南山城跡のすぐそばに「嘉手志川(カデシガー)」という泉があります。
三山分立時代(14~15世紀)の伝説にも登場し、古くからこの一帯の人々の生活を潤す大切な水源となっていたようです。
向って右側の道は、南山城跡から県道を横切ってきた道で、左に折れると「嘉手志川(カデシガー)」があります。
たくさんの根を下ろしたガジュマルの木が広く枝を張って、やさしい木陰をつくっています。
カデシガーに下る道は、少し先にもありました。
坂道の向こうに見える水辺が「カデシガー」です。
この辺りでは最も低い場所になっているようです。
坂道の右手に「嘉手志川」と刻まれた石碑が立っていました。
石碑の台石にある銅板を見ると「手づくり郷土賞」と書かれてあり、国土交通大表彰を受賞した記念に平成3年3月に建立された石碑ようです。
国土交通省の「手づくり郷土(ふるさと)賞」のサイトをのぞいてみると、平成2年度「生活を支える自然の水 30選」の一か所として受賞していました。
その他に「街灯のある街角 30選」「花と緑の手づくりふるさと 30選」「ふるさとの坂道 30選」と全部で4部門があり、平成2年度には実に120カ所が「手づくり郷土賞」で表彰されていました。
現在も毎年数十か所が表彰され続けているようです。
国が膨大な借金で苦しみ、国の予算が深刻な不足と言われている割には、こんな予算が使われており、まだまだムダが多いようです。
「嘉手志川」の石碑の横にこんな小屋がありました。
小屋の下からパイプが出て、電気メーターがあることから、小屋の中にポンプがあり、どこかに水を送っているのかも知れません。(かっての簡易水道の設備だったのでしょうか?)
小屋の前に大きな木があり、根元には小さな穴と、コンクリートの台があります。
何やらお供えの台に見え、拝所のようにも見えます。
沖縄の信仰で、井戸や、泉などのそばにこのような場所があるのを見かけたことがあり、古くからの信仰の場所だったものと思われます。
坂道を下ったあたりの景色です。
向って右のコンクリートの下には、カデシガーの湧水が出ています。
その向こうの白い乗用車の前に下段の写真の石碑が見えます。
カデシガーの水辺のそばに古い石碑がありました。
石碑の表には「灌漑設備記念」と刻まれているようですが、「設」の字の部分が剥がれています。
石碑の裏には「起工 昭和五年午庚八月五日、竣工 昭和六年未辛一月十三日」とあり、満州事変のあった1931年に周辺整備が完成したようです。
下ってきた坂道が向こうに見えます。
「カデシガー」の水辺の周辺には木や、花が育ちとても気持ちの良い場所です。
この「カデシガー」には、三山分立時代の終り頃の伝説があります。
南山王「他魯毎王(たるみい)」が中山王「尚巴志(ショウハシ)」が持つ金屏風を欲しがり、「カデシガー」と交換したそうです。
民衆は、大切な泉を交換した南山王に失望し、遂に南山城は、「尚巴志」により陥落したと伝えられています。
2本目の坂道から県道や、「南山城跡」方向を見た景色です。
コンクリートの壁の上は、県道で、その向こうの林が、「南山城跡」です。
石垣と、コンクリートの屋根で囲われている場所から豊かな水が湧き出ています。
この湧水は、透水性が低い「島尻層群泥岩」の上を「琉球石灰岩層」が覆ってい、二つの地層の境界付近から水が湧くと言われています。
地下からきれいな水がこんこんと湧いています。
この泉は、干ばつの時でも枯れることがないと言われ、もう一つの伝説が残っています。
昔、干ばつが続き、人々は雨乞いをしたが、雨は降りませんでした。
ある日、老婆のもとへ、びしょ濡になった飼い犬が帰ってきたそうです。
不思議に思った老婆は、犬の後を付けて行くと、この場所にコンコンと水が湧く泉があったという話です。
人々は、泉の発見で、カデシ!、カデシ!と喜んだそうです。
その後、この泉は「カデシガー」※と呼ばれるようになったそうです。
※「カデシ」は沖縄の方言で、「すばらしい」「めでたい」の意味だそうです。[かりゆし(嘉例吉)と同じような言葉のようです]
又、沖縄の方言で、井戸や、泉のことを「カー・ガー」と言うようで、二つの言葉をあわせて「カデシガー」となったようです。
三山分立時代(14~15世紀)の伝説にも登場し、古くからこの一帯の人々の生活を潤す大切な水源となっていたようです。
向って右側の道は、南山城跡から県道を横切ってきた道で、左に折れると「嘉手志川(カデシガー)」があります。
たくさんの根を下ろしたガジュマルの木が広く枝を張って、やさしい木陰をつくっています。
カデシガーに下る道は、少し先にもありました。
坂道の向こうに見える水辺が「カデシガー」です。
この辺りでは最も低い場所になっているようです。
坂道の右手に「嘉手志川」と刻まれた石碑が立っていました。
石碑の台石にある銅板を見ると「手づくり郷土賞」と書かれてあり、国土交通大表彰を受賞した記念に平成3年3月に建立された石碑ようです。
国土交通省の「手づくり郷土(ふるさと)賞」のサイトをのぞいてみると、平成2年度「生活を支える自然の水 30選」の一か所として受賞していました。
その他に「街灯のある街角 30選」「花と緑の手づくりふるさと 30選」「ふるさとの坂道 30選」と全部で4部門があり、平成2年度には実に120カ所が「手づくり郷土賞」で表彰されていました。
現在も毎年数十か所が表彰され続けているようです。
国が膨大な借金で苦しみ、国の予算が深刻な不足と言われている割には、こんな予算が使われており、まだまだムダが多いようです。
「嘉手志川」の石碑の横にこんな小屋がありました。
小屋の下からパイプが出て、電気メーターがあることから、小屋の中にポンプがあり、どこかに水を送っているのかも知れません。(かっての簡易水道の設備だったのでしょうか?)
小屋の前に大きな木があり、根元には小さな穴と、コンクリートの台があります。
何やらお供えの台に見え、拝所のようにも見えます。
沖縄の信仰で、井戸や、泉などのそばにこのような場所があるのを見かけたことがあり、古くからの信仰の場所だったものと思われます。
坂道を下ったあたりの景色です。
向って右のコンクリートの下には、カデシガーの湧水が出ています。
その向こうの白い乗用車の前に下段の写真の石碑が見えます。
カデシガーの水辺のそばに古い石碑がありました。
石碑の表には「灌漑設備記念」と刻まれているようですが、「設」の字の部分が剥がれています。
石碑の裏には「起工 昭和五年午庚八月五日、竣工 昭和六年未辛一月十三日」とあり、満州事変のあった1931年に周辺整備が完成したようです。
下ってきた坂道が向こうに見えます。
「カデシガー」の水辺の周辺には木や、花が育ちとても気持ちの良い場所です。
この「カデシガー」には、三山分立時代の終り頃の伝説があります。
南山王「他魯毎王(たるみい)」が中山王「尚巴志(ショウハシ)」が持つ金屏風を欲しがり、「カデシガー」と交換したそうです。
民衆は、大切な泉を交換した南山王に失望し、遂に南山城は、「尚巴志」により陥落したと伝えられています。
2本目の坂道から県道や、「南山城跡」方向を見た景色です。
コンクリートの壁の上は、県道で、その向こうの林が、「南山城跡」です。
石垣と、コンクリートの屋根で囲われている場所から豊かな水が湧き出ています。
この湧水は、透水性が低い「島尻層群泥岩」の上を「琉球石灰岩層」が覆ってい、二つの地層の境界付近から水が湧くと言われています。
地下からきれいな水がこんこんと湧いています。
この泉は、干ばつの時でも枯れることがないと言われ、もう一つの伝説が残っています。
昔、干ばつが続き、人々は雨乞いをしたが、雨は降りませんでした。
ある日、老婆のもとへ、びしょ濡になった飼い犬が帰ってきたそうです。
不思議に思った老婆は、犬の後を付けて行くと、この場所にコンコンと水が湧く泉があったという話です。
人々は、泉の発見で、カデシ!、カデシ!と喜んだそうです。
その後、この泉は「カデシガー」※と呼ばれるようになったそうです。
※「カデシ」は沖縄の方言で、「すばらしい」「めでたい」の意味だそうです。[かりゆし(嘉例吉)と同じような言葉のようです]
又、沖縄の方言で、井戸や、泉のことを「カー・ガー」と言うようで、二つの言葉をあわせて「カデシガー」となったようです。