昨年の2023年12月18日から年末にかけて、「逃亡20余年、労栄枝、死刑執行」という意味のインターネット記事が、中国の各ネット記事の一面に掲載されているのがよく見られた。彼女の死刑が執行されたのかという感慨があった。小学校の教員時代(21歳頃の写真か)に撮られたと思われる一枚の労栄枝の白黒写真を見ると、日本の女優の大原麗子にとても似ている印象がある。
中国のインターネット検索に「360百科」というものがあり、さまざまな事項について検索できる。その「360百科」や、2023・12・24付のジャーナリスト・近藤大介氏のネット記事なども参考・引用(※印の文章)にして、「不良に恋し、"連続誘拐殺人犯"に堕ちた美人教師の23年間余りの逃亡生活、そして、ついにその逮捕」に至ったAI監視カメラ大国の現代中国の一面について書いおきたい。
「魔女」「鬼女」、「女魔頭」だの言われ、1996年から「連続殺人犯」となり、23年間逃亡生活を過ごし、2019年についに捕まり、2023年12月に死刑執行された劳荣枝(Lao rongzhi)。※日本語読みにすると労栄枝(ろう・えいし)。
中国の大河・揚子江の中流域にある港町・江西省九江(きゅうこう)市。揚子江と中国最大の湖である洞庭湖の結節地点にあるこの町は、古代のいにしえから、中国の景勝の地としても漢詩によく詠われた地だ。※労栄枝は1974年12月14日、5人兄弟姉妹の末っ子としてこの町に生まれた。少女時代から学業に優れ、ピアノや絵画でも才能を発揮した。おまけに美人で聡明。その才色兼備ぶりが地元で評判ともなり、1989年に15歳で、特例として九江師範学校(3年制の大学)への入学を許可された。三年後に同学校を卒業し、18歳で九江石油分公司(当時、地元で最大の国有企業)の子供たちが通う、国営企業付属小学校の教員となった。(※近藤氏の文章)
※1995年、21歳のある日、彼女は、地元のホテルで行われた友人の結婚式に出席した。そこで、やはり出席者の一人だった、これまでの人生で出会ったことのないタイプの男に一目惚れしてしまう。その野性的・ワイルドな青年・法子英(Fa ziying)※日本語読みにすると(ほう・しえい) は、当時の月給300元(約6000円)の小学校教員では考えられない7000元(約14万円)もする大型バイクに乗って、結婚式場に現れた。すでに前科何犯を重ねていたが、地元のチンピラ・不良仲間からは「法老七」と呼ばれ、一目置かれる存在だった。(法は労よりも10歳年上) (※近藤氏の文章)
※この日を境に、無法者の不良チンピラと模範的な小学校教員という珍妙なカップルが生まれた。ほどなくして、彼女は小学校教員の職を辞めてしまう。そして、反対する家族のもとを離れ、法子英と同棲を始めた。以後、二人は主に、古典的な美人局(つつもたせ)による恐喝によって生計を立てるようになった。(※近藤氏の文章)
■上記写真、左より2枚目は南昌市のシンボルである「滕王閣(とうおうかく)」。江南三大名楼の一つとされる。私は2013年11月に南昌に行った際にこの楼を見たが、巨大な名楼閣だった。左より4枚目は江蘇省常州市、5枚目は安徽省合肥市。
二人は、地元の九江市からはるか南にある同じ江西省の省都・南昌(なんしょう)で暮らし始めた。※労栄枝がカラオケバーなどに勤め、お人好しで金をけっこう持っていそうな客を誘惑し、自宅(出租房/賃貸アパート)に連れ込む。そして、二人がセックスに及ぼうとなったところで、法子英が突如現れ「オレの女に何をしている!」と脅し上げる。それで、客から大金を巻き上げるというやり方だ。1990年代後半、中国は未曾有の高度経済成長の始まりの時期の頃だったので、事業で成功して金持ちになる人が全国的に増えてきた時期であったのだ。(※近藤氏の文章)
※1996年のある日、労栄枝は、熊(シオン)という姓の「上客」の男を、自宅アパートに誘い込んだ。そこへ、法子英が現れたが、誤って凶器で熊を殺してしまった。その後、二人は示し合わせて、熊の遺体から身分証と自宅の鍵を奪い取り、身分証に記された熊の自宅に向かった。二人は熊の自宅に上がり込むと、「夫を誘拐している」と言って、熊の妻と3歳の娘を脅しつけ、家にあった現金20万元(約400万円)を奪う。そして、妻も子供もその場で殺してしまい、その他のカネ目のものも奪って家を出た。警察の追っ手から逃れるため、二人は南昌の町を離れた。(※近藤氏の文章)
1998年、二人は江蘇省常州市に潜伏しながら暮らしていて、ターゲットにする男を物色していた。そして、ターゲットにした男をアパートに連れ込み、拘束し、男の妻に身代金を要求。7万元(約140万円)を奪って逃走した。
※1999年、二人は、安徽省の省都・合肥市に流れ着いた。家賃500元(約1万円)のアパートを借り、労栄枝がカラオケバーに勤め、「獲物の男」を物色し始めた。そして殷(いん)という姓の男(35歳)に狙いを定めた。労は殷を誘ってアパートに引き入れ、そこに法が現れて、殷をアパート内にある檻(おり)の中に閉じ込めた。そして殷に妻あての手紙を書かせ、30万元(約600万円)の身代金を用意させた。(※近藤氏の文章)
※翌朝、法子英は身代金の受け取り場所に向かった。その際、労栄枝に、「もしオレが昼の12時半までに戻らなかったら、人質を殺してこの町から逃げろ」と言い含めた。結局、殷の妻は警察に通報しており、警察は激しい銃撃戦の末に、法子英を逮捕した。(※近藤氏の文章)
※一方、法の帰りを待ちわびていた労は、夜10時になっても帰らないので、覚悟を決めて、檻の中の殷を殺した。そして荷物をまとめ、「私は先に行きます。愛しています」と法に書き残してアパートを出て行った。労が向かった先は、二人がいざという時に落ち合う場所に決めていた、中国内陸の大都市・重慶市だった。警察は中国全土に指名手配をかけてCCTV(中国中央電視台[中央テレビ])なども駆使して必死の捜査を行ったが、労栄枝は見つからなかった。(※近藤氏の文章)
逮捕された法子英は、合肥市での事件の同年1999年12月、「1996年以降、計7人を殺害した罪」で死刑が執行された。
四川省にある、特別行政都市・重慶市にまず逃れていた労栄枝は、その後、全国各地逃亡し、それから20年間が経過した。
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