昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

沖縄県北中城村の「中村家住宅」

2008年04月23日 | 沖縄の旅
東北旅行の思い出は、1回お休みします。
2008-04-17沖縄県北中城村の「中村家住宅」(18世紀の建物で国の重要文化財)のホームページにブログが開設された案内を頂きました。
以前、「中村家住宅」サイトの掲示板に妻の油絵「中村家住宅」のページ(当ブログ)を紹介させて頂いたことがあり、新設のブログに油絵の写真が掲載された案内でした。
沖縄の歴史的な建物で、妻の画材でもある「中村家住宅」をこの機会に紹介することにしました。



ゆったりとした駐車場から「中村家住宅」の門に向かう場所から見た景色です。
門の左右に長い立派な石塀があり、その上にはフクギの垣根が見えます。
向って左側に受付と、売店のある建物があります。
2匹のシーサと花を背景にして妻と、記念写真を撮りました。



写真は、「中村家住宅」の門で、沖縄の伝統的な形をしています。
つき当りの石壁は、「ヒンプン」で、外から家の中が直接見えないようにするためと、魔除けの意味もあるようです。



正面の建物は、母家(ウフヤ)で、向って右の部屋から「一番座」「二番座」「三番座」と呼ばれ、次に台所があるのが一般的ですが、「中村家住宅」ではその間に板の間が設けられています。
「一番座」から「三番座」の裏側にも部屋があり、「裏座」と呼ばれるようです。
向って右の建物は、離れ座敷(アシャギ)で、6畳が2間あるそうです。

江戸時代、武家屋敷は、身分によりの間取りや、屋根の葺き方などを細かく規定されていたようです。
琉球王朝下の家屋にも身分による規定があり、豪農とはいえ「中村家」では6畳以上の部屋は造れなかったようです。

母家の正面を見ると軒は深く、柱で支えられ、その空間は、雨端(アマハジ)と呼ばれています。
雨端は、日差しを遮り、家に上がる玄関を兼ねた場所で、「一番座」「二番座」の入口を守るようにシーサーが鎮座していました。



母家(ウフヤ)の屋根にある顔だけのシーサーです。
母屋の前にある「高倉」の軒下から見上げた写真で、ちょっと恐いシーサーの顔がとても印象的です。



母家(ウフヤ)に米軍統治下で発行された切手のコレクションが展示されていました。
初めて見た時、改めてこの沖縄が悲惨な戦争に巻き込まれ、長い間米軍の軍政下で苦しんでいたことを思い浮かべました。
二度とこのような切手が使われる時代にならないことを願うものです。
しかし、首里城などが戦争で壊滅的な被害を受けたことを思うと、この歴史的建物「中村家住宅」がよく今日まで残されたものだと感心します。



高倉を東から見た様子です。
古い生活用具や、高倉の模型、建物の模型などが展示されていました。
元は、高倉には一階部分がなく、屋根のすぐ下の二階部分が倉庫として使われていたようです。



門を入り、塀に沿ってすぐ左に歩くと井戸(カー)があります。
妻が、赤瓦の建物を背景に赤い花の植えられた井戸の景色が、とても気に入って、このブログでも油絵を掲載しています。



05年3月、外人の親子が「中村家住宅」の井戸の西から石段を下ていました。
その横に「中村家住宅」の人が立っています。



「中村家住宅」の裏山、敷地西北にあるフール(豚小屋)の上にハナチョウジ(花丁字)が咲いていました。
母家、台所、家畜小屋(メーヌヤー)の赤い屋根が連なり、離れ座敷、高倉の屋根も見えて壮観です。



裏山から母家と、離れ座敷を見下ろした景色です。
裏庭に面しても雨端(アマハジ)が見え、風通しがよく心地の良い涼しさを感じる場所です。



「中村家住宅」の受付、売店の建物です。
帰りに立ち寄り、お茶を頂きました。