武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

玉葱(色鉛筆作品紹介762)と 古いスケッチから

2024-01-28 17:43:12 | Weblog

玉葱の絵。

しかし、背景がカラフルでモダンな玉葱に見えます。

以前の家で、玉葱を庭で育てていたので、それを描いていたようだ。

今思うと、庭には花、野菜とよくあれだけ熱心に育てていたものだと感心します。

絵を見ると、玉葱の首の部分や葉をよく観察して描いているのがよくわかる。

首の部分が、ねじれたような表現になっていて、独特の表現だ。

脳内で、茎の部分が縄編みになっていたのだろうか?

アクロバットな表現に驚きます。

武内は、作品を分類してペーパーバックにまとめるという癖があり、

そこから見つけました。

あと、4袋ぐらいが放置されています。

先回の雨の絵も、今回と同じペーパーバックから選んでいます。

このペーパーバックには、やや古いめの絵が多く、

「こんな絵も描いていたんだねぇ~。」と思いながら見る絵が多い。

その中では、今日の玉葱の絵は新しいほう。

庭がある頃の絵なので。

それと、メモの類が多く、捨てていないということは、

このメモから派生する作品があると思われる。

仕事部屋に骸骨の絵が貼ってあったので、見ていたら、

「この絵は失敗なの。後で破るから。」と言われ、

そんなに出来が悪いだろうか?と疑問に思った。

失敗作という絵も、メモから絵にしたということを聞いていたので、

現在はメモの点検、見直しをしている時期なのだと思います。

引っ越しをしましたので、紙の分類をしている内にメモと作品の点検が始まっているようです。

その中から、古いスケッチを見つけました。

↑こちら

スケッチブックから切り離されて、1枚だけがありました。

このスケッチを見ながら、わたしが武内と結婚する以前の風景、

すなわち40年以上前、1980年ぐらいの明石駅の裏のなのだと。

木造の建物が多く、山陽電車も高架に上ってなくて、路上を走っていた頃だ。

そして、線路のわきには、草がぼうぼうと生い茂っていたのだろうと。

ローカルな当時の明石駅の様子が想像される。

電信柱の様子も見ていると、木だったりしたのか?と思えてくる。

そして、意外と絵に情というか体温があり、武内の感傷的な部分がよく出ている。

上記の玉葱の絵と随分違う印象です。

武内は若い頃、それも高校生の途中から画家の生活スタイルになって、

突き進み洋画家の仲間入りをする。

洋画家時代は、風景画が多かったと聞いているので、

どんな絵だったのか、見て見たいと思っているのですが、

それは手元になく、見たことがないのです。

このスケッチを見ると、洋画家時代があったのだなぁ~というのがよく分かり、

その頃の油絵を見てみたいと思うのだ。

わたしは、武内の人生の後半の伴侶なので、前半部分は分からないことが多いのです。

その絵は、淡路島にあるらしいという事だけが、はっきりしています。

裏町の風景が多いと当人は、言う。

今と随分違う作風かもしれないと思うと、見てみたい。

 

こういう事を書いて、途中で一息いれに1階に行くと、

台所&仕事部屋にいるヒロクニさんから、

「あの時代は、風景画が多かったし、淡路島を行ったり来たりするうちに、

 自分の帰る家もないような状態になってもて、あれ?おかしいな。

 俺ってどうなっているの?て思ってねぇ。」という話が。

(淡路島に単身赴任状態だったのだろう。そう思いながら聞く。)

思わず、わたしのブログの内容とシンクロニシティしてる?と。

こういう事もあるのか・・・と、驚いていました。

 

その前に、ローリングストーンズのメンバーのキース・リチャーズのソロを聴く時がありました。

この人って、歳をとれば取るほど演奏する姿が「これほど楽しいことはない!」という表情が良く、

ちょっと見ていたのです。

youtubeでは、途中からソロの曲を聴いていました。

音が枯れたような味わいもあって、その音が心地よかった。

そして、また1階に降り、一息ついていると、

ヒロクニさんが、そのアルバムをかけたのです。

同じ曲聴いている・・・と思い、

シンクロニシティ?と

いろいろなヒロクニさんの解説付きで聴くことに。

「こいつら、ロックのいい所は、いわゆる勉強をしましたというのじゃなくて、

 いや、いろいろ学習はしているんだけど、

 そういうのとは違って、ひょいと才をつかむ瞬間を逃さないのが、いいんだよ。

 それに、このチープさ。

 このドラムの真ん中を叩かないで、端の叩く音を聴いてごらん。

 実に、チープな感じもあって、いいだろう。

 キースもいつもより開放されているし、

 こういうのが、才能なんだよ。」

と言い、才を感じながら音を聴いていたみたい。

わたしは、そういう事はわからないので、黙って聞いていました。

わたし自身は、音楽について語るのは難しく、いつもこれで言いたいことは伝わっているのか?

という疑問を持ちながら書いているわけです。

頭の中で、音楽はジャンル分けされることがない。

若い頃、レコードショップで見た分類である“プログレ”という文字を見て、

大きい声で「プログレって、いったい何なのですか?」と言った人なのです。

店員の人の反応から、とんでもない質問だったような・・・。

話がそれそうなので戻しますと、

「才能があるからやるのじゃなくて、やり続けるうちにひょこっと出るから、

 それに気づいて、さっと広いあげる。

 それが出来ることが凄いわけで、気が付かなかったずんべらぼうだ。」

「学校の勉強ではなくて、そんなものはどうでもよくって、

 勉強というのは、こういうことでもあるから。」

と、教師の息子であるヒロクニさんが言う。

ヒロクニさんは、才の部分を確認するのと同時に、

自分の才はどう出るか?という問いかけをしていたみたい。

わたしは、80歳になったキース・リチャーズの姿がよく、見ていると楽しくなる。

と音楽一筋に生きた人を見て勇気を出したかったのでした。

ヒロクニさんも、絵一筋。

いい感じになって欲しいと思っています。

しかし、手強い相棒だ。

↓最後は、失敗作という仕事場に貼られた絵を。

↑右の骸骨の絵は、破り捨てるのだそう。

その周りには、絵のメモが。

走る骸骨なのか?と思いながら、今日はこの辺で終わりたいと思います。

 

才能というのは、長所のことでもあると思うのです。

そう思うと、だれにも才能というのはあるのです。

そういうふうに思い、わたしも「長所かも・・。」ということを磨くことをしている途中。

ヒロクニさんは、才について語りながら、「恥もかくこともしないといけない。」と言っています。

時々、「この人って恥知らずかしら?」と思うことがある夫ですが、

大目に見ることにしています。

今日も最後までお読み下さったかた、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


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