自宅からほど近い、桂川・宇治川・木津川の三川合流地(三川が合流して淀川となる)にある背割堤(せわりてい)。宇治川と木津川との間の堤防の、1.4kmにわたって桜の巨木200本余り(ソメイヨシノ)が続く。ここは、京都市中心部と大阪市中心部とのほぼ中間地点にあり、京阪電車の「石清水八幡宮駅」からも徒歩6〜7分と近く、桜の季節となれば野趣溢れる桜並木を求めてたくさんの人が訪れる。(日本の全国桜名所人気地第6位にランクインされる) 2022年までの3年間は、コロナ禍自粛のために、ここでの飲酒は禁止されていたが、今年は全面解禁となり、桜の下での宴会やバーベキュー(エリアは限られるが)なども行われるだろう。また、昨年に引き続き40軒あまりの露店が店を出す。もちろんトイレもある。
ここの桜の開花の前に、背割堤の入り口近くに2本の大きな「ハナモモ(桃)」の木の花が開花する。3月12日(日)の早朝8時頃に、この桃の木の開花状況を見に行った。
桃の花はピンクの蕾が膨らみ、十数輪が開花していた。近くにいた背割堤の(手入れ)をしているおじさんが話しかけてきて、「昨日、ようやくこの桃ノ木は開花したんですわ。10日間ほどで満開になりますんですわ。この桃ノ木が満開になる頃に、ここの桜が開花します。ですから、ここ背割堤の桜の開花は、今年は3月22日頃かと思います」とのこと。
堤防沿いに、タンポポ、仏の座(ホトケノザ)、ナズナなどの春の野草も花を咲かせ始めていた。
この背割堤から徒歩16~17分ほどのところに、淀城址がある。城の石垣の上には、この時期、河津桜が数本あり満開となっていた。(3月12日) この淀城址から徒歩5〜6分ほどのところに、西日本では最大級の300本ほどの河津桜並木がある。
3月12日(日)、この日は天気も良く、河津桜並木も満開となり、見頃を迎えていたので、朝の9時頃にも関わらず、すでにたくさんの人が桜見に来ていた。
中華圏からの人たちもけっこう来ているようで、中国語が飛び交ってもいた。漢服にて写真を撮る人の姿も‥。
―河津桜とは―昭和30年(1955年)に静岡県の河津町(伊豆半島東岸)で原木が発見された新種の桜。昭和41年(1966年)に初めて開花。昭和49年(1974年)に河津桜と命名された。早咲きの「大島桜」と「寒緋桜」の自然交配種と推定されている。ソメイヨシノより花色が濃いピンク色で、開花が早く長く咲き続けるのが特徴。
京都市伏見区淀の河津桜の始まりは、淀の人が伊豆を訪れた際に2本の河津桜の苗木を購入し、京都市の許可を得て淀水路沿いの緑地に植えたのがきっかけで、地元の人たちによって植樹がすすすみ、現在は1.5km300本余りの河津桜並木となっている。(京阪電車の淀駅から徒歩10分ほど)
2002年にたまたま伊豆の河津桜を見に行った、淀在住の川崎莞爾さんが、泊った旅館に頼んで河津桜の苗を2本送ってもらって(1本3500円)、それを植えたのが、ここの「淀の河津桜」の始まりだった。この2本の苗木から成長した河津桜だけは、とても開花が早く1月中旬ころに開花し、2月上旬から中旬に満開となり見頃をむかえるため「淀の正月桜」とも呼ばれる。
「淀の正月桜(河津桜の一種)」はかなりの大木になっているが、3月12日のこの日にはすでに花は散っていた。近くの木蓮(もくれん)の大木の白い花がかなり開花していた。
3月上旬から中旬にかけては、ここ淀の河津桜、そしてここから徒歩17分余りの背割堤では、3月下旬から4月上旬にかけてソメイヨシノが咲き誇るという、関西屈指の桜のエリアの一つかと思う。
3月12日(日)、この日の夕方、私の自宅に中国からの留学生が二人やってきた。(呉君―閩江大学の3回生で、現在、京都大学に1年間国費留学中/任君―閩江大学の卒業生で、現在は大阪大学大学院博士課程に在学中) 呉君は、京都大学の留学生寮で使っている小さな鉄製フライパン(とても重い)や牡蠣(かき)、卵などの材料を持参し、中国家庭料理を一品作った。私の妻は「手巻き寿司」を準備してくれて、4人で乾杯となった。
私の中国渡航も、あと2週間後に迫った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます