武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

夕暮れの街並み(色鉛筆作品662)と 板のパネル作り

2022-03-10 17:06:59 | Weblog

クレヨンと色鉛筆、鉛筆使用。

この作品は、小品で、14cm×18cmという大きさ。

小さいサイズの作品は、牧歌的なものが出来ることが多い。

実物の色はもう少し明るいのですが、

写真の撮り方のせいでうまくいっていません。

街並みとすれば、人は巨人の大きさ。

時は夕暮れ。

武内は、他の絵でも「夕暮れ」というタイトルを付けることが多い。

思い入れがあるのだと思います。

郷愁に近いものかもしれない。

わたしも子供の頃は、夕暮れ時になると、

家々から夕食の匂いがして、外で遊ぶのをやめ、帰途についた。

「ああ、今日一日が終わる」と思い、

安心感や、一抹の寂しさや、充実感が混ざり合う一時。

そんな子供の頃の夕暮れを思します。

「カラスが鳴くから、帰ろう」と皆で歌いだしたりして、

家に帰るのです。

カラスが鳴かなくても歌い、

その歌を歌うことが、帰る合図だった。

教えられてもいないのに、そうであったのが不思議。

この積み木みたいな街並みの絵のせいか、

この絵を見ていると子供の頃の夕暮れを思い出しました。

 

 

昨日、ヒロク二さんから相談を持ちかけられました。

木のパネルに絵を貼ってみたいのだけど、

その木をどこで買ったらいいかと。

わたしは木に絵を貼り付けてしまうというのは、あまり賛成じゃない。

重くなるし、整理しにくくなるから。

額装する時にも問題が起こりやすい。

それでも、話しを聞いていました。

最初から、「ろくな考えじゃない!」と言うのは可哀想なので。

買うのは、「1枚パネル板を買って自分で切って持って帰るところ」か、

「ホームセンターで頃合いの木を買って、工房で自分で切る」か、

「1枚買って、それを切ってくれる所で買う」か、と返事をしました。

何故、急にそんなことを言い出したかというと、問い詰めると、

知っている小さな美術館、ビルの一角にあるところで、

作品を展示したいから、だそうで、

額装をする替わりの工夫として考えついたらしい。

もう、ヒロク二さんの頭の中では決まっているみたいなのですが、

そこの担当の方がいいともなんとも言っていないのに、

考えを固めていっているようなのです。

「そこで、サンプルを1つ作ってみたら?」と提案した。

「そのサンプルを見てもらってから、話を進めたら」と、また提案。

「なるほど」と言っているのですが、

もう、その板を用意するのは、話をしたわたしの役目に決まっているようで、

“ホームセンターで頃合いの木を買って、思うサイズに工房で自分で切るのはわたしの仕事”らしい。

ちょっとムッときたわたしは、

「何で、電動ノコギリを使うのはわたしなの?」

「それって、男の仕事じゃないの?」と。

以前、色鉛筆画用のパネルを作った時も、パネルを支える木の棒の角を45°に切るのは、

わたしの役目になり、正確に切れないので組み合わせるのが切ったものにしか分らないようになり、

その木切れとパネル面に貼る作業は全部わたしがすることになった。

ヒロク二さんは見ているだけで、絵をパネルを合わせて「サイズよし!」と言うだけ。

わたしは、釘を口でくわえて黙々と作業していました。

少なく見積もって、20枚以上はあったと思う。

20×4本の棒切れの左右に角度45°ということは、80箇所も角があるということ。

その後、夕食のご飯の支度もした。

よく、ヒロク二さんは、女は男はという言葉を使うので、わざと男の仕事といったのです。

ついでに「言葉はいいから、行動したら」も付け足しておいた。

(これは、わたしの中では、よく思い付く言葉)

誘導尋問でなく、行動を誘導しようとしているのに抗ってみたわけです。

単純にまとめて、こうやって書いていると分り易いと思うのですが、

話の仕方も話題から遠いところから始まり、

横道にそれたりしながら話すから、話を聞くのに忍耐がいる。

耐え難いせいか、ヒロク二さんの顔と反対の方向に貼ってある、

カレンダーをじっとみつめて固まっている時があります。

注意されるまで、カレンダーに目はくぎつけ。

「何でそっちを向いているんだ」と急に言われる時がある。

話を進めるには、順序があると思うのですが、

芸術家だからなのか、すっとばしてその会場のことを考え、

人との相談は勝手に決まったことになって、

そして、額装するのは高くつくから、

なんとか安く展示できる方法はないかという方向に行くみたい。

で、最後に「額装する金銭」に集中してしまうらしい。

そこに集中させないように、相談してみないとと持ちかけているわけです。

「とりあえず、サンプルを1つ作ろうね」と、考えを先に行かせないようにしているのですが、

じわり、じわりとそっち、即ち自分の考えの方に暴走していきます。

なんとか、その担当の方に一度会って、

話をしてみるのというクッションを認識してもらおうと。

道のりが抜けている箇所をね。

ヒロク二さんの言うようにしていたら、ボロボロな会場になりそうで、怖い。

それで、また「針金で展示を・・」と聞くと、よからぬことを考えているような予感が・・・。

アトリエで、ネジ釘の頭に針金が何十にも巻きつけられて、

外からその針金がビョ~ンとはみ出している様子を思い浮かべてしまい

気持ちがずしんと重くなるのでした。

たぶん抽象的な思考が得意なのだと思う。

しかし、もう少し分り易く話して欲しいと切に願っています。

話は変わりますが、白状すると、わたしは電動ノコギリ使えます。

使えるのがくやしい!

ヒロク二さんにしてやられたりという感じもあるのであった。

 

こんな話の中でも1つ感心したことがあります。

今年で85歳になるのですが、あと個展を2箇所したい場所があることや、

その小さな美術館に話を持っていきたいと思っているのがよく分りました。

普通、85歳にもなれば何もしない人もいますが、

やってみよう!という気持ちが早っているのだと思うと嬉しい。

人によるかもしれませんが、

画家の妻って、あまり優雅じゃないでしょ。

もう、梱包とか荷物運びとかそんなのばかりです。

釘打ちとか。

 

やっと春めいてきました。

梅の花がやっと。

↑毎年、3月3日には満開なのですが、まだつぼみがあります。

今年は、寒かったのだなと。

↑庭では、灯かりがついたみたいな感じ。

↑水仙のつぼみ。

黄色い水仙です。

↑昨年植えたチューリップの掘り起こしたものを鉢に。

その他にムスカリ、ヒヤシンスの小さいの、ミニチューリップです。

今年は、芽が出るのが、なにもかも遅い。

それでも季節は巡る。

植物に人が癒されたら、その植物も癒されるそうです。

そうだとしたら、とても嬉しいなぁ。

 

↑最後に、我家のピーちゃん。

こうやって、顎の下をなでられるのが本当に好きらしい。

ヒロク二さんにも「女の子なのに、目が怖いときないかぇ」とか言われています。

よその人が来たら、恥ずかしいくらい慌ててすっこみますが、

私達だけの時は、暴れまわったり、

目が丸くなっていると思ったら隠れているフリしたりして、出てきて脅かします。

抱っこも大きい声で「ナォ~~ン」とねばい鳴き声で要求するし、

「ピーちゃん、存在の大きい猫になっちゃって」といいながら、抱っこします。

すごいゴロゴロの音で、嬉しいのがよく分ります。

イメージが変わってきた今日この頃。

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヤッホイ!(色鉛筆作品661)... | トップ | 春の風(色鉛筆作品663)と ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ともりん)
2022-03-13 20:35:58
暖かい感じがする作品です。懐かしい感じがしますが、外国の街並みのようにも見えます。夕暮れの家々の窓からおいしそうな匂いがする温かい湯気があがっているようです。
ずっと見ていると、心が安らぎ落ち着いてくる感じがします。想いの深い心象風景と重なる人が多そうです。そんな人はこの作品を見ると、涙を流すのではないでしょうか。

色鉛筆画用のパネル作成、よくぞ最後までやり切ったことだと驚きました。「80箇所も角があるということ」「その後、夕食のご飯の支度もした」とのこと、本当によくやったものです。頭が下がります。
「サンプルを1つ作ってみたら?」の提案、これまでの経験をふまえて考えられた言葉のように思いました。この一言に、さほりんがヒロクニ先生のことをよく考え理解していることを感じました。
電動ノコギリは、傍から見ると扱いはさほど難しくないように思えそうですが、実は難しいと思っています。
自動で切断できるような工具では決してなく、あの振動をうまく利用しつつ制御しつつ、ちゃんと手動で切る動作をしなければならないからです。
そう、私も電動ノコギリが使えるのです。夫実家の伸び放題に伸び切った庭木や竹を伐採するためと、実家にあった大量の木製家具やプラスチックの大型プランターや金属パイプなどを切断するために買いました。
あの振動を制御するのは結構力がいるし、長時間使っていると本体の重さも腕にずっしりと効いてきます。扱いを間違えると危険な工具なので、気を張っていなければならないし。
「電動ノコギリが使えるよね」という理由で、そういった作業が全部自分にまわってくることのくやしさと釈然としない気持ち、わかります。

画家の奥様は一般的には優雅な印象があると想像します。が、梱包とか荷物運びとか……過酷です。現実は厳しい、と思いました。釘打ちをしている奥様は、あまり多くないかもしれないかな?と思いましたが、多いのでしょうか……。
コロナ禍で個展開催もままならなかった間に溜めておいたエネルギーは、そろそろ放出をしないと臨界点までいっているのかもしれませんね。それにしても、85歳という年齢を考えるとそのエネルギーに脱帽です。

梅がきれいです。「灯かりがついた」とはまさにその通り! 「灯かりをつけましょぼんぼりに」を思い浮かべましたが、あれは桃でしたね。
水仙の葉の厚みがしっかりしていて、健康に育ったことがわかります。水仙のつぼみってこんなに大きいのですね。驚きました。
我が家の雪柳と山桃の芽吹きも、だいぶ遅いです。今頃はつぼみが出てくるはずなのですが、最近やっとぷっくりとした芽吹きが見られるようになってきました。

久しぶりのピーちゃん、さほりんになでなでされて本当に気持ちよさそうです。内弁慶ちゃんなのですね。暴れている姿も、それはそれでかわいいですよね。
返信する
電動ノコギリ仲間ですね。 (さほりん)
2022-03-15 10:07:30
コメントありがとうございます。
今回の絵は、暖かく懐かしい感じが色合いからもします。心が安らぐとあり、嬉しく思います。心を動揺させる絵もたくさんあるので、私自身もこういう絵を見るとほんわかします。

色鉛筆画のパネルは、絵の大きさがいろいろなので、それに合わせて急遽作りました。とにかく、45°どうしを合わせて90°の角を作るのに苦労しました。ヒロク二さんは、足し算しか出来ない人、考えを足していく思考で、引き算が出来なくて、合理的に考える、つまり作業の工程を組み立てるのが苦手なのです。そうだと歪んだパネルが出来上がってしまう。だから、言葉で伝えるより、自分がやった方が早いとなってしまうのです。こういうのも理解に入るのかもしれません。理解して多くを望んではいけない・・・というやつ。
ともりんは、木の剪定とあるので、長いタイプの電動ノコギリなんですね。私は、丸ノコと言われるものと、糸のようになった電動ノコギリ。板などをくり抜いたりするものが使えます。木の伐採のものは、パワーが強いものもありますよね。店でじっくり見たことがあります。金属パイプまで切るとあったので、けっこうパワーがあるものを使っているような気がしました。手前勝手な想像で、ワイルドなともりん、そして華麗な姿を想像してしまいました。(笑)
ヒロク二さんは、文科系なのか日曜大工だとか、電器製品の修理とか一切ダメで、思索の人のようで、流れで私に工作系が私にまわってきます。だから、よく「言葉はいいから行動を」になる。しかし、ちゃんと補う役割の人がいるって、世の中うまく出来ているということなのかも。他の周りの画家の人は、男性であれば額を玄人のように作っていたり、器用な人が多いので、奥様釘打ちは少ないと思います。
梅は咲き始めがきれいです。今年は、ビオラも遅くて、まだ気に入ったあの黄と茶のビオラもまだ。今年は、寒かったですよね。春は来たし、気持ちも明るくなっていくでしょう。ヒロク二さんのやる気もわかったし、これで、よし!
ピーちゃんは、確かに内弁慶です。みごとに。
ともりんの猫達は、元気ですか?
皆、春を楽しみましょうね。

コメント、ありがとうございます。
長文になりました。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事