昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

長崎旅行-11 雲仙市小浜町の「金濱眼鏡橋」

2013年02月19日 | 九州の旅
2012年9月11日長崎旅行2日目、島原半島南端に近い口之津港を後に島原半島西岸を北上、雲仙市小浜町金浜の「金濱眼鏡橋」に立ち寄りました。

九州各地には多くの古い石橋が造られており、その見物も旅行の楽しみです。



金浜川のせせらぎに架かる「金濱眼鏡橋」です。

「金濱眼鏡橋」は、江戸時代末期の1846年(弘化3)に造られたアーチ型石橋で、アーチの向こうにコンクリート製の橋も見えます。

自動車が走る現代の橋と、流失対策で堅牢性を重視先して歩いて渡る江戸時代の橋が重なる風景です。



橘湾に面した島原半島南西部の雲仙市小浜町金浜周辺の地形図で、「金濱眼鏡橋」は、赤丸印の場所です。

右下隅は、「金濱眼鏡橋」周辺を拡大した地形図で、金浜川南岸の国道251号の脇に専用駐車場があり、「金濱眼鏡橋」は、旧道と思われる海岸沿いの道との中間にあります。

「金濱眼鏡橋」の下流側には金浜川の支流が合流しており、河口の南の小さな入江が金浜漁港です。



「金濱眼鏡橋」の上から国道251号が見える上流側を見た風景です。

「金濱眼鏡橋」の駐車場が国道が通る橋のたもとにあり、その下にある白壁となめこ壁の建物は、公衆トイレのようでした。

川岸に遊歩道が造られ、水辺を歩きながら「金濱眼鏡橋」の風景を楽しむことが出来るようです。



「金濱眼鏡橋」の上から下流の河口方向を見た風景です。

金浜川の両岸の遊歩道は、旧道の橋の下まで続き、約100mのちょっとした川辺の公園になっていました。

金浜川の河口のはるか沖には諫早市付近の山並みが見えます。



国道脇の駐車場に「金濱眼鏡橋」の石碑がありました。

写真を撮って帰りましたが、読み取りに苦労しました。

前後の文で、推測した部分もあり、間違っていたらご容赦ください。

■石碑の碑文です。
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金濱眼鏡橋由来記
 昔時、金濱川はしばしば氾濫し、
洪水のたびに架橋は流失した。ために
人々は苦しみ、その復旧作業に難儀した。
北串山の人、岡右衛門はこの窮状を
見かね、石橋架橋によって人々の難を
救わんと決意し、弘化三年(一八四六年)
遂にこれを完成した。当時の架橋技術の
最高を駆使したと言われる。
爾来およそ百五十年、この石橋は、
よく風雪に堪え、橋畔のアコウの樹とともに
生きて、時代の流れを見守り続けてきた。
しかしながら永い歳月の間に石材は風化し、
欄干や橋底は落ちるなどして、往年の
面影を止めないまでに傷みが激しくなった。
かつて、この石橋に通じる道路は、
「殿様道」とも称されて、藩制時代は
重要な街道でもあった。平成の今日、
生活道路としての意義は薄れたが、
今、往年の金濱眼鏡橋を解体修理して
平成金濱眼鏡橋を復元し、併せて河畔を
整備する。
そのゆえんとするものは何であるか。
それは、一つには、先人の遺徳を偲び
その尊い顕績を称えんがためである。
そして、またそれはこのすぐれた文化財を
永く児孫に伝え、その郷土愛の魂に
培わんとするためである。
  平成五年(一九九三年)三月三十一日
    小浜町教育委員会
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「金濱眼鏡橋」北岸に建つ石碑です。

石碑に刻まれた金色の文字は、橋や、川の名称「金」の文字を意識したものでしょうか。



「金濱眼鏡橋」の北詰の風景です。

アーチ型が高く、北岸の高さが低いためか、6段の階段が必要だったようです。



「金濱眼鏡橋」を歩き、中程から北岸をふり返った風景です。

橋の向うに直進する道がなく、不自然な位置に架る橋です。

石碑によると、橋に通じる道は、「殿様道」とも称され、「藩制時代は重要な街道だった」としており、平成の解体修理の時に橋の場所が変更されたことが考えられます。

北岸の高さが低く、橋に階段を設置したのは、直進の道がなく、長い傾斜の道を造れなかったことによるものと思われ、移設の際の苦肉の策が階段だった可能性もあります。



「金濱眼鏡橋」の中程から橋の南詰めを見下ろした風景です。

こちらは、石のアーチの先には階段がなく、長い坂道が続いています。

右手には「金濱眼鏡橋」150年の歴史を共にしたと石碑に書かれているアコウの樹がそびえ、坂道の右側に金浜川の小さな支流が流れています。

アコウは、「締め殺しの木」の別名を持つクワ科イチジク属の植物で、大木に寄生して長い気根を伸ばし、最後には大木を覆って枯らせてしまう怖い木でもあります。

もしかして「金濱眼鏡橋」と歴史を共にしていたのはアコウが寄生した大木だったのかも知れません。