昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

イタリア旅行No.39 ヴァチカン市国「サン・ピエトロ大聖堂」

2011年05月16日 | 海外旅行
【東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。】

11/15 イタリア旅行7日目、 「システィーナ礼拝堂」の見学を終え、いよいよ最後の「サン・ピエトロ大聖堂」です。



広い「サン・ピエトロ広場」から見た「サン・ピエトロ大聖堂」のファサード(建物正面)の風景です。

「サン・ピエトロ大聖堂」は、信徒10億人以上と言われるカトリックの中心地で、高さ約120mのそびえるクーポラの風景は素晴らしいものです。

1626年に完成した現在の建物の前には、ペトロの墓の上にローマ皇帝コンスタンティヌス帝(272~337年)が建設したとされる最初の建物(349年頃完成)があったそうです。

キリスト教を初めて公認し、信仰の中心となる大聖堂を建設したコンスタンティヌス帝は、分裂したローマ帝国を再統一し、コンスタンディヌポリス(トルコのイスタンブール)へ首都を移転した歴史的な皇帝でもありました。



「サン・ピエトロ大聖堂」の平面図です。

図に向かって右手(北側)の「システィーナ礼拝堂」からアトリウム(玄関)へ入ってきました。

図の下には「サン・ピエトロ広場」が続いています。



アトリウム(玄関)北側の風景です。

向かって右手に進むと「サン・ピエトロ広場」、左手には五つの扉が並び、一番右にある「聖年の扉」です。

アトリウムにある五つの扉は、平面図左から「死の扉」「善と悪の扉」「フィラレーテの青銅の扉」「秘蹟の扉」「聖年の扉」と並んでいます。

中央の「フィラレーテの青銅の扉」は、旧サン・ピエトロ大聖堂から移設された扉で、エウゲニウス四世(在位1431~1447年)の頃に作られたものです。

フィラレーテ(1400~1469年頃)は、フィレンツェ生れの彫刻家で、フィレンツェ「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の門扉「天国の門」を製作したロレンツォ・ ギベルティの弟子とされています。

また、エウゲニウス四世は、亡命中のフィレンツェで建築家ブルネレスキによって完成した巨大ドームのある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母大聖堂)」の献堂式に列席した教皇でもありました。

初期ルネサンスの作品にはフィレンツェにちなむ人々が多く関わっています。



フィレンツェ「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の門扉を彷彿とする「聖年の扉」です。

普段、この扉は閉じられており、カトリック教会で「聖年」とされる25年ごとのクリスマスに開かれ、ローマに巡礼した人々に特別な赦しが与えられるそうです。

パネルには罪・赦し・人類の救済など聖書の物語が描かれ、最後のパネル(右下)には設置された1949年のクリスマス、ピウス12世(在任1939~1958年)が「聖年の扉」を開く場面が描かれているようです。

タイムマシーンで完成後の未来の式典を見に行き、描いた訳ではないと思いますが、ピウス12世の心をくすぐるパネルだったと思われます。



荘厳なサン・ピエトロ大聖堂の中に入ると、右手にミケランジェロ(1475~1564年)の傑作「ピエタ(慈悲)」(1500年頃の作品)がありました。

磔の十字架から下ろされた息子キリストを抱く聖母マリアの姿が美しく表現され、神々しさが感じられます。

25才頃の若きミケランジェロの作品で、その非凡さに驚かされます。

平面図では「聖年の扉」の上にあります。



サン・ピエトロ大聖堂の身廊(回廊中央)から主祭壇方向を見た風景です。

サン・ピエトロ大聖堂は、長さ192.76m、回廊の幅58mと、世界最大の聖堂だそうで、うす暗い聖堂内の柱や壁には多くの彫刻や絵画で飾られ、その荘厳さに興奮して夢中で歩き回っていました。

中央に黒い門のように立つのはベルニーニ作(598~1680年)「パルダッキーノ(天蓋)」(1633年)で、その上には巨大なドームがあります。



主祭壇の後方にある黒い四本の柱で支えられた「パルダッキーノ(天蓋)」です。

「サン(聖)・ピエトロ(ペトロ)大聖堂は、キリストの一番の弟子「聖ペトロ」の墓の上に建てられたとされ、「パルダッキーノ」の地下には、まさに約二千年前に殉教した「ペトロ」の墓があります。

ブロンズ製の四本の柱には、らせん状に彫刻で飾られ、奇抜にも思えるモニュメントのようですが、神聖な場所を強く意識させられます。

これは、「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と称賛されたジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598~1680年)による1633年の作品です。



「パルダッキーノ」の前には柵で囲まれた地下の階があり、地下の主祭壇へ下りて行く階段もありました。

この地下の発掘調査では丁寧に埋葬された1世紀の遺骸や、石碑なども発掘されたそうで、「聖ペトロ」の墓の伝説が2000年の時を越えて伝わってきたことに驚かされます。

「サン・ピエトロ大聖堂」には多くの素晴らしい彫刻や、絵画などに翻弄されますが、ここが最も感動すべき場所のようです。



主祭壇の近くに「聖ペトロ像」がありました。

新約聖書によると「聖ペトロ」は、イスラエル北部の大きな湖「ガリラヤ湖」で弟の「聖アンデレ」と漁をしていた時、対岸に渡ろうとするイエスに声をかけられ、最初の弟子になったそうです。

又、「聖ペトロ」は、イエスから「天の国の鍵」を授けられたとされ、カトリック教会ではペトロを初代ローマ教皇としています。

それ以降約2000年間、現在の第265代ベネディクト16世までローマ教皇が続いていることにも改めて感心します。



主祭壇の上に四本の太い柱に支えられた巨大なドームが輝いていました。

太い柱に造られた壁龕には17世紀の作品、「聖アンデレ像」(ペトロの弟)、「聖ヴェロニカ像」(女性)、「聖ヘレナ像」(ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母)が見上げる高さに置かれていました。

平面図にあるように十字の形に造られた「サン・ピエトロ大聖堂」は、このドームの位置で交差し、上から降ってくる光が最も神聖な場所を演出しています。



身廊を進んだ主祭壇の最後部の後陣に「玉座の祭壇」があります。

祭壇の中央上部に明るく輝く楕円形の窓があり、その中心に聖霊の鳩が描かれています。

きらびやかな祭壇や、輝く丸い天井を大勢の人が見上げています。



「玉座の祭壇」には「聖ベトロ」が座って説教したと伝承のある象牙板で飾られた椅子が置かれています。

「聖ペテロの椅子」は、東方、西方の教会博士の巨大なブロンズ像(5.35m)に囲まれています。

前列は、西方の「聖アンプロシウス」(左側)、「聖アウグステイヌス」(右側)、後列は、東方の聖アタナシウス(左側)と聖ヨハンネス・クリュソストモス(右側)だそうです。

「聖ペテロの椅子」の調査によると、アカシアの木の骨組み部分は当初の物である可能性が高いとされているそうです。

墓の発掘調査や、椅子の調査結果は、架空の伝説のようにも思えた約2000年前の新約聖書の世界が現実の出来事だったことを強く感じます。

イタリアの歴史は、本当にすごい!

長かったイタリアの旅の最後に古代ローマ時代の世界を実感する見学が出来てとても満足でした。

多くの素敵な風景にも感動しましたが、やはりこの歴史の重みを感じる「サン・ピエトロ大聖堂」の見学は格別のものでした。


参考文献
「ヴァチカン・ガイド 美術館と市国」石鍋真澄監修
「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」地球の歩き方編集室著


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。