瀬崎祐の本棚

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よるのくに 福田恒明 (2020/04) 思潮社

2020-06-16 17:59:03 | 詩集
 第1詩集。94頁に21編を収める。
 この詩集の話者は読み手に親しげに語りかけてくる。その語り口は読み手に寄り添ってくれているようで、つい気持ちを楽にして読んでしまうのだが、実はその親しげさの裏には苦い毒味が隠されている。

 「シャングリラ」。すてきだったパーティ会場でわたしとあなたは混同され、区別が付かなくなってくる。パーティはおぞましいものたちの宴で、

   恋を語り合うようにいつもの会話、じゃなくて独り言、を繰り返したよね
   だけど、ゆっくりと薄れていった
   やがて、あなたも私もいなくなって、
   そしていつか、おぞましいものの一部となった。

 わたしとあなたは、おそらくまったく似ていないのではないだろうか。だからこそ混同されることが嬉しくて、ひとつのものに溶けあうことを夢想しているのだろう。それが自分の存在を薄くすることだとしても、だ。

 次の作品「きろえちゃんへ」でも、ぼくは(憧れの)きろえちゃんと一体になろうと夢想している。確個たる自分として相手と対峙するのではなく、自分を薄くして相手の存在に寄生していく願望のようにも思える。

   夕焼けで内臓色に染まったきみの住む町をあるきながら
   ここはすでに きみの中なのでは?
   という気がして
   メロンパン屋さんのお兄さんに
   ほほえみかけてみたよ。

 とても不安定に自分の存在が揺れている。そしてそういったことを書き留めることによって自分を繋ぎ止めているようにも思えてくる。

 「葬儀」。服をきたまま「ゆるやかに流れる川のなかをみんなで歩く」のである。それが葬列なのだ。もしかすれば、川の流れは故人と過ごした時間の流れであり、それをもう一度ふりかえるような儀式なのかもしれないと思えてくる。

   街をひとめぐりしたあとで
   遺体をのせた舟に火がつけられる。
   そのまわりをみんなでめぐる。
   水面に映る炎がとてもきれいだ。

 最終連は「そこにいない私/死者である私だけが/それを見ている。」

 詩集タイトルの作品はないのだが、ここに収められた作品は、自分の姿も見えない世界でその存在をなぞっているようだった。

コメント
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