは、「自ら考え自ら学ぶ」ということが、中国の高校生や大学生には育っていない。

 自主的な学びというものを小中高校、及び大学でほとんど経験しないのが中国の学生たちである。(※大学での講義受講は、必修科目の受講が圧倒的に多く、選択科目の受講というのは極端に少なく、20%以下かと思う。日本のように選択科目受講の制度が重視されず、極めて貧弱。) だから卒業論文などのテーマを学生たちが考える場合でも、受け身の勉強ばかりしていた学生たちなので、なかなか苦労するが、大学の教員が学生のテーマを指定する(※「あなたは このテーマで卒業論文を書きなさい」と)ことも普通に行われているのが中国だ。

 私は、3回生の「日本概況」の授業の中で、「日本の教育制度」についても教えるが、日中の教育を比較しながら説明している。学生たちの反応・感想は、「中国の教育問題はこのままではだめだ」というものが多い。卒業論文で「日中教育制度比較と中国の教育の問題」をテーマにする学生もいるし、日本の大学院に留学して、日中教育制度比較を研究している教え子もいる。今後、中国の学校教育はどのように変遷していくのだろうか。改革されていくのだろうか。現状の「すべてが上位下達の社会・国家体制下」では、かなり難しい問題のようだ。

 

 

 

 


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