多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

直訳すれば「歯に抵抗のある幽霊麺」

2012-04-19 12:27:03 | 多文化共生
(以下、東奥日報から転載)
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天地人
2012年4月19日(木)

 外国人向けなのだろう。「つけ麺食堂」の看板に英語で書いてある。直訳すれば「歯に抵抗のある幽霊麺」。これ何のこと?答えは「幻のしこしこ麺」だとか。イタリア語会議通訳の田丸公美子さんが「目からハム」(文春文庫)でこんな楽しい「珍誤訳」を取り上げている。

 笑っていられるうちはいいが、困った誤訳もある。「東北観光博」のホームページで観光イベントなどを英語、韓国語、中国語で紹介している。その中に誤訳が多数見つかったという。例えば、秋田市の「あきた千秋公園桜まつり」の「あきた」が英語で「飽きた」になっていた。男鹿市の伝統行事「ナマハゲ」は中国語で「はげ頭病」に。これでは、来る人も来なくなろう。

 翻訳を担当したのは都内のIT会社だ。「震災復興を支援したい」と、無料で自動翻訳を買って出たという。動機は素晴らしい。が、会社も事務局の観光庁も肝心のチェックを怠ったのでは何にもならない。

 先の大戦末期、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言に対し、鈴木貫太郎首相(当時)は「黙殺する」と声明した。これが連合国側に「無視する」という英語で伝わり、「拒否」と解釈されたらしい。それから10日もしないうちに広島に原爆が落とされる(鳥飼玖美子著「歴史をかえた誤訳」)。誤訳は時に恐ろしい結果を招く。翻訳には細心の注意が必要だ。

 観光庁は誤訳を修正して、下旬から紹介を再開するという。幸い、本県は桜の開花が遅れそうだ。花見時に間に合ってくれればいいが…。

少子高齢化、日本が突出 外国人流出が経営に影

2012-04-18 13:12:44 | 多文化共生
(以下、日本経済新聞から転載)
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少子高齢化、日本が突出 外国人流出が経営に影
2012/4/17 23:56

 総務省が17日発表した人口推計は、国際的にも突出した少子高齢化が日本経済の重荷になる点を浮き彫りにした。団塊世代の引退で今年から15~64歳の生産年齢人口は減少ピッチを速める。外国人の流出も過去最多となり、企業は労働力をどう確保するかという課題に直面する。人口増を前提に設計していた社会保障制度や都市計画は見直しを迫られる。

■世界でもっとも高齢化が進行

 日本は総人口に占める65歳以上の割合が23%と世界で最も高齢化が進んでいる。中国やインドなどアジアの新興国は10%未満、欧州でも15~20%だ。

 今後は約700万人いる1947~49年生まれの団塊世代が年金を受け取る65歳に達し、高齢者人口は一段と増加。高齢化で膨らむ社会保障の支出をどう抑えるかが大きな課題となる。BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストは「年金の支給開始年齢の引き上げや医療費削減に踏み切るべきだ」と指摘する。

 人口の減少で、国内消費のパイは縮小する。百貨店や自動車の売り上げ基調は前年割れ。日本総研の湯元健治理事は「非製造業も海外展開を考えないと生き残れない時代に入った」と指摘する。

■外国人の流出、過去最多

 国境を越える人の移動を示す社会増減をみると、外国人は過去最大の5万1千人の流出だった。昨年3月の東日本大震災や福島第1原子力発電所事故で、日本を離れる外国人が増えた。


 法務省の出入国管理統計によると、外国人の入国者数は震災直前の昨年2月の74万9千人から3月に42万2千人に減った。特に減ったのがアジアからの入国者で、3月は2月と比べほぼ半減した。2011年の外国人入国者数は前年比24.4%減の713万5千人(速報値)だった。

 新たな働き手と期待された外国人の流出は、企業経営にもじわりと影を落としている。ラーメンチェーン「日高屋」のハイデイ日高では震災後、約1500人の外国人従業員が母国へ帰国し、一部の店舗では営業時間の短縮を余儀なくされた。

 吉野家ホールディングスでも震災直後、中国人を中心に約200人の従業員が退職した。首都圏の店舗では店員を配置換えしたり、日本人従業員を新たに採用したりする対応を迫られている。

■福島・千葉は社会減少大きく

 人口の増減を都道府県別にみると、震災や原発事故が大きく影響した。福島県や千葉県などは転出が転入を上回る社会減少で人口が減った。47都道府県で下落率が最大だった福島県は原発事故の影響で県外に避難した人が多い。県の調べでは、乳幼児や20~40歳代の母親が多く減っている。

 戦後初めて人口が減少に転じた千葉県は「液状化被害や(放射性物質の濃度が局所的に高い)ホットスポットによるイメージ悪化が大きい」(政策企画課)という。

 一方で震災や原発事故に伴い「東から西」に移住する人が増え、大阪府や福岡県は社会増となった。福岡県は進学や就労目的の九州域内からの転入者が増えているうえ「震災の影響を避けて関東や東北からの移住者が相次いだ」(県調査統計課)と分析。大阪府は39年ぶりに社会増加に転じたものの、死亡者数が出生者数を上回る自然減少で、人口全体は減った。

 被災県では福島県が除染の徹底や産業の再興を図るなど、県外に避難している人が県内に戻れるよう対策を立てている。

外国人の支援

2012-04-18 13:12:24 | 多文化共生
(以下、中日新聞【石川】から転載)
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外国人の支援

2012年4月18日

 「支えられて生きていくのは、どんなにしんどいことか」。県庁であった会合で、外国人支援に詳しい講師が、阪神大震災で被災したベトナム人の声を代弁した。そばの日本人には意思が尊重されず、助けられるだけの立場になり、プライドが傷つけられたという。

 兵庫県西宮市で被災して転居を重ねた記者は、講師の言葉で昔を思い出した。支援には感謝の一言。ただ小学生ながら居候先には気を使ったし、対等に付き合える友達の存在はありがたかった。

 会合には、市町で外国人との共生を担う課長が集まった。県内の外国人登録者数は一万人で、災害時は弱者になりかねない。普段の何気ないコミュニケーションが、広い意味での減災につながると思う。 (松本浩司)

ピアリンク:発足1周年 仲間同士、つながり支えに 広がるユニークな対処法

2012-04-18 13:12:01 | ダイバーシティ
(以下、毎日新聞【群馬】から転載)
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ピアリンク:発足1周年 仲間同士、つながり支えに 広がるユニークな対処法 /群馬

毎日新聞 2012年04月18日 地方版

 うつ病や統合失調症などの精神疾患を抱える人たちが、病気とどう付き合っていくかを話し合う当事者グループ「ピアリンク」(伊勢崎市、柳春海代表)が17日、発足から1周年を迎えた。メンバーは、症状に悩まされながらも仲間同士のつながりを支えにしている。【塩田彩】

 ピアリンクは、同市安堀町の心療内科・精神科病院「華蔵寺クリニック」に勤める精神保健福祉士の柳代表(40)が、通院者に声をかけてつくった。精神疾患を抱える当事者が自分の心の状態や悩みなどを自己分析し発表する「当事者研究」が活動の中心だ。当事者研究は北海道浦河町の社会福祉法人「浦河べてるの家」が実践している精神障害者向けのリハビリテーションプログラム。自分で自己病名をつけたり、幻聴を「さん」付けで呼んで対処方法を話し合ったりするユニークな試みで、全国にも広がっている。

 柳さん自身も、うつ病を抱える。大学卒業後に大手企業に就職し、28歳で経営コンサルタント会社に転職したが、深夜まで残業が続き、間もなくうつ病を発症した。7年前に同クリニックを訪れた際、医師から「自分の病気を研究しなさい」と言われたのが当事者研究との出合いだった。

NGOダイバーシティとやま(4) 多文化共生 人対人で

2012-04-17 12:17:10 | 多文化共生
(以下、北陸中日新聞から転載)
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NGOダイバーシティとやま(4) 多文化共生 人対人で


2012年4月17日


留学生と小学生の交流=射水市で


 現在、日本に住んでいる外国人は200万人以上。富山県にも2011年末で1万3718人の外国人が暮らしている。異なる文化を持つ彼らがしばしば抱える暮らしづらさ。そこから見えてくるものとは-。

 私は富山で二十年間、日本語教師をしてきました。その間、二十カ国以上の留学生や企業研修生に日本語を教えてきました。

 最初は希望を持って来日した留学生。そんな彼らがだんだん暗い顔になってくるのを幾度となく見てきました。ただのカルチャーショックではなく、それが差別に起因する場合もあります。

 彼らが日本で差別を感じるシーンとして、外国人はお断りというアパートやお店があったり、アルバイトの面接に行くと「うちは外国人は使わないから」と言われたりすることがあります。また、アジアの留学生から「日本人は国際交流というと欧米人との交流だと思っている人が多い。アジアの留学生に対する偏見を感じる」という声をよく聞きます。

 日本人の側からは「郷に入れば郷に従え」という声や、トラブルがあると面倒だから外国人居住区をつくり、日本社会とすみ分けしたらいいのではないかとの話を聞くこともあります。

 でも、同化したりすみ分けをするのではなく、同じ地域の中で共生していく中で、私たち自身が予測もしなかったプラスの反応を生み出せることもあります。

 例えば外国人留学生が厨房(ちゅうぼう)に入ったことで、お店の看板メニューが増え、商店街の人気店になったお店もあれば、今まで老人ばかりだったアパートに若い外国人が住み始め、一緒にお茶を飲むなどして交流するうちに、元気のなかったお年寄りがいきいきしはじめた所もあります。

 同じ地域で共生していく中で、ちがいをマイナスではなくプラスにしていくためには、〇〇人はこうだから、とステレオタイプに当てはめるのではなく「お隣に住む王さん」として話すことが大切です。「国」対「国」ではなく「人」対「人」。異なる文化を持つ外国人を、共に地域に生きるパートナーとして接していくことが、多様性を包み込みしなやかな地域社会をつくり上げていく要素になることでしょう。 (代表理事・宮田妙子)

県が外国人向け「進路ガイド」作製 3か国語

2012-04-17 11:54:01 | 多文化共生
(以下、中日新聞から転載)
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県が外国人向け「進路ガイド」作製 3か国語

2012年4月17日

 外国人の親をもつ子どもたちのため、進学や就職など進路に関する情報を集めたガイドブックを、県が初めて作製した。子どもや保護者向けは、ポルトガル、スペイン、フィリピン語の三種類を用意した。インターネット版では中国語もある。

 子どもや保護者向けは、六十ページの「外国につながる子どもたちの進路開拓ガイドブック」。日本の学校の特徴、高校入試の仕組み、高校卒業後の進学や就職の方法などを各国語と日本語で説明している。このほか、支援団体やボランティア向けに「外国につながる子どもたちの進路応援ガイドブック~地域の支援者の皆さまへ」も作った。学習や進学を支援している団体の事例や雇用状況などを日本語で紹介している。

 いずれも県多文化共生推進室で入手できるほか、インターネットで「あいち多文化共生ネット」を検索するとダウンロードできる。

 問い合わせは、県多文化共生推進室=電052(954)6138=へ。

 県内の小中学校には外国籍の子どもが一万四千三百人いると推定されており、外国人の親をもつ日本国籍の子どもを合わせればさらに増える。

日本語教室「虹」復活 ブラジル人ら11人が入学 滋賀

2012-04-17 05:48:29 | 多文化共生
(以下、産経ニュースから転載)
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日本語教室「虹」復活 ブラジル人ら11人が入学 滋賀
2012.4.17 02:07
 外国籍の子供たちが日本語を学ぶ日本語指導教室「虹」が生まれ変わり16日、草津、甲賀、近江八幡の3市と、愛荘町の4カ所に開校した。「虹」は1教室が近江八幡市にあったが、国の助成事業が終了したことから閉校。4月から再び国の助成事業がスタートしたことから、新たに開校し、11人が入学した。

 新たに誕生した「虹」の4教室に通うのは、ブラジル8人、ネパール2人、中国1人の7~17歳の11人。月曜日から金曜日まで1日約4時間、日本語などを学ぶ。ただ教室に通える期間は半年間で、その後日本の公立学校に入ることを目標にしている。

 最初の虹を運営していた財団法人近江八幡市人権センターは解散予定のため、NPO法人「外国籍住民自立就労協会」(草津市)が名乗りをあげた。4教室が開校した16日、草津市草津の多文化共生支援センターで4教室の開校式が開かれ、10人の子供が出席。同協会の河炳俊(ハビョンジュン)理事長(64)が「子供たちにがんばってもらい、立派な社会人になってほしい」とあいさつした。入校したブラジル籍のセルソ・ジュニオル・ヤマナカ・ペレイラさん(14)=東近江市=は「教室ができてすごくうれしい。日本語を勉強して高校に行きたい」と話した。

 最初の「虹」は平成22年1月に近江八幡市に開校。しかし昨年度で文部科学省の助成事業が終了し、再開の見込みがないとして昨年12月に閉校。通っていた子供たちは公立学校などに入学していた。4月からの新年度に新たに同じ助成事業が再び3カ年の予定で予算化されたことから再び開校することになった。

 4教室に通えるのは6~18歳で、定員は合計20人。半年で卒業する。

難民だって働きたい!ゼロからの就労を支援する「イーミック」

2012-04-12 13:07:43 | 多文化共生
(以下、greenz.jpから転載)
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難民だって働きたい!ゼロからの就労を支援する「イーミック」 [マイプロSHOWCASE]

2012/04/12

昨年の3月。東日本大震災の支援に、難民がボランティアとして駆けつけてくれました。東日本大震災の被災者と難民との共通点は、「一瞬のうちに全てのものを失い、住んでいる場所を離れなくてはいけなくなった」ということ。被災地の惨状と、自分の過去の経験を重ね合わせて、共感を持ってボランティア活動に参加した難民もたくさんいたといいます。

難民。この言葉を聞いて、どこか遠くの国での話だと思ったでしょうか。しかし難民は他国の問題だけではないのです。実は、日本には年間1,000人以上の難民が、母国での迫害から逃れてたどり着いています。思い描いているのは、命の危険にさらされることのない、平和な生活。しかしたどり着いたここ日本で難民を待ち受けているのは、人々の無理解によって起こる孤独で不安な生活です。

彼らに必要なのは、日本で暮らしていくための真摯なサポート。そこで今回は、難民のゼロからの就労を支援する「イーミック」をご紹介します。

そもそも難民って?


スーツケース1つで来日した難民(イメージ) 難民支援協会提供

難民とは、人種、宗教、国籍、文化・政治的な問題から、母国で命の危険にさらされ、やむを得ず外国に避難しなければならなくなった人たちのこと。もともと日本に来る予定だった人とは違い、「一番早くビザを発給してくれた国に行こう」ととりあえずやって来るので、当然日本語も日本の法律もわかりません。

仕事もお金も家も相談する相手もいない…そんな不安定な状況の中、日本政府から難民として認めてもらうまでに、平均2年、長い場合には5年以上も生き抜いていかなくてはなりません。その間、母国に強制送還されたら命の危険にさらされる、という不安を抱え続けます。


離ればなれになった家族の写真を見て思いをはせる難民

難民の中には、もともと弁護士やエンジニア、ジャーナリストとして活躍したり、いくつもの店を経営してビジネス的に成功していた方もいるのです。しかし、”不法滞在者”、”外国人(風)犯罪”などという報道の影響もあってか、市民からの偏見があったり、なかなか就職先に恵まれなかったり、低賃金で不安定な雇用形態でしか働けない人もたくさんいます。

ある難民は言います。

日本にやってきて、安全は得られました。しかし、私には安心はありません。

そんな難民の置かれている状態に、光を当てる取り組みを、合同会社emic(法人化準備中。以下イーミック)が始めました。
イーミックの取り組み

イーミックは言語の問題などから、すぐに日本の人材市場に入っていけない難民や、短期的な仕事にしか就けず生活が非常に不安定な難民、過去の経験などによるスキルとのギャップが大きく、ステップアップにつながる事を切望する難民などに向けてサービスを行っています。

現在の事業の柱は2つ。

1. セミナー事業


「難民起業サポートファンドで支援している レストランによる民族料理」提供:難民起業サポートファンド
今後は、難民の母国へ関心を持つ企業向けの社会情勢・文化セミナーや、語学の研究者を対象としたセミナーを予定しているとのこと。他では聞けない話が聞けそうです。


まずは難民が講師となって、日本人向けにセミナーを行う事業です。現在のセミナーの内容は、民族料理、語学とのこと。難民のなかには、何かの団体のリーダーだったりして指導者としてのスキルの高い人や、ニッチな言語を母語とする人、珍しい文化圏出身者もいるため、他ではできないセミナーが開催できるそう。

2. 弁当事業



「難民起業サポートファンドで支援している レストランによる弁当」 提供:難民起業サポートファンド

もうひとつは日本人の弁当業経営者とともに、難民を雇用し、弁当を作って販売するビジネス。現在は一般的な日本のお弁当を作ることを準備中ですが、今後、難民の特性を生かして、民族料理弁当の提供も検討しています。例えばミャンマーの少数民族の料理など、たまに気分を変えたいときなどに、注文したらとても楽しそう。

この弁当事業を通して難民が日本語と日本の飲食業の知識を得れば、日本の民間企業に就職する道も開けていきます。
「働く場所がないなら、モデル企業を作ろう」


イーミック代表 吉山昌さん

このイーミックの事業は、「NPO法人難民支援協会」に設立時から関わる吉山昌さんが立ち上げました。難民支援協会は、難民申請中の方が日々、助けを求めてやってきています。ここでは、難民認定に関することや、生活全般のことに加えて、就労に対する相談を受け付けています。

しかし難民支援協会で手を尽くしても、日本語が話せたり、需要のある特別なスキルを持っていたりする人以外は、なかなか就職につながりません。

難民がどのような立場の人なのかが一般的に知られていないため、「雇って大丈夫か」 「(仕事上の)コミュニケーションができないのは困る」などと不安を持つ企業主も多いです。しかし難民の中には、働くことに熱心で能力も高く、やる気もある人がたくさんいます。こういった可能性ある難民が、働けない状態なのはもったいない。「働く場所がないなら、モデルとなるような企業を作ろう」と思い立ちました。

と、吉山昌さんは言います。
難民の状況に応じたサポート

吉山さんは今、難民支援協会とイーミックのほかに、「公益社団法人難民起業サポートファンド」という団体にも関わっています。この団体は、起業したいと思っている難民や、起業した難民に対して、融資と経営支援を行い、難民自身によって就労機会を作り出すことを目的としています。

あるミャンマー出身の男性は、政府と敵対しているとして狙われ、命の危険を感じて、十数年前に来日しました。途中で収容されるという困難を乗り越えて、日本で飲食店で非常に熱心に働き、その飲食店の方から「あなたと同じ民族の人を雇いたい」と言われるほどになったそうです。

その彼が、数年前に独立して、飲食店を開きました。彼の店が軌道に乗ってきてミャンマー人を雇うようになり、難民への新たな雇用が生まれたのです。

「NPO法人難民支援協会」、「イーミック」、「公益社団法人難民起業サポートファンド」は、企業ですぐに働ける人から、言語などのハードルがある人までを支援し、また雇用される側だけでなく雇用する側も生み出すことで、トータルで難民の雇用を安定させていくと言えそうです。

また、難民の就労を支援することには、日本にとってもメリットがあると、吉山さんは言います。

難民は希望したわけではないにせよ、せっかく日本にやってきた人々です。難民もその能力を発揮できるようにすることは、日本の経済にとっても、社会にとっても、プラスになると考えています。

また、日本人のグローバルな活躍が最近よく言われますが、さまざまな文化の多様性を受け入れていくことも、今後の日本にとっては必要ではないでしょうか。そういったときに、難民の持つ多様性は、日本社会にとって非常に助けになるものだと言えます。
偏見と困難な状況を乗り越えるために

吉山さんが、難民支援を「自分ごと」してとらえ始めたのはなぜなのでしょうか。原点となる思いを伺いました。

最初のきっかけは、中3の春休みに、沖縄のハンセン病療養施設に行く新聞社の企画に申し込んだことです。そのときは何となく行ってみようかな、程度の気持ちだったのですが、偏見のこと、差別のこと、障害のことなどを、いろいろと考えさせられました。

そこで、高校生になってから、何か自分にできることはないかと考えていたら、障害者の自立のために活動しているメインストリーム協会という団体と出会ったのです。そこでの理念は「自立(自分の生活や人生を自分で選んで決めていく。その責任も引き受ける)支援」「障害者観を変える」というもの。 そこで高校卒業まで活動しました。


「偏見と困難な状況を乗り越え、当たり前の生活を行うための支援を」と語る吉山さん

もともと自分が在日韓国人だと言うこともあり、人権問題に対して興味があったので、高校生のときからアムネスティという国際的な人権支援団体で活動をしていました。その活動のなかで、難民の人々と会ったのです。

難民の置かれている状況を見て、愕然としました。高校生のときに、関わっていた障害者団体が「自立」を目的としているのに対し、難民は自立どころか、生命の危険さえ、ある状態だったのです。

アムネスティでも難民の支援は行っています。しかし、難民以外のさまざまな案件があるために、難民だけに専念したいという想いが、次第にメンバーの間で高まりました。そこで、98年から準備を始めて、99年にNPO法人難民支援協会を作ったのです。

ハンセン病患者、障害者、難民と吉山さんの活動に共通しているのは、「偏見と困難な状況を乗り越え、当たり前の生活を行うための支援」なのです。
難民の日本社会への想い

昨年、東日本大震災が起こったときに、難民から、「被災地のために何かをしたい」「困っている人を助けたい」と言う声が、多数寄せられたそうです。母国を追われ、家族とも離れ離れになって、命からがら日本にやって来た難民は、被災者の状況に共感を覚えたのでしょう。

そこでNPO法人難民支援協会は、被災地へのボランティアを決定。参加したウガンダ出身の男性は、

震災が起きてすぐに、「自分ができることをやる」と決めた。それは。当たり前のこと。自分も社会のメンバーだから。

と話していたそうです。原発の影響で多くの在日外国人が帰国する一方、帰る母国がない難民たち。彼らは、自分たちも日本社会の一員だという強い意識と責任感を持っており、「何かしなければ」という想いを持ったのだろうと想像できます。

そういった、難民の日本への意識がある一方で、日本人の難民への意識はまだ低いと言わざるを得ません。

電車で座席に座ると、自分の隣の人が席を立ったときは、とても悲しかった。

と、語る難民もいたそうです。

あるソマリア出身の難民は言います。

日本にも悪い人も良い人もいるように、双子でもそれぞれの考え方が違うように、外国人にも悪い人もいれば、良い人もいる。だから「この人は難民だから怖い」などと一律に決め付けることをしないでほしい。ひとりひとりの意識が変われば、日本は変わるし、ぼくらの立場も変わります。

そんな日本人の意識を変えて、難民と日本の両方にメリットをもたらすのがイーミックなのです。

Friendship by Sahaja

私たちが少し意識を変えること。難民に対して少し知識や関心を持つこと。これだけで、人生が明るくなる難民がいます。今日から、電車で隣に座る外国人に、少し違った意識で接してみませんか?

ひきこもり 仲間と克服

2012-04-12 13:07:24 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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(1)ひきこもり 仲間と克服

マチュピチュ遺跡のジグソーパズルが飾られるなど、ラテンアメリカの雰囲気が漂う「アミーゴの部屋」で、ゲームを楽しむメンタルサポーター(中央2人)と学生(4月5日、和歌山大学で)

 真新しいスーツを着た新入生でにぎわうキャンパス。保健管理センターの一角にある「アミーゴの部屋」では、学生らが陣取りゲームに興じていた。「こんなのありえない!」。男子学生が声をあげると、室内に笑いが満ちる。4月5日、和歌山大学(和歌山市)での光景だ。

 体験者が支援

 アミーゴは、スペイン語で「心を許せる仲間」の意味。同大の「アミーゴの部屋」は、ひきこもりを乗り越えて外出が可能になった学生の居場所のことだ。ゲームなどのレクリエーションだけでなく、対人スキルを磨く集団精神療法なども行われる。


 30年前から不登校やひきこもりの学生の支援に力を入れてきた同大では2002年、それまでの蓄積を基に、「ひきこもり回復支援プログラム」を開発した。その中心にあるのが自助グループ「アミーゴの会」の活動で、当時、問題となり始めていた発達障害による学生生活への不適応にも有効とされた。

 同じ悩みを乗り越えた先輩学生が、メンタルサポーター「アミーゴ」として、ひきこもる後輩を訪問し、修学や人間関係などの問題解決を支援する。「キャンパス内の居場所で仲間を作り、安心感に支えられて成功体験を重ねることが学業復帰への近道となる」と、プログラムの開発者で3月まで同センター所長だった精神科医の宮西照夫教授(当時)は説明する。

  元気の源に

 こうした支援により、学生の9割が半年以内に外出可能になるという。大学を休学中のある男子学生(24)は、「アミーゴは、いてくれるだけでほっとする存在。前に進もうとしている人たちなので、元気ももらえる」と話す。

 10年には、3人の「アミーゴ」を非常勤職員として採用した。その一人、瀧口穂高さん(26)は、発達障害の診断はないものの、物事をできるか、できないかで決めつけてしまう部分がある。卒業研究でつまずいたのがきっかけで、3年の後期から授業に出られなくなった。

 就職活動も重なって精神的に落ち込み、体調を崩した。休学と復学を繰り返して中退したが、同センターに通うようになり、アミーゴの会に参加。少しずつ回復し、今では同じ悩みを抱える後輩たち約50人を支える立場に回っている。「悩みを抱えているのは自分だけではないと分かり、気持ちが楽になった」と振り返る。

 とはいえ、メンタルサポーターであること自体が、社会に出る前の猶予期間。別所寛人・同センター所長は、「ゆくゆくはここを巣立ち、社会に出てほしい」と話す。そんな期待に応えようと、瀧口さんは今、児童福祉の仕事を目指して大学の通信課程で学んでいる。

 苦しみを克服する先輩の姿勢が、後輩の進むべき道を示している。
受験の門戸広がる

 発達障害がある学生が増えている。日本学生支援機構が全国の大学などを対象に実施した実態調査によると、2011年5月1日現在、発達障害の診断書がある学生は、298校に1179人が在籍していた。診断書がなくても、発達障害と推察されて教育的配慮が行われている学生も、2035人おり、診断書のある学生の約1.7倍に上った。

 大学入試センター試験では11年から、特別措置を申請できる障害種別に、発達障害が新たに加わった。申請が通れば、試験時間の1.3倍延長、拡大文字問題冊子の配布、別室受験などが認められる。11年は95人、12年は135人が特別措置を申請し、発達障害がある受験生への門戸は広がっている。

 07年度から特別支援教育が本格的に始まった小・中学校と高校では、特別支援教育コーディネーターの配置や、個別の指導計画の作成などを通して、一人ひとりの教育ニーズに応じた支援が進んでいる。「大学全入時代」の到来で入学生が多様化するなか、こうしたサポートを経て進学してくる学生をどのように支えていくか、大学の対応が急がれている。

 発達障害 知的発達の遅れを伴わない発達の遅れのこと。脳機能障害とされている。読み書きなどの習得が困難な学習障害(LD)、衝動的に行動しがちな注意欠陥・多動性障害(ADHD)、対人関係が苦手な高機能自閉症などがある。2007年に学校教育法が改正され、従来の特殊教育では含まれなかった発達障害の子も対象とする特別支援教育が本格的に始まった。(保井隆之、写真も)
(2012年4月12日 読売新聞)

外国人介護士/流れ見据え人材開国推進を

2012-04-11 12:28:09 | 多文化共生
(以下、河北新報社から転載)
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外国人介護士/流れ見据え人材開国推進を

 介護福祉士の国家試験の結果が発表された先日、都内で記者会見したインドネシア人の合格者2人は、喜びと切なさの入り交じった表情を見せた。
 「友達が心配」。自分の願いがかなったことに安堵(あんど)しつつも、不合格の仲間の今後を気に掛けていた。
 一定の成績を収めていて希望すれば、滞在を1年延長し再挑戦が認められる。ただ、難関であることに変わりはなく、滞在延長と帰国との間で友人らの心は揺れているという。
 経済連携協定(EPA)に基づき来日し、全国の福祉施設で実習してきたインドネシア人とフィリピン人の36人が初の介護福祉士試験を突破した。
 受験したのは介護福祉士候補95人で合格率は37.9%。日本人を含めた全体の合格率63.9%に比べて格段に低い。
 介護士候補は日本の施設で3年間実務経験を積み、試験を受ける。滞在は4年間に限られ、受験機会は原則1回。合格しなければ帰国を迫られる。
 日本語が壁となる。日常会話はこなせても漢字の専門用語は難解で、設問にルビを振る配慮も効果は限定的。実習に追われ、受験準備に十分な時間を割けない実態もある。
 多くは母国の看護大などで学び、資格を持っている。医療福祉サービスの「プロ」にもかかわらず、日本語能力で排除される現実は釈然としない。
 介護の現場は人手の確保が難しく、少子高齢化の進行に伴い、2025年度には100万人が不足するとの予測もある。
 日本以上に少子化が深刻で、外国人の介護労働力に期待する韓国、台湾に加えて、一人っ子政策を背景に高齢社会に突き進む中国も今後、人材獲得に乗り込んでくるに違いない。
 パイプを強固にしておくべきで、意欲と能力のある外国人スタッフを追い返すように帰国させるのは割に合わない。
 厚労省は外国人介護士をEPAの特例とし、人手不足の解消策に位置付けていない。職員配置基準への組み込みを認めておらず、支援措置は乏しい。
 人件費などは受け入れ施設の持ち出しになる。横浜市のように独自に支えている自治体は少数で、施設の善意に頼っているのが現実だ。
 人手不足にあえぐ施設側も負担に耐えかね、受け入れ人数は先細る。インドネシアからの入国者は09年度の189人が11年度は58人、フィリピンは190人から61人に激減している。
 厚労省の消極姿勢が人材流入を妨げる「非関税障壁」になっている。外国人の合格者は全体のわずか0.04%で、職場が奪われる状況にない。せめて各国300人の受け入れ目安を確保できるよう支援策を講じたい。
 夢破れた帰国者は対日イメージを損ね、逆に活躍する若者の増加は経済交流や友好の促進にも寄与する。介護士の門戸拡大は高齢社会を乗り切る布石。人口減社会入りで、選択肢に浮上する移民という将来的な課題解決に向けた糸口も提供しよう。

2012年04月11日水曜日