長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ヨーヨー・マと旅するシルクロード

2017-03-31 09:01:01 | Weblog

昨日は何もない完全なお休み。今年はじめてかもしれない。

銀座のシネスイッチ銀座で、そんな映画を見た。「バックコーラスの歌姫たち」でアカデミー賞

を受賞したなんとかいう監督さんがつくった。バック・・・は、昨年ビデオを借りてきて見た。

やはり映画は家で見るより、映画館で見るほうが断然いい。いろいろな国の人がいきかい、クロスして、いろいろな

文化が育まれたシルクロードにゆかりの楽器奏者とヨーヨーさんがセッションしながら、「音楽とは・・?」

とか「自分の人生と世界のかかわりとは?」とか「アイデンティティーとは?」とかを哲するドキュメンタリー映画。

ケマンチェというヴィオリンのルーツを奏でるケイハン、中国琵琶奏者のウー・マンさんの笑顔と音楽がとくに

印象的だ。それぞれの奏者たちが、政治的にも運命的にも、とても悲しいものをかかえていて、音楽という人間の根源的な

ものを表現することを神から選ばれし音楽家たち、そんなことを感じた。

最近、恵那の仙人さんにすすめられた本の中に、

「人間は自然の一部だから、解放された時に、ここちよい宇宙のリズムに感応するらしい。そのリズムは16ビート。

民族音楽や日本の能もクライマックスの部分は16ビートで、それに人間が感応しなくなるとこの地球・ガイアは

危機的な状況を迎える」らしい。

終わった後、ギンブラ(銀座でブラジルを飲む、ではない、ぶらぶらのほう)して、三州屋にいき、ブリの照り焼きと

とり豆腐と、香のものを酒肴に酒を飲んだ。

千鳥足で銀座から押上を歩く。途中岩本町で、IT時代の友達とバッタリであう。シルクロードではないけど、

人はおそくもはやくもなく、必要な時に、必要な人と出会う。そしてそれが音楽になったり、芸術になったりする。

だからこの地球上で最高の芸術は、「人と人が出会うこと」だと思う。

今日は「満つまめの会」

明日は「天真庵おかげさまで10周年コンサート」いろいろな人にささえられて10年。感謝。

 


♪ぼくの名前を知ってるかい?

2017-03-29 07:37:30 | Weblog

山田太郎さんが歌った「朝刊太郎」。正式名は「新聞少年」

昨日の読売新聞の桐谷さんのコラムに紹介されたので、近くのコンビニで

合計5部調達した。その後、十間橋通りにある読売の販売店にいき、そこのおばあちゃんに

「10部ください」といったら、「?」顔されたので、うちのお店が紹介されたことを伝えたら、

よっこらせと10部だしてくれて、「代金はいりません」というので、こんどはこちらが「?」顔したら、

「この街をいつももりあげてくれているお礼です」といわれてニッコリ。うれしくなってニッコリ。その一部を、みかみくん

ちにポスティングして、道草しながらお店にもどった。

書の会は、「島原」で盛り上がった。文人墨客のあまたいた街で「書をしよう」と。筆一本もっていけば

いいので、いつでもできそうだ。きっとこのメンバーの中から、「ここに住む」という声があがりそう。

終わった後、ストーブの上のやかんのお湯をポットにいれようとしたら、「?」ない。

今朝もう一度、読売の販売店にいったら、そこにあった。最近の朝刊太郎さんは、読売も朝日も日経も

日系人も日本人も少ない。ベトナムや中国人たちががんばっている。みんないい笑顔の連鎖でニッコリニッコリ。

販売店さんの話をきくと、「日本人で使えるのがいない」とのことだ。下町人情につきもののひとなっつこいニッコリ笑顔も、日本人から

遠ざかりつつある。そんなことを思いながら、十間橋通りをてくてく散歩してみた。

今日はこれから徒歩40分の額屋さんにいき、その後は「満つまめの会」

 


今日の読売新聞朝刊にのった

2017-03-28 09:17:41 | Weblog

ボストンに住む「桐谷逸夫 」さんが、天真庵の絵を描いてくれ、コラムといっしょに

「桐谷逸夫 の一期一絵」という欄に素敵に紹介された。いつものように、朝五時に起き、

お店へてくてく歩いていた。確かに、今日も雀もカラスもいない不気味な静寂の中で、

読売の新聞少年が「お店がのってますよ」というので、近くのコンビニで買って目を通す。

建物も古色蒼然というか、年を重ねたよさがあるけど、桐谷さんの絵も、円熟された味

があり、文章もまた無駄のない一文字一文字を原稿用紙の田んぼの中に丁寧に植えていく感じ。

ボストンといえば、中学校の社会に「ボストン茶会事件」というのを習ったことがある。イギリスが

茶に多額の関税をかけたので、その植民地政策におこって茶箱を海に投げ捨て、それがアメリカ独立の

きっかけになった、そんな話だったと思う。それからアメリカ人は珈琲中心になり、スタバなどができた今にいたる。

人間は主客転倒というか、反対の立場になると、また同じようなことをする。トランプもまたカードをめくって、おなじようなことをやっているようだ。

こんなに地球に人があふれ、環境が危機的な状態になっているのに、ゼニカネや核ではなかろうに、と、幼稚園でもわかるようなことが

わからない政治家の多いこと。「世界モリトモ幼稚園」でもつくって、勉強しなおしてみたらよかろうに。

桐谷さんのコラムの見出しは「下町の寺子屋」だった。

昨日は「論語の会」今日が「書の会」 論語の会は22年続いている。書も10年目。

寺子屋は「読み書きそろばん」を教えてくれた場所。ただハウツーだけでなく、みんなが「和」に

なることの大切さなどもそこで習う。偏差値教育の中では、見落としがちなものが、ごろごろつまっている「場」である。

 


山雀のつるべ上げ   のパワーの秘密

2017-03-27 07:19:25 | Weblog

なんていうような言葉が昔からある。

ぼくが生まれた北九州の街は「鉄の街」と知られ、今は知らないけどその

ころの市の唄に「七色の煙」みたいな言葉が入っていて記憶がある。♪七色の虹が消えてしまったの・・

そんな演歌もあったけど・・・

「春の町」というところで、八幡製鉄所の正門がある街だった。幼稚園にいくまでは、よく近くの「小鳥屋」

にいって遊んでいた。昨日の百舌の話もそこのおやじに教えてもらった。今は禁猟になってしまったけど、

当時は「目白獲り」なんかがあって、よくそのおやじと近所の山にのぼったものだ。「とりもち」も彼がいろいろ

工夫してつくっていた。お取りの籠に、なぜだか椿の枝を差し込み、その根元あたりにじょうずにとりもちをつけ、

めじろ笛を鳴らすと、どこからか目白がやってきて、つかまる、という単純なやりかた。めじろのえさは、有田焼き

のおちょこを使っていて、緑色のめじろと朱色の染付の色のコントラストがきれいだ、なんて子供のころ思った。

そのおやじに、おちょこをもらったのがきっかけで、今でも手元にあふれるくらいのおちょこがあるのかもなんばん?

「ヤマガラ」の芸をしつけるのを何度か見たことがある。そのころお祭りになると、「おみくじひき」とか「つるべ上げ」

なんかをする鳥がいた。あの鳥が山雀(ヤマガラ)。四十雀(しじゅうから)といっしょの種類だけど、「始終空」という年中貧乏みたいな縁起の悪さ

からヤマガラのほうが人気があった。ゆーちゅーぶで「ヤマガラ つるべあげ」で検索すると、映像がでてくる。

やつは「麻の味」が大好きで、イルカをしつけるときに、うまくやったら小魚をあげるように、上手につるべを上げると、

麻の実をあげる。やまがら籠という特殊な竹籠も、そのことりやのおやじが自作していた。ものがない時代、自分で

できることはやり、毎日の生活の中でいろいろ工夫しながら生きていく人たちがいっぱいいた。ぼくの「鉄の街の記憶」では

そのことりやが一番鮮明に残っている。

麻の実といえば、能登に移り住んだ「梅茶翁」さんが、「麻米飴」なる飴を発売することになった。昔は、鳥といっしょに食べる

、くらい日常の中にあった麻だが、貴重な穀物になった。ビタミンミネラルのバランスをとってくれるし、ゆっくりなめていると、

「ヤマガラの気持ち」になってくる?一昨日がヨガで、昨日がまーくんの「満つまめの会」だったので、「気」を感じやすい人たちに

渡り、四十雀になった。大量生産できないので、少しづつ入荷しますが、見つけた人は、つるべ上げのような所作で手にしてくだされ。

これから「卵かけごはん」夜は「論語の会」

明日は「書をしよう会」

 

 


百舌の早贄

2017-03-26 08:57:00 | Weblog

「もずのはやにえ」という。

昨日はインヨガだった。二階でヨガをやっている時は、下で仕込みをしたり、本を読んだり、

酒を飲んだりする。

昨日は、オリンピックで鴨肉が安く売っていたので、それを「かもなんばん」にしながら、酒を飲んだ。

「汁もん」で酒を飲む、というのは、まことにけっこうなお手前で、いいもんだ。酒大学の大学院みたいなもんかも。

ヨガが終わって、少し寒かったので、手あぶりの残り火の五徳の上に鉄瓶をおき、そこに鳳凰美田の「燗用」

とかいた酒を錫のちろりに入れて、残った鴨肉を焼いて酒肴にしようとしていたら、横から「残していたんだ」

という声をきいた。瞬間頭の中で百舌が泣いた。幼きころ近くにあった小鳥屋のおやじが「もずという鳥は、虫を神さんにささげるんや」

「もずの生け贄、別名早贄(はやにえ)、といってな」と教えてもらったことをを思い出した。

「福」という文字は、田んぼで獲れた穀物を神棚に手向けること。同じようにもずは、秋になって初めて獲れたバッタやこおろぎなどを

枝股にはさんで、神に手向ける。貯蔵する、というと、「老後いくらかかるの」よろしく吝嗇ばかの人間さまみたいなので俗がある。

「早贄」と命名した先人のセンスをたたえながら酒を飲んでいると、ちと飲みすぎた。

ときどき恵那山に棲む仙人みたいなじいちゃんが山をおり蕎麦を手繰りにくる。「20日以降、何かかわったことがありませんか?」

という。「・・・?」な顔をしていたら、「恵那から小鳥や小動物の姿がほとんど消えました。少し鳥の声はきこえますが・・・」

という。ので、「この界隈も閑古鳥の声しか聞こえませんよ」というと、にこりとして、「いよいよ地球も限界なんでしょうかね」

と仙人。だれもが「大変な時代」を肌で感じていると思うけど、そろそろ地球も悲鳴をあげる声が届きそうな様相になってきたらしい。

せめてもずさまのように、満腹になる前に、神に手向けたり、人にほどこしたりすることを、人も学ぶ時がきているのかもなんばん。

かもなんばんを食べながら酒を飲む贅なことをやりながら、けっこう矛盾したことを考えている。いつまでも凡夫この上なしだ。

今日は朝から雨。「満つまめの会」である。まーくんは街の灯りをたよりに天真庵まで歩いてくるので、雨の日は傘もささずに

歩いてくる。生まれつき目が不自由な中で、自律するためにヨガや整体や気功を勉強しながら歩いてきた。秋くらいには、少し

実りを神に手向け、この生きずらい世界を生きてる仲間たちを少し楽にする仕事が、世の中に認められ、優美に広がっていく、そんなイメージがある。

16時半からは下では「蕎麦打ち」。

 


いもぼうみたいな いかだい

2017-03-25 08:38:41 | Weblog

京都で有名な「いもぼう」というのがある。丸山公園の中になんやらいう老舗がある。

海老芋を鹿児島の人が土産にもってこられ、ぼうだらの干したん、を、北海道の人が土産に

もってこられ、ぼうだらのほしたんを、いろいろ工夫しながらもどし、海老芋とうまく炊いて、

「ぼうだらといもぼうの炊いたん」が「いもぼう」になった。京都の名物に「にしんそば」もあるけど、

地産地消とは正反対なもんを、「京都もん」にして名物にする力みたいなもんが、昔から京都にはある。

昨日は能登半島に移り住んだお弟子様夫婦が、立ち寄ってくれた。土産に日本海でとれたてのイカを

もってきてくれた。瞬間的に「いもぼう」が頭に浮かび、桜島大根があるので、「いかだい」なる不思議な

もんに挑戦してみようと思う。最近はとりそば用の「かえし」がバージョンアップしたので、「がめ煮」

とか「炊いたん」をつくるのが、より楽しくなってきた。

6月には能登にいって、「梅仕事」の仕事はじめをやろうと思っている。島原にいくと「島原病」になり、

能登にいくと「能登病」になって、温泉に入ったりすると、つい「能登の花嫁」を口ずさんでしまう。

♪能登は日ぐれて 大波 小波・・・・

今日はそんなバカなことをいってる暇がない。米櫃の米がないようように、珈琲豆が、空っぽに

なっているのであ~る。これからしばらく焙煎時間。

今日の夜は「インヨガ」

明日は「満つまめの会」   営業は16時。それから「蕎麦打ち道場」


開花宣言はでたけど♪桜はまだかいな・・・

2017-03-24 09:13:18 | Weblog

水曜日の朝は板橋の歯医者にいった。月に一度、歯の掃除にいっている。

鮨屋とと同じように、歯医者も「いきつけ」のところがいい。その歯医者はJR板橋駅東口をでて、

桜並木を5分くらい歩くとある。そこから5分くらい歩くあたりに、「天真庵はじまりの地」がある。今は

マンションになっているけど。ちょうど桜の咲くこの季節に「南條観山展」をやっていた。

墨田区に天真庵を移してからは、花見といえば、オリンピックに買い物をいきがてら見る文花団地の

桜か、「マンモス公園」(大きな滑り台があるので、そのあだ名がついた。正式名は知らず)の桜。

昨日はてくてくと墨堤通りを散歩がてら、額をつくりにいった。「大額」という額縁屋さんがある。

途中交番の手前でねこが車にひかれていた。

交番にいって、「そこで交通事故があり、死人がよこたわっています」というと、おまわりさんがすぐに

現場にいき、適切な処理をしてくれた。「ねこ」といったら、どうなっていたんだろうか?犬とかねこは、

家族みたいなもんだから、命の重さに、「人」も「猫」も「犬」もない。

知り合いがつくった版画の額。ちょっと色が派手で、天真庵に飾るのは?という感じもしたけど、額に

いれると、すごくいい感じになった。風水てきには、すごくいい感じの絵。来週あたり飾ってみたいと思う。

今発売の「蕎麦春秋」に、ゆさそばのゆささんが大きく紹介された。撮影場所はもちろん「天真庵」。

(どこにもそのことが書かれていないので、大きな声でいう。声はでていないか・・・)

今日は金曜日。金曜日は織田流煎茶道の先輩がお稽古の後に花をもって、蕎麦を手繰りにきてくれる。

この先輩は、書もよくし、漢詩もよく勉強している。彼の書を飾り、茶を飲み、漢詩をろうろうと読み、そのあと蕎麦を手繰る

ような会をやってもおもしろいかもなんばん。杜甫の漢詩など読みながら酒を飲む、というのも粋なもんだ。

 

 


町内会に国立大学がやってくる

2017-03-23 10:39:31 | Weblog

昨日は「おんなかっぽれ」だった。おとこかっぽれの時は、自分も

参加するので、途中で「おでん」をあたためたり、からしをねったり・・・・二階と一階を

往復しながらお稽古するので、なんとなく忙しい。

おんなかっぽれと時は、下で仕込みをしながら、音楽聴いたり、本を読んだりしている。もちろん酒もちびりちびり・・・

昨日はヨーヨー・マのバッハを聴きながら、故・奈良本辰也先生の「葉隠れ」を読みながら、佐賀の銘酒「鍋島」を読む。

「深川」の三味の音を聴きながら酒を飲む・・・・最高の江戸の粋だ。♪いちあがり にあがり さんあがり 風流深川節・・・ちんとんしゃん。

奈良本先生は立命館大学の教授だった。彼の門下生に煎茶の小川流の家元の小川後楽さんがいた。反対に奈良本先生は

後楽さんの煎茶のお弟子さまだった。

後楽さんのご先祖さまに、小川可進という奇人がいて、医者でありながら煎茶に科学的なメスを入れ、煎茶の方式をまとめられ、「小川流煎茶道」

をつくられたかた。小川後楽さんは、ペンネーム「楢林忠男」という名で煎茶の本をたくさん著された。楢林という名は、先生の

奈良本から由縁する。楢林さんの「碧山への夢」というのを昨年読んだ。銀座の骨董屋「一楽堂」さんが閉店する3日前に

「君の先輩の書いた本がでてきた」といってくれたものだ。ちょうど南島原の蕎麦打ちにいく時だったので、いきのフェリーの中で

読んだ。不思議だけど、長崎の煎茶人たちのことが紹介されていたので、そのまま「くちのつ巷焙煎所」の、なつきくんに

「これよめ」とおいてきた。今回は、帰り際に小川後楽さんの「煎茶入門」を置いてきた。それを読んだじゅんさんが「わたしを

煎茶の弟子にしてください」という電話をもらった。友の遠方より来る、というのは孔子さまがいうまでもなく、うれしからずや、

である。能登半島から毎月煎茶のお稽古にこられる「梅茶翁」の三輪福さんに続いて、奇人のお弟子様が誕生した。

天真庵は「墨田区文花一丁目」にある。今朝の新聞に、町内会にある「中小企業センター」に、国立千葉大

がくる、というニュースが発表された。風のうわさでは「立命館がくる」というのもあって、近くの「酔香」のすがちゃん(やはり

立命館で)と、「そうなれば、この十間橋通りを、河原町通りに変更させようか」などと、勝手にイメージを膨らませていたいた、

けど・・・・ま、そんなことで「千葉大」がくるらしい。

今日はお休み。姪っ子のゆずが、都立高校に入学したので、これから銀座でプチ祝賀会へでかける。

一歳の時に母親と別れる、というきびしい修行をしてきたけど、無事元気に高校生になる。大学を千葉大に

したら、天真庵でアルバイトができるぞ、と誘ってみよう。


満つまめの会とかっぽれ  切ってもきれない・・

2017-03-22 08:16:21 | Weblog

昨日はまーくんの気功整体「満つまめの会」だった。

口こみで週2回の「満つまめの会」が大盛況になってきて、予約がむずかしくなってきた。

昨日は、毎週こられるお客さんが、娘さんの結婚式と重なったので、キャンセルになり、そこに

いれてもらって久しぶりに参加。なにをいわなくても、どこが痛いとか、こっているとか、まがっているとか、

気の流れが悪いとか、お見通しの様子で、足を中心に45分やってもらった。

「南島原の蕎麦会」の写真をHPにアップした。「遊山」という部屋で見れるように熊本の友達が

やってくれた。彼も蕎麦会に参加してくれた。島原では二日続けて「温泉」に入ったので100人分

のそばを打ったけど、さして疲れなかった。まーくんの指導のもと、普段から体の使い方とかほぐしかた、

呼吸の仕方などを指導されているので、だいぶ体が若返ってきた感じらしい。

昨日は「タイムドメイン」だった。ヨーヨーマのバッハを聴きながら談論風発。

最後まで残った建築家のFくんと「親和銀行」の話で盛り上がった。彼は白井晟一さんの大ファンで

佐世保の親和銀行を3度も見にいったらしい。次にいくときは「南島原」までいきそうな気配だ。

彼の絵は、下手なプロよりも味わいのある絵で、昨年はヨーロッパで「個展&茶会」のようなものも

やった経験がある。いまどきにめずらしい文人墨客らしき青年。来月から煎茶を習いにくるらしい。

今日は「おんなかっぽれ」  かっぽれの人たちは全員、「満つまめの会」の会員で先生までまじめに

整体をやっている。なんか共通の根っこがあるみたい。


サロン、茶論、茶粥・・・究極の夕餉

2017-03-21 08:49:56 | Weblog

東京に住み始めて、30年ちょっと、毎年2回か3回は、九州に里帰りをする。

飛行機はダメなたちで、新幹線も食堂車がなくなってからのったことがなく、ほぼすべてを車で

往復している。若いころは薬局で「モカ」という眠気さましみたいな怪しい飲み物を買い、高速道路を

ぶっとばしながら帰っていた。そのうち、京都にたちよったり、美濃や久保さんのアトリエに立ちよったり、道草を食う楽しみを

おぼえ、ゆっくり帰ることによろこびを感じはじめ、九州からの帰りは、下関あたりから高速をつかわず日本海側を

ゆっくり走る、というのがならわしになった。昨年からは、島原半島で「そば会」が始まったので、大阪の泉大津からフェリー

で門司までいく、という「阪九フェリー」の船旅をとりいれている。泉大津にいくまでに時間が少しあまるので、奈良をまわる、がなわわしになりつつある。

今回は唐招提寺にいった。その後の美術で、渡り(中国から渡来した)の酒器の展示会をやっていた。祭の時につかわれたものが多いらしいけど、

今の生活の中でも使える「用の美」の条件も満たしているものばかりで、時間を忘れてくいいるように見てまわった。

国立博物館では仏像の展示会をやっていた。ポスターになっているブッダの子供のころのかわいらし仏像が素敵で、そこもよった。

いつもはそこの近くの骨董屋にも立ち寄るのだが、出港の時間がせまり先を急いだ。

奈良という場所は「茶粥」という文化的なサロンの風習がある。ときどき、煎茶の会でもやるけど、漬物とか梅干しとか簡素なおかずで

茶粥をすすりながら談論風発するのは楽しいものだ。

今日の夜は「タイムドメイン」。この会は15年くらい続いている「東京風茶粥の会」みたいなもんだ。

みんなで食べたいおかずやお酒を持ち寄って、タイムドメインのオーディオから流れる生音に近い音楽を聴きながら

「今」を語りあう会。「今 ここ」というこの一瞬の中に「すべてがある」ということがわかれば、人生は10倍おもしろくなる。

「満つまめの会」も営業中に二階でやっておりまする。今日も満席御礼ではありますが。

明日は「おんなかっぽれ」