梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之名古屋日記・10

2008年04月12日 | 芝居
私が初めて御園座に出演したのは、まだ本名の頃でした。
平成10年10月の顔見世興行は、松嶋屋(仁左衛門)さんの襲名興行でございました。この公演に、その年の5月に初舞台を踏んだ私たち14期生10名が揃って出演となったのです。
私は昼の部の『吉野山』の花四天と、夜の部『助六曲輪初花桜』の居残り新造の2役でしたが、『吉野山』では、音羽屋(菊五郎)さんの忠信との立廻りで、新参ぺーぺーの私が、<返り越し>のトンボをさせて頂くことになり、まだ舞台の怖さも知らぬ未熟者でしたから、見せ場をもらった嬉しさばっかりで、無我夢中で勤めておりました。

トンボのコンディションはやってみないとわかりませんが、歌舞伎座でしたら楽屋棟裏のトンボ道場で稽古ができますけれど、御園座にはそういう設備はございません。襲名興行とて数十人がひしめく楽屋でも迷惑になるだけですし、どこか舞台に出る前に、トンボの稽古ができるところはないか…。
同じ役になった、今は辞めてしまった同期と2人で選んだのが、劇場近くの<白川公園>でした。広く、芝生がはえた柔らかな地面、ここなら大丈夫だと、朝少し早くに宿を出て、公園でジャージ姿になって一緒に稽古。時間が時間なのでまわりに人も来ず、なかなかノビノビ稽古ができました。
お陰様でひと月怪我もせず、勤め上げることができましたが、そのころの私にとって、初めての大きな仕事のために汗を流したこの公園には思い出がいっぱいです。

↑ちょうどこの辺りでポンポコ返っておりました。

梅之名古屋日記・9

2008年04月11日 | 芝居
こうもりが 出てきた浜の夕涼み 
川風さっと 吹く牡丹
荒い仕掛けの色男
いなさぬいなさぬ いつまでも 
浪花の水に写す姿絵


『与話情浮名横櫛』「見染め」の場で、与三郎の花道の出で使われる下座唄です。
この唄がうまれたきっかけにはひとつのエピソードがございます。文化12年、7代目の市川團十郎が大阪に上って芝居に出ましたおりに、大阪ッ子は熱狂的な歓迎ぶりだったそうです。ある日この團十郎が船を借り切っての盛大な夕涼みをしたことが評判になってできた小唄が、実は冒頭の唄なのです。

蝙蝠は、市川家の替紋に使われていました。「きたはま」は<北浜>という地名と<出て来た>がかかっていますから、「蝙蝠が出てきた浜の夕涼み」は、7代目が夕涼みにやってきたことを指しているわけです。
「牡丹」も市川家にとってゆかりの紋、紋様。「荒い仕掛け」は家に伝わる荒事芸のことだそうです。
…随市川の総本山、天下の成田屋を帰したくない、いつまでも浪花の地にとどまって欲しい、そんな意味でございます。

『与話情~』の初演の与三郎は8代目の團十郎ですから、この唄と芝居の直接的なつながりはございません。いつからこの唄が下座として取り入れられたか、「見染め」の場に使われるようになったかもはっきりとはしておりませんが、海と川とは違えど、<水辺の色男>をうたった内容は、場面にはぴったりなのかもしれませんね。

梅之名古屋日記・8

2008年04月10日 | 芝居
昨日の『与話情浮名横櫛』「見染め」の場でちょっとしたアクシデントが。
与三郎と鳶頭金五郎が、客席を浜づたいの道に見立てての道中をしている間に、舞台転換をいたします。それまで飾られていた茶店や松の木の書割り等を下手へ移動させ、かわって上手からは新たな書き割りを出し、場所が移動したことを表現します。
お富や与三郎たちが座っていた<床几(しょうぎ)>も、同じように下手へ移動されるのですが、これは床几の脚の部分に、目立たないように取り付けられた縄を、下手舞台袖から人力で引くことによって“回収”されているのですが…。

昨日に限って、床几の脚が、回り舞台の隙間にできていたわずかな段差に引っ掛かり、あとちょっとというところで、いくら引っぱっても動かなくなってしまったのでした。
私は浜の娘として舞台に出ておりましたから、スタッフさんが袖で必死になっている現場に遭遇してしまいました。非常事態ですから理屈は関係ありません。なるべく目立たないようにくだんの床几のところに回り込んで、そっと持ち上げて動かしました。
段差からは外れたものの、それまでいろいろあがいたからでしょうか、結局床几が横に倒れてしまいはいたしましたが、なんとか回収は成功したという次第。
こういうこともあるのですね。

ちなみにこういう<道具替わり>の作業で面白いのは、茶店や松の木は大道具方が移動させるのですが、床几は小道具さんが受け持つのです。これは以前にも申しましたが、「不動産は大道具」「動産は小道具」というきまりに基づいているのです。
さらにいえば、歌舞伎座の場合ですと、床几は<楽屋番>の管理なので、楽屋係が勤めるというのですからね。不思議な役割分担ではございます。



ご無沙汰しております

2008年04月09日 | 芝居
お休みが続いてしまいました。実はマンションのネット環境の不備がいまだ直っておらず、自分のパソコンでネットにつなげられない状態なのです。
備え付けのモデムが故障していたのですけれど、この事態に対するマンション管理会社の対応の不手際さにはちょっと腹立たしい思いもいたしておりますが、日々の舞台のあと、わざわざネットカフェに通うというのも、仲間同士や先輩方とのお付き合いもあるわけですし、ついつい更新がなおざりになってしまっていることを深くお詫びいたします。

できる限り時間を見つけて、追記という形をとってでも、今月のこの<名古屋日記>を虫食いにしないようにしたいと考えております(お伝えしたいことは山ほどあるのですから)。

梅之名古屋日記・7

2008年04月08日 | 芝居
私のお部屋に仲間を呼んで、鍋をいたしました。

せっかく名古屋に来たからということで、名古屋コーチン鳥鍋パーティー。男ばっかり7人でしたので、2キロ超のもも肉、つみれも、山盛りの野菜、キノコとともにすっかり平らげて、〆のラーメンまで見事に食べつくしました。
今回は自宅からホットプレートを持ってきまして、付属のプレート専用土鍋で調理いたしました。京都でしたら、関西籍の仲間から借りたりするんですけどね。鍋のほか焼肉用、お好み焼き用、たこ焼き用のプレートもありますので、これであと3回は集まれる?

買出しと下ごしらえは私、ほかの仲間はお酒やおつまみを持ち寄ってくれたり、<奉行>になってくれたり。後片付けまでみんなでワイワイしながらできるのも、台所があって、車座になれるスペースがあるマンションだからこそかもしれませんね。

梅之名古屋日記・6

2008年04月05日 | 芝居
名古屋に来て一週間がたちますが、私が勝手に思っている<名古屋の特徴>。

1、「サークルK」がやたらとある(劇場まわりだけでも1〇店舗はかたい)。

2、質屋の看板もよく見掛けるが、おしなべて「ひち」と表記されている。

3、車も人も行き交う大きな十字路なのに信号がないところが多い(栄地区近辺)。


「世界の山ちゃん」「ココストア」の前を通る度にも(ああ名古屋だな)と思いますが、今回はパルコの近くのウィークリーに住んでいまして、過去のホテルは劇場近くでしたから、生活の場所が、ビジネス街みたいな伏見から、若者で賑わう栄へと変わり、雰囲気の違いがなかなか面白いです。ヴィレッジヴァンガードがすぐ近くにあるので(いつからあるのかな)、ついつい買い物してしまうのが、当座の家計を苦しめるモトでして…。
食べるところもいろいろ気になるお店がありますので後日ご紹介できたらと思います。

梅之名古屋日記・5

2008年04月04日 | 芝居
まさか自分が携わるとは思わなかった播磨屋(吉右衛門)さん構成・脚本の松羽目舞踊劇『閻魔と政頼』について少々。
1昨年6月歌舞伎座が初演となったこの作品。当然ながら名古屋初お目見えでございますが、おおどかでウィットにとんだ狂言種のお芝居ということもあり、連日お客様の笑いさそっています。

今回の上演にあたりましては、脚本や振付に手が加えられております。前回は二畳台の上に鎮座ましましたままの閻魔様が、このたびは鷹狩りの音頭とりとて自ら陽気に踊るようになり、それにあわせて勢子役たる小鬼たちの振りも変わりました。またこの小鬼さん、名題下が演じていますから、後半でトンボも返るようになり、政頼の鷹狩りのくだりが大変派手に、にぎやかになったように見受けられます。

私はおもに加賀屋(松江)さんと萬屋(種太郎)さんが演じていらっしゃる赤鬼・青鬼の用事をさせていただいておりますが、幕切れ近くに、鷹が閻魔様の冠を奪うくだりで、鷹の<差し金>に冠を取り付ける仕事もしております。これが一番気を使う仕事でして、手早くやらなくてはお芝居の進行をもたつかせてしまいますし、その冠を今度は播磨屋さんがキャッチするまで、しっかり繋がっていなくてはいけません。
だいぶ落ち着いて作業できるようにはなりましたが、手慣れる、という段階まで進むには、まだ時間がかかりそうです。

ちょっと前の『演劇界』で紹介されておりましたが、政頼の着ている<肩衣>の柄は、播磨屋さん御自身がデザインされたのだそうですね。鷹、といえば…の模様です。これからご覧になる方は御注目を。



梅之名古屋日記・4

2008年04月03日 | 芝居
鶴舞公園にて、名題下を中心とした<お花見大宴会>でした。
幹事さんが前の晩からシートを張って確保していた陣地へ、夜の部の出番、仕事が済んだ者から三々五々。衣裳さん床山さん付き人さん番頭さんも集まって、気がつけば30人以上の大所帯。ちょうど満開、今が盛りの花の下、ジャンジャン飲んで食べて喋って大変な盛り上がりでした。
桜の花には人を惑わす作用があるというのはまことのようで、私もいつのまにか飲むピッチが早くなり、気がつけば酩酊。ふにゃふにゃになってしまいましたが、他の面々も、これまで見たことのないような有様でしたから、やはりこれは桜のせいなのでしょう、うん、きっと。

お花見は、歌舞伎座でもすぐ近くの高速の上の公園(采女橋公園だったかな)で毎年やってますし、こんぴら歌舞伎でも、近くの公園で開催することがあります。
なんだかんだいって、皆で飲んで騒ぎたいわけですけれど、ぼんぼりに照らされた桜の風情、まだうっすら寒い夜風が、酔いで気にならなくなってくる感じ、やっぱり捨てがたいですね。

梅之名古屋日記・3

2008年04月01日 | 芝居
相変わらず近所のネットカフェから更新しております。

無事に<陽春大歌舞伎>の初日が開きました。昼夜4役ともに大過なく勤めることができました。私にとりましては、師匠がいらっしゃらない<単身参加>の公演ですので、自分のお役のことだけに集中していればよいわけですが、なにせ少人数の一座、他の仲間たちは、やはり3役4役勤めながら、それぞれの師匠の用事をしているので忙しそうです。そんな皆さんに失礼の無いよう、しっかりと舞台を勤めなくてはなりませんね。

普段から一緒になることが多い顔ぶれが揃いましたので、楽屋の雰囲気はとてもアットホーム、楽しい生活をおくっております。舞台が落ち着いたら、みんなであちこち遊びに行こうと相談しております。

何度も化粧をし、洗顔をするので肌があれそうな予感です。お医者様からの薬は持ってきてはおりますが、なるべく使わずにすむように気をつけたいところ。
そろそろ自炊も本格始動。しっかり栄養のあるメニューにして、体調万全で名古屋生活を送りたいものです!