昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

石垣島「唐人墓」

2007年08月11日 | 沖縄の旅
石垣島の新川富崎の「唐人墓」にお参りしました。


「唐人墓」には残虐な事件により亡くなった中国人の「苦人(クーリー)」128人を祀った墓だそうです。
「唐人墓」の前は広場になっており、その前は海の見える芝生の植え込みが広がっていました。


「唐人墓」の正面にある説明文です。
事件や、墓の建設の経緯は、この説明文に書かれています。
1852年、イギリス船で400人の中国人がカリフォルニアへ送られる途中、残虐な扱いを受けて船内で暴動を起こしたそうです。その影響で、船は石垣島近海で座礁し、中国人たちは船から逃げ出し、石垣島で保護されたそうです。
しかし後日、英米兵が石垣島に来て、逃げた中国人を大勢殺していったそうです。
病気で死んだ人も多く、島の各地で埋葬されていた人も合わせてこの墓に祀られたそうです。


屋根の上の鮮やかな色彩の人形が、数か所でそれぞれ物語のシーンを表現しているようでした。
物語の内容や、人形についてはよく分りません。

「唐人墓」は、アメリカ大陸に連れて行かれる、中国人奴隷のような人たちだったようです。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した(人類としての発見ではない)後、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に住んでいたインディオを奴隷的に扱い、千数百万人の人が死んでしまったようです。
ヨーロッパ人は、その不足を補うためにアフリカ大陸から黒人奴隷を多くアメリカ大陸に連れてきたようです。
アフリカ大陸からの黒人奴隷の供給が減少し、(アフリカでの労働力需要増加による)その不足を中国人で補おうとしていた時代の事件だったようです。


屋根中央の上にある人形です。

この事件は、江戸時代末期の黒船事件の少し前の事件で、琉球王朝の対応も非常に難しいものではなかったかと思います。


屋根中央の人形の向って右下の人形たちです。
この英雄のような人形たちが、イギリス・アメリカ兵に殺された苦人(クーリー)たちに救いを与えてくれるのでしょうか。


屋根中央の人形の向って左下の人形たちです。


屋根の左右の下段に龍が描かれ、向って右の写真です。


上の写真と反対の、向って左の竜の写真です。


向って右の龍の下の人形です。


向って左の龍の下の人形です。



左右のシーサーの写真を合体させています。
シーサーの顔は、中国風のようです。