瀬崎祐の本棚

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miu 12 (2020/06) 京都

2020-06-11 21:58:46 | ローマ字で始まる詩誌
センナ・ヨオコの個人誌。葉書大の厚手の用紙3枚に詩作品を1編だけ載せている。表紙写真は作者による美しいもので、おそらくは東南アジアの田舎道を去っていく人の後ろ姿を捉えている。

「旋舞」センナ・ヨオコ。
思わず32行の作品全行を引用したくなる。それほどに淡い言葉たちは壊れそうな積み木のように組み立てられている。

   思い出の量で肥満した
   ぜんまい仕掛けのブランコ乗りは
   新しい
   時間の刻み方が判らず
   さし出した両の手は
   宙に舞う

淡い言葉などと言ってしまったが、ひとつひとつの言葉が決して自己主張をしていないのだ。その感触は、油彩ではなく水彩絵具で塗られているようなのだ。それらの言葉たちは、とりあえず今はこんな結びつきをしてみましたとでもいうようで、どこまでも仮の姿のようなのである。作者の前にあるのは、ブランコ乗りが動く仕掛け時計なのだろうが、今のこのときが過ぎれば壊れてしまう予感を与えてくる。そんな儚さがある。

   その夜
   物陰の物乞いは
   生えてきたばかりの薄翅を失意の中で広げ
   野ざらしの屍は
   隣り町から託された伝言を
   まだ
   握りしめていた

酷暑の昼下がりが過ぎて訪れた夜なのだが、耐えがたいほどに蒸し暑いのだ。ここに続く部分を読むと、「物陰の物乞い」とは甲虫のようだ。夜の中で生まれてきて成長する者もいれば、酷暑の昼に死んでいった者もいたのだろう。そして季節を間違えて羽化しようとしたものは「白い影となって 石臼のように/回転する」のだ。

ところで、この作品の冒頭の1行は「七色の旗の町にジャスミンが匂う」だった。七色の旗と言えばLGBTの象徴で、シドニーではゲイの住む地区ではレインボウ・フラッグが何本もはためいていた。なにか関係があるのだろうか。
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詩素 8号 (2020/05) 神奈川

2020-06-05 19:11:15 | 「さ行」で始まる詩誌
 詩誌「洪水」を発行していた池田康が中心となっているようだ。22人の同人に、今号では2人の寄稿者。87頁。

 「甘い苦しみの後に苦い死はやってくるだろう」小島きみ子。
 寓話のような世界が展開されている。異様な決まり事が支配している社会のなかでは、個人の感覚が先鋭化するのだろう。希望や絶望が余分なものを剝ぎ取られて剥き出しになる。そして作品の中では色も乱舞している。灰色の男や金髪の女、白い壁と黒い穴。そして基調を支えているのがピンク色である。

   ピンク虚無にはピンクを超絶望するという超絶パワーがある。
   と、いう説があるがこれは嘘である。「絶望の上に希望はやってくる」という(ローマ
   人の手紙)もあれも実は嘘である。正しくはピンク虚無の上には超絶望が訪れる。

 このピンク色に作者が重ねようとしたものが何であったのか、残念ながら読み取ることはできなかった。しかし、まるでホドロフスキーの原色悪夢映画のような凄まじさがある作品だった。

 「夢の、ものの木」海埜今日子。
 同じ夢でも、この作品では名付けられたものの輪郭は滲み、その佇まいも危うくしている。その木は夢と現の両方の世界に根を下ろし、枝は相反するもの方向に等しく伸びていくのだろう。
 
    空がまぶしい。空が暗い。土があたたかい。土がしめっている。死んでいること、夢と
   日々、生きていること。根と葉、雨が降った、落葉と花。空が晴れた、幹がうるおう。

 「もの」の手触りを確かめようとして言葉が彷徨っている。タイトルの「、」で呼吸を休めたときに入り込んでくるものは何だろう。言い切ることが出来なかった夢の木はにがく、だからこそ生命をうるおす雨の気配を感じると「あまいものがほしくなる」のだろう。うっとりとするような、たいへんに眩暈に満ちた彷徨いの作品だった。

 「アンケート」と題した頁で各同人が掲載作品の感想を書いており、興味深く読んだ。
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青い花 94号 (2020/05) 埼玉

2020-06-02 23:00:56 | 「あ行」で始まる詩誌
33人の同人は東北から九州までの全国にわたっている。112頁で、31編の詩のほかにエッセイ、書評を載せる。

「古本屋で」長谷川忍。
今は埋められてしまった川跡に残る橋の親柱ををめぐっている。地名からすると浅草とか隅田川とかの近くなのだろう。時代が移り、古本屋もなくなり、「人間がつまらなくなったのだよ」と嘆く人もいたのだ。

   スカイツリーは
   界隈のどこからでも見える
   もうすぐ立春だというのに
   寒風は時間軸を抉る
   闇の底で激しい渦を巻く。

気の向くままの散策はときに時の流れをまたいでいるようだ。作家とは誰のことだったのだろう。

「火の鳥島」古賀博文。
0~4の5章からなり10頁に及ぶ作品。夥しい数のペンギンに似た海鳥が火山島へ押し寄せる。そして多くの犠牲を払いながら火口で火炎龍の出現に立ち会う。

   火炎龍の羽化を見とどけた海鳥たちは
   きっと全身を焼け焦がしながら
   産婆かあるいは詩祭の役割を果たしたのだ
   その苦役の賜物として晴れて新たな住処を得たのだ

神話のような体裁の作品だが、この物語を、たとえば新しい詩作品が生みだされることになぞらえることもできるかもしれない。暑さに耐えて燃えるものを迎えいれなければならないのだ。

「貘」柏木勇一。
新しい年の初めに何ものかに立ち向かう決意があったのだろう。あるいは眠りの中では逡巡するなにかがあったのかもしれない。作品タイトルの貘といえば人の夢を食べて生きるとされる空想上の生きもの。貘に悪夢を食べてもらえば、二度とその悪夢は見ないとも言われる。しかし話者はそんな貘の存在を払いのけようとしているようだ。

   わたし自身を解体する刃
   それは言葉 言葉 言葉 言の葉 言の刃
   まだ詩を書ける

己を見つめ尽くすために、己を言葉で検証しているのだろう。最終連は、もう夢に脅かされることはなくなったということか。
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