梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之名古屋日記・17

2008年04月21日 | 芝居
『源太勘当』の眼目は、何と申しましても源太景季による<宇治川先陣争い>の物語です。母延寿が見守る中、自分と佐々木高綱との駆け引きを、当人はもちろんのこと、合戦に居合わさなかった平次景高や腰元千鳥までが、浄瑠璃の派手な節に合わせて再現するこの場面は、いかにもお芝居らしい醍醐味にあふれております。

源太が「高腰御免」といって悠々と葛桶に座り、威儀を正して「弟景高承れ」と切り出しますと、やおら舞台正面の襖が開かれ、その奥の広々とした座敷の景がお客様の目に触れることになります。
この座敷の背景、<千畳敷(せんじょうじき)>と申しておりまして、字の如く、千畳も敷き詰めたかのような奥行きを描き出しております。これは平面的な書き割りではなく、畳を描いた部分は傾斜をつけてあったり、壁のところも斜めにとりつけるなど、立体的な装置となっており(ごく簡単に言えば尻すぼまりの大きな箱の中に描いているような感じ)、客席のどこからみても違和感なく遠近の差を感じられるように計算されております。

この<千畳敷>は時代物の作品にまま見られるもので、『伽羅先代萩 御殿』『一條大蔵譚 奥殿』などでも使われますが、この<千畳敷>が現れるのは、たいてい、その芝居が内容的に<新たな局面>をむかえたときとなっております。
『源太勘当』なら、これから<物語>がはじまるということで、ひとつの区切りをつけるということ、目先の変化でお客様の気分を高め、集中させるという意味合いもございます。

同じようなことは<千畳敷>にかぎりません。『熊谷陣屋』なら、義経の登場、すなわち<首実検>からは、正面の襖を開け放ち、<山遠見>をみせ、『忠臣蔵 七段目』なら、由良之助が顔世御前からの密書を読むくだりで、座敷の暖簾を振り落とし、庭や向こうの部屋を描いた景色を。また上方演出の『対面』ですと、工藤左衛門祐経の「思いいだせば オオそれよ」で、襖を開くと富士山が見えるというやり方がございますが、これも、河津の最期を語りだすという局面にあたっているわけです。

…これは本当に歌舞伎らしい割り切り方だと思いますが、例えば『源太勘当』では、<千畳敷>を見せる前にも幾度か襖は開閉されるのです(延寿や腰元の出入り)が、このときには、<千畳敷>の手前に、白壁の書き割りを立てており、お客様には絶対<千畳敷>が見えないようになっています。
<千畳敷>はあくまで新たな局面をむかえるまでは使わない。用がないときは見えないようにするという、歌舞伎の原則論に基づいているわけですけれど、理屈からいえばなんともおかしな話で、あの白壁はどこへ? と思ってしまいそうですが、歌舞伎の装置はあくまで<記号>ですから、リアリティを求める方が無理なのでして…。

壁が急に消えようと、あり得ないくらい広い座敷が出現しても、なにとぞ鷹揚のご見物のほどを。