秋花
2019-09-25 | 日記
おとといの低気圧で大荒れだった森は、今日また元気を取り戻しました。
この二日間は所用で街にでていました。
街には派手な看板が貼られていて車も多く、人々にも出会って過ごしたのですがその割
には何か物足りないのです。景色が殺風景なのです。
「どうしてだろう?」と考え続けましたが分かりませんでした。
森へ戻って車から降りようとして片足を土に下したとき、小さな赤紫の野の花を踏みそ
うになって、サッと足をよけました。その瞬間「あっ、これだ!」と謎が解けたのです。
そう、街には花がなかったのです。花を見なかったのです。
花のようなキレイなお姉さんはいたのでしょうが。
森にいると絶えず名も知らない花々が勝手に網膜に映りこんできて、無意識のうちに脳
にインプットされているのでしょう。それがいい気分にさせてくれる原因と思われます。
花を見たからって胸がいっぱいになるでもなく、腹いっぱいになるでもなく、ましてや
経済とはまったく無縁なのに、どうして人の気持ちが揺れるのでしょう。
たぶん、かって人が自然の一構成員だったころに持っていた本能のかけらが、花の周波
数にチューニングするのだと思うのです。
120年前までは、各家庭でたとえ一輪であっても花をめでる文化がありました。
もう一度、花があって虫と遊べる生活のなかで子どもを育てたなら、30年後の社会は
もっと優しくなると思うのですが、どうでしょう。
駒ケ岳に茜雲がどっかり座り込んで、秋深しを告げています。
来週はもう神無月です。
駒ケ岳の神様も出雲に出張するのでしょうか。
少し淋しくなります。
動(yurugi)