昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「佐敷城跡」の「月代の宮」に参拝

2008年09月10日 | 沖縄の旅
沖縄本島旅行の思い出の続きです。
大里城の次に南城市佐敷字佐敷の「佐敷城跡」へ行きました。

「佐敷城」は、14世紀頃、三山時代といわれた沖縄本島を統一した尚巴志[しょうはし]や、その父思紹が拠点としていたグスク(城)です。



「佐敷城跡」への道は、国道331号線から佐敷小学校の東側を南へ入った場所にあります。
国道331号線沿いに大きな鳥居がありました。
鳥居の向こうに見えるのは国道です。



「佐敷城跡」の広場です。
写真に向かって左から車で入ってきました。
右に見える建物は、「内原の殿」跡に建てられたほこらで、右から入り、左に祭壇がありました。

■「内原の殿」の案内板を転記します。
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内原の殿(ウチハルヌトゥン)
内原の殿は、上城の殿ともよばれ、女官たちの働いていた場所といわれており、もともとはカマド跡付近にあったと考えられています。
以前は粟石の柱で壁はありませんでしたが、昭和55年にコンクリートのほこらに建て替えられました。
南城市教育委員会
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広場に入り、すぐ右手の斜面に慰霊碑が建ち、その後方に「上グスクのカマド跡」がありました。

拝所のようにもなっており、沖縄の伝統的な信仰で、カマドの神様、ヒヌカン(火の神)をお祀りしているようです。

■案内板を転記します。
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上グスクのカマド跡
グスク時代のカマド跡といわれており、火の神を祭ったところと考えられています。
また、この辺りは女官たちの働いていた場所といわれています。そのようなところから、女官の詰め所といわれる内原の殿は、もとはこのカマド跡にあったともいわれています。
南城市教育委員会
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「佐敷城跡」には尚巴志一族を祀る神社「月代[つきしろ]の宮」が建てられており、正面に見える階段から「月代の宮」に登って行きます。

階段横に「月代宮」と刻まれた石碑があります。

■写真に向かって右端に「佐敷城(グスク)」の案内板があり、転記します。
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佐敷グスク(上グスク)
佐敷グスクは、三山を統一した尚巴志とその父尚思紹の居城跡といわれています。1979年の発掘調査によって、青磁・白磁のお碗や皿、土器、石器、鉄釘や小銭などが出土しました。また、柱の穴
のあとや土留めの石積みも確認されましたが、沖縄各地のグスクに見られるような石垣はまだまだ発見されていません。
さかえる町 しぜんの町 きぼうの町 佐敷町教育委員会
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案内板に「佐敷城跡」の案内図がありました。
かっての「佐敷城」をイメージすることは出来ませんでした。



「月代の宮」の鳥居と、石段を登った先に拝殿が見えます。



「月代の宮」の拝殿です。
鉄製の欄干が錆びて、少しみすぼらしくなっています。

錆びる前に早く塗装しないと大変です。


「月代の宮」の拝殿の中から後方に本殿が見えます。
本殿は、以外に小さなものでした。



「月代の宮」の本殿です。
本土の神社と比較すると小さなものですが、御嶽[うたき]を基本とする沖縄の信仰で、この神社「月代の宮」がどのような人々によって造られ、維持されているのか興味のあるところです。



「月代の宮」の本殿の前に小さな石碑が置かれ、「御先神様 佐敷世之主 国の主」と刻まれています。
尚巴志一族の祖霊を讃える言葉でしょうか? なぜか深い信仰を感じます。



「月代宮」の本殿の裏に「上グスク之嶽」がありました。
後ろは道路になっており、神秘さが失われている感じです。

ここは、琉球王朝時代から聖地とされ、首里城から沖縄本島の東南部の聖地14ヵ所を巡る行事「東御廻り」の一か所とされているようです。
「東御廻り」は、かって国王の行事だったものが、一般の人々の行事になっているようです。

■上グスク之嶽の案内板を転記します。
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上グスク之嶽
排所巡礼「東御廻り[アガリウマーイ]」のコースの一つで、『琉球国由来記』には祭神としてステツカサノ御イベ・若ツカサノ御イベの二神が記されています。もともとこの場所にあったのかは、まだ分かっていま
せん。
佐敷町教育委員会
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