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外国人へ“やさしい日本語”ネット教材開発

2014-03-13 11:31:51 | 多文化共生
(以下、デーリー東北新聞社から転載)
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外国人へ“やさしい日本語”ネット教材開発(2014/03/12 16:07)

 災害時、外国人に正確な情報を分かりやすく提供する「やさしい日本語」の研究を進めている弘前大学人文学部社会言語学研究室は11日、「やさしい日本語」の基礎文法が学べるインターネット教材を公開した。
 「やさしい日本語」では、小学2~3年生で習う程度の漢字や言葉を使い、普通より分かりやすく表現している。
 教材では、アニメーションを見ながら、▽簡潔な短文で表現する▽二重否定の表現は避ける▽時間表記を統一する―などの表現方法が学べる。
 日本で一般的に使われている「ライフライン」や「ダイヤル」は、原語と意味や発音が異なるため使わないといった注意点についても理解できる。
 同研究室が2013年12月と14年1月に、仙台市内の日本語学校に通う外国人85人を対象に、災害時に市町村で使う日本語と「やさしい日本語」のどちらが理解できたかを調査。「やさしい日本語」の理解度は普通の日本語表現の約1・4倍だったという。
 青森県内に14年1月末時点で、住民登録している外国人は2001人もいる。同研究室の佐藤和之教授は「やさしい日本語のルールを理解し、うまく活用すれば、外国人の皆さんも復興の力になってくれるはずだ」と話している。
 「やさしい日本語~基礎文法編~」は、検索エンジンに「弘前大学 やさしい日本語」と入力すると閲覧できる。(松倉宏樹)

※詳しくは本紙紙面をご覧ください。有料携帯サイトにも掲載しています。

災害弱者の支援 地域の備え抜かりな

2014-03-13 11:31:24 | ダイバーシティ
(以下、東京新聞から転載)
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災害弱者の支援 地域の備え抜かりなく

2014年3月13日


 思い返そう。東日本大震災での犠牲者の約六割は六十五歳以上だった。障害者の死亡率は被災住民全体の約二倍に上った。高齢化が進み、災害弱者は増えている。避難の手助けに抜かりはないか。
 津波はあっという間に押し寄せてくる。周りの人をかまうより前に、真っ先に逃げろ。
 「津波てんでんこ」。大震災であらためて注目された三陸地方の言い伝え。なるべく多くの命を救うための苦い歴史が生んだ知恵である。
 しかし他方、この言葉に複雑な思いを抱く人たちがいることもまた忘れるべきではない。自力での避難が難しい障害者や高齢者、妊産婦、乳幼児、外国人といった災害時の要援護者と呼ばれる人たちだ。
 津波に限らず、大規模な地震や風水害からの素早い避難をどう手助けするのか。警察や消防、自衛隊などの公助頼みでは明らかに限界がある。大震災の教訓だ。
 いざという時に備え、地域ぐるみで避難支援態勢を整えておくことが肝要だ。日ごろ蓄えた共助力が災害弱者の命運を左右する。
 昨年六月に改正された災害対策基本法に基づき、この四月から要援護者の名簿作りが市町村の義務になる。平常時には本人の同意を得て、災害時には同意がなくても、避難支援者らに提供できる。
 国は九年前にガイドラインを示し、市町村に要援護者の避難支援策を求めてきた。今度は大震災の反省を踏まえて個人情報への過剰な配慮を和らげ、人命を守る仕組み作りを法的に後押しする。
 名簿には氏名や住所、連絡先に加え、障害や要介護、難病などの詳細が盛り込まれる。要援護者の実情を把握し、災害情報の伝達や安否の確認、避難誘導の方法や避難先を事前に確かめておくことは地域社会の責務だろう。
 名簿作りはかねて全国で進められてきたが、昨年四月時点で三割近い市町村が未整備だった。東京都や愛知県では作成済みの市町村は八割程度にとどまっていた。
 できるだけ多くの要援護者を守りたい。プライバシーに目配りし、丁寧に説得してほしい。
 提供先の支援者として警察や消防、民生委員、社会福祉協議会や自主防災組織などが想定されている。修羅場の中で手が回るだろうか。心もとない。
 希薄化する地域のつながりを紡ぎ直す機会と捉え、隣近所の出番も探りたい。普段から防災訓練や教育研修に住民を巻き込み、信頼関係を築き合う試みが大切だ。

岡山へ避難なぜ多い

2014-03-13 11:30:57 | ダイバーシティ
(以下、山陽新聞から転載)
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岡山へ避難なぜ多い
後藤日本大教授に聞く

ごとう・のりあき 1956年長野県生まれ。日本大大学院博士後期課程修了。同大講師、助教授など経て2002年から現職。12年から全国の社会学者と取り組む共同研究「原発事故に伴う広域避難と支援の社会学―『転換後』の社会像と生き方モデルの探究」の代表を務める。


 復興庁が2月にまとめた東日本大震災に伴う避難者等の登録数は、近畿以西で岡山県が最多の1046人。全国的には減少傾向にある中で着実に増え続けている。原発事故後の社会像を研究する後藤範章日本大教授(57)=都市社会学=は、県内の避難者ら約20人に聞き取り調査を行った。「岡山県では新しい社会づくりの壮大な実験が進んでいる」と注目する後藤教授に、「なぜ岡山なのか」を分析してもらった。

 2012年から広域避難者が多い岡山県と沖縄県石垣市で調査した。岡山では大震災の5日後、多様な地元住民が「おいでんせぇ岡山」(逢沢直子代表)を立ち上げた。石垣でも震災前に移り住んだ人々が、早々に避難者の受け入れを始めた。

 3年たち、2地域に大きな違いが見える。石垣の避難者は支援者に協力しているが、リーダーになるケースはほとんどない。一方、岡山では避難者が支援組織に加わるだけでなく、自ら団体を作りリーダーとなっている。

 「おいでんせぇ岡山」は、避難者らによる「子ども未来・愛ネットワーク」(大塚愛代表)など各地の新団体と積極的につながり、ネットワークを構築。行政を巻き込むことにも成功している。

 岡山が避難者を吸引する要因として温暖で自然災害が少なく原発から遠いことが挙げられるが、それ以上に調査から分かったことは支援組織に人と人をつなぐ有能なコネクター、コーディネーターが存在していることだ。

 加えて各支援団体は、ホームページやメールニュースだけでなく、フェイスブック(交流サイト)やツイッター(短文投稿サイト)などITを駆使して情報を発信している。情報ネットワークに登録すれば、遠くにいても岡山の人たちの議論を知ることができ、発言も可能。避難者は意見交換を経て、岡山を目指す傾向が強い。

 地元では「岡山県民は他人に淡泊、冷淡」と言うそうだが、都会から来る人にはその県民性がかえって心地よい。「一定の距離を持って付き合い、困っているときには助けてくれるので安心」という声が多かった。

 最も注目すべきことは、都会で地域に無頓着だった人々が、岡山に来て地域と関わり、生き生きと暮らしていることだ。「今、楽しくてしょうがない」と語った男性デザイナーは、岡山で初めて地域を意識したという。多様な人々と一緒に活動しながら能力を発揮することで、自分が社会の中でどんな存在かが分かった―と。

 災害を経験した人が、人と関わる中で眠っていた能力を開花させ、その能力は他者との関わりを経てさらに大きな力になっていく。私は「原発エンパワーメント(能力開化)」「災害エンパワーメント」と表現している。

 東日本大震災は、阪神大震災(1995年)と異なり、全国規模で人の移動を促している。岡山のように、移住者が地域の中で表に出て活躍できる環境がある地域は、震災以前とガラッと変わっていく可能性が高い。東日本から多くの人が来ている事実が浸透する中で、県民も郷土のすばらしさを再認識しつつあるはず。岡山は“地殻変動”の最中にあると言ってもいい。

 原発に対する不安を持つ人は、マスメディアが報じるよりも実際はかなり多い。経済的安定を見込める道が開かれれば、一定の集住が進むだろう。県と市町村が定住支援施策に取り組めばもっと成果が上がるに違いない。

(2014年3月13日掲載)