彦四郎の中国生活

中国滞在記

東京へ行く❸恐竜博2019①国立科学博物館で、かって発掘調査した懐かしい恐竜化石たちが展示

2019-08-18 07:57:50 | 滞在記

 朝日新聞の号外号でも紹介されていた「恐竜博2019」が、東京・上野の国立博物館で開催(7/13―10/14)中だった。私は8月7日午前9時半頃に行ったが、ものすごく多くの人が来ていて、入館は順番待ちとなった。

 この恐竜博2019の展示の目玉(注目展示)は3つあった。一つ目はモンゴル・ゴビ砂漠で発見されたものすごく長い手に巨大なかぎ爪をもった「ディノケイルス」という恐竜である。この恐竜は長年「謎の恐竜の巨大な手」とされていた。二つ目は映画ジェラシックパークでも登場して衝撃を全世界に与えたヴェラキラプトルのモデルとなった恐竜「ディノニクス」である。そして三つ目は日本の北海道むかわ町で発見された草食恐竜の「むかわ竜」。これら3つの他に、モンゴル・ゴビ砂漠で発見・発掘された「タルボサウルス」や「オビラプトル」、アメリカで発見・発掘された「ティラノサウルス」なども展示されていた。

 これらの恐竜は、私が1994年から2002年にかけて ほぼ毎年のようにアメリカ(4回)やモンゴル(4回)での恐竜発掘調査団の一員として行っていた時に出会ったり発掘した恐竜であったり、関係の深い恐竜なので、懐かしさもありこの恐竜展に来た。特に、「ディノケレス」に再会したかった。

 一つ目のディノニクスは1969年にアメリカで発見・発掘された。恐竜研究の新時代はこの恐竜化石の手首や鋭いかぎ爪の指先から始まったとも言える発見だった。アメリカのイエール大学教授ジョン・オストロム(古生物学者)は、この恐竜の研究を続けた。その研究内容は「これまでの恐竜に対するイメージを大きく変えるもの」であった。それまでの恐竜観は愚鈍な変温動物とみられていたが、このオストロムの研究により、すばしこくて おそらく恒温動物であり 集団行動もできる動物へと恐竜観を劇的に変化させた。「恐竜ルネサンス」とよばれる時代となり現在に至っている。

 このディノニクスは1990年代に世界の人々に空前の衝撃を与えた映画「ジェラシックパーク」で、名前は「ヴェラキ・ラプトル」として登場したあの怖ろしい小型肉食恐竜のモデルともなった恐竜である。それらの手足指の本物化石の展示物。かなり大きく鋭いかぎ爪は やはりすごい。モンゴル・ゴビ砂漠での発掘調査で、このディノニクスの近縁類種であるヴェラキ・ラプトルの発掘にかかわったので、懐かしさを感じる。

 二つ目の「ディノケイルス」はモンゴル・ゴビ砂漠のネメグトという場所で1965年に発見された「巨大な腕と手とかぎ爪指」のある恐竜化石だ。私もこのネメグトには2000年と2002年の2回発掘調査に行った。ネメグトとその周辺は「恐竜の黄金郷」とも「恐竜の桃源郷」とも古生物研究者たちからよばれる場所で、さまざまな恐竜化石が峡谷のいたるところにゴロゴロしていた。まさに世界の恐竜研究者たちの憧れの発掘調査地だが、そこに至るまでの道のりはものすごくたいへんな行程をともなうところだった。ここネメグトには小型の蠍(サソリ)が生息していたので、テントにサソリが入り込まないように工夫が必要だった。ゴビ砂漠の夏は、日中は50度になるが夜には10度を下回る。テント内き暖かいのでサソリ入って来やすくなるからだ。

 1965年に「ポーランドの古生物研究者たちとモンゴル地質アカデミー古生物研究者たち」の合同チームがこのネメグトで発見した巨大な腕・手・指の化石は、「ディノケイルス」と名付けられた。「ディノ(怖ろしい)ケイルス(手)」という意味である。ちなみに、恐竜を英訳すると「ディノサウルス」となる。「ディノ(怖ろしい)サウルス(とかげ)」という意味である。

 当時はこの左右の腕・手・指とかぎ爪しか発見されなかったので、その恐竜の全体像はわからなかったので「謎の恐竜」だった。私が4回、ゴビ砂漠の恐竜発掘調査の一員として参加した時に同行したモンゴル人古生物研究者(モンゴル・地質アカデミー)のナルマンダフ博士(女性)は、1965年のポーランドとの合同調査に参加していてこの「ディノケイルス」の化石を共同発掘した一人だった。

 1996年に初めてモンゴルでの恐竜発掘調査に参加した時、首都ウランバートルにある「モンゴル自然史博物館」に「この謎の恐竜化石の腕・手・指とかぎ爪」がぽつんと展示されていた。今、この恐竜博2019に展示されているものと同じものだった。とても懐かしい。

 1965年の発見から40年後の2005年、この謎の恐竜化石の他の部位の骨格が多く発見・発掘され全貌が解明されてきた。頭骨部分や背骨や後ろ足や肩甲骨や座骨などなど。いままで発見された1000種類余りの恐竜化石の中でも手の長さとかぎ爪の大きさでは群を抜く恐竜だ。腕と手のの長さが2.4mもある。頭からしっぽの先までの長さは全長11m。

 モンゴル・ゴビ砂漠で発見されたタルボサウルスが恐竜博2019で展示されていいた。しゃがんでいる姿のタルボサウルスのレプリカ全身骨格模型のようだが懐かしい。この化石の本物はモンゴルの自然史博物館にて展示されていた。タルボサウルスはアメリカで発見されたティラノサウルスと同型の恐竜だ。かっての日本帝国海軍の戦艦「大和」をティラノサウルスとすれば、タルボサウルスは戦艦「武蔵」となる恐竜の種だ。この2種の近縁恐竜をモンゴルやアメリカで調査発掘したので、実物ではなすが、また会えたねと懐かしい。

 モンゴル・ゴビ砂漠で発見されたオビ・ラプトルの化石も「ロミオとジュリエット」と名付けられたものが展示されていた。猛烈な砂嵐によって生きたまま埋められて同じ場所で抱き合うように化石となった雄雌2体の化石だ。このオビ・ラプトルも鋭いかぎ爪をもつ。私もこのオビ・ラプトル化石の発掘を行ったことがあった。やはり懐かしい。

 三つ目の「むかわ竜」は、ハドロサウルス類という草食恐竜の一種に属する恐竜化石。全身の80%が発見・発掘されたものを実物展示している。まあ、日本での発見としては一級品だろう。このハドロサウルス類の化石はモンゴル・ゴビ砂漠ではものすごく多く発見されている。むかわ竜よりもっともっと大型のハドロサウルス類だ。私もこの恐竜の化石は 例えば、全身骨格の多くを残すものを発掘調査地で見ているが、珍しくもなく研究の価値があまりないということで、モンゴルの研究者たちは あまり関心をはらわなかったので、発掘もされなかった。あまりにゴロゴロしているので、特に研究的に貴重なものでないと 見向きもされなかった。しかし、ここ東京で会えるとは これも懐かしい。

 ティラノサウルスの全身骨格レプリカが展示されていた。懐かしい。私はこのティラノサウルスの全身骨格発掘にアメリカ・サウスダコタ州の発掘調査地で発掘の一部に参加したことがあった。世界で最もすごいといわれている恐竜化石がある。ここサウスダゴタの「ブラックヒルズ地質・古生物研究所」のピーター・ラーソンたちが発見・発掘したティラノサウルス全身骨格(90%は本物)化石だ。「スーザン」という人が初めに発見したので「スー」という名前が付けられている。現在はアメリカのシカゴ自然史博物館に展示されている。

 同じ近縁のモンゴル・ゴビ砂漠でのタルボサウルスとともに懐かしい。今、タルボサウルスの後ろ足の大きな爪と背骨骨が私の手元にある。

 「K/pg境界層」の地層が展示されていた。「k-T境界層」とも呼ばれるこの黒っぽい地層は、ウラジウムという物質が多く含まれている。この層は、恐竜絶滅に関係する直径10kmにも及ぶ巨大隕石の地球への衝突(メキシコ・ユカタン半島沖)に約6500万年前に落下した時に形成された層だ。この巨大隕石の衝突により、地球上は「核兵器が数多く同時に爆発したような」状況となり、「核の冬」とよばれる環境に似た環境となった。このため、地球の歴史上5回あったとされる生物大絶滅期のうちのこの大絶滅では、生物種の75%以上が絶滅したとされている。この時に降り積もってできた層だ。

 私はアメリカ・サウスダコタ州の発掘調査地にもこの層があったので、発掘調査団の許可をもらい日本に研究用に持ち帰った。この層の現地での厚さは50cmほどがあった。この層より上の新しい時代の地層からは恐竜化石は、世界のどこを探しても発見されていない。数年間をかけて絶滅が進行したからだ。k/pg境界層も懐かしい。ここの発掘調査地にはガラガラ蛇が生息していたので、まばらな草地を歩く時には緊張したことを思い出す。

 この「恐竜博2019」の監修者は二人。一人は、ここ国立科学博物館の古生物部門研究者・真鍋真氏、もう一人は、北海道大学総合博物館教授・小林快次氏。小林氏は「むかわ竜」の発掘調査研究にもたずさわった人だ。近年は、よくモンゴルにも行っているようだ。私と同じ、日本の恐竜産地として有名な福井県の出身。

 

 


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