武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ビート・ゼェネレーションと武内ヒロクニ

2010-06-15 07:05:54 | Weblog
地下街の人びと (新潮文庫)
ジャック ケルアック
新潮社


上記の本を家でよく見かける。「地下街の人々」ジャック・ケラワック著の本である。わたしは、その本の題名からビートニクな印象を受け、この本をヒロクニさんが持ち歩いている度に、眉をしかめたものである。地下街の人々イコール貧乏でどーしょうもなくイカレタ芸術家の集まりを想像して「いつまでこんな本を後生大事にするつもりだろう」と。わたしは、同時代の作家、トールマン・カポーティに熱を上げていて、広げて読むとなんか意味の解らん、雰囲気だけの文章に思えたのです。


ヒロクニさんのアトリエ内に貼ってある写真。写真集の中から切り取られた1枚だ。写っているのは、アレン・ギンズバーグだ。「吠える」という詩集で有名な詩人。ビート・ゼネレーションの火付け役のような人だ。放浪しながら生活し、詩を書くというスタイルのある瞬間を撮ったものなのだろう。場所はインド。猿と手をつないでいるように見える写真は、東洋に瞑想をしに来ているような雰囲気が漂う。
 アメリカのジャーナリズムが取り上げたのは、極彩色のビート族で、粗末なシャツにデニムのスラックスをはき、手にはジャズのレコードやギンズバーグの詩集「吠えろ」を持ち、不潔で物騒な若者達なイメージが焼きついているらしい。
 ヒロクニさんもジャズをよく聞き、若い頃は髪の毛を赤く染め、髪の毛が爆発していた写真がある。シャツはその頃の恋人が作ってくれた星柄の派手なシャツで、もちろん不潔そうだった。よく「あなたは、ヒッピーだったのか?」と聞いたが答えは「ノー」である。「ヒッピーというのは、意識もあやふやな奴らで、すぐ変わるのだよ」「ただの風俗なんだ」と言う。アメリカでも本当にビート・ゼネレーションだったのは、探求に旅だった人間で静かに、アメリカ生活のあらゆる底辺と地下世界に存在するものらしい。地下世界とは、底辺の生活とは、必要なお金をえるための労働・例えば船乗りとして生活をしながら、詩を書く等という地味な生活をさすようです。有名作家になり社交界に顔を出すという世界には、彼らは自ら否定している態度のことで、アメリカ的実存主義と考えることができるということです。

「しあわせ食堂」光人社のあとがきの作家紹介にて
『小賢しいアッパー・カルチャーの氾濫のなかで、倣岸不遜の地下生活者として、都市の喧騒と退廃と官能性を色鉛筆に留めよ。永遠に!!』
とあり、アホなわたしは、地下生活者の部分で、ぼろい平屋に普通に暮らしてるのだけどなぁと思い、地下生活???と思っていたのでした。地下室に住んでないしなぁと。最近、ビート・ゼネレーション 諏訪優氏の本を読んでやっと意味が解ったのであります。目からウロコが落ちたのでした。
後、アッパー・カルチャーの意味がはっきり良く解らないのだけど、誰かに質問してみよう。しかし、アッパー・カルチャーに対抗しているということは、粗野で貧乏な本物の芸術家だと言って下さっているような気がする。
コメント
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