第9詩集。97頁に30編が収められているのだが、すべての作品が犬に材をとっており、犬の視点となっているものもある。
あとがきによれば、亡くなった父と入れ替わるように家族の一員となった犬がいて、13年間を暮らしたという。いくつかの作品にあらわれる野犬は、人に追われながら考えている。追われることによって見えはじめた風景の意味を考えている。それが犬の”てつがく”にもなっているのだろう。
「路地の足音」では、ぼくの背後から足音だけが追いかけてくる。おそらくは夜なのであろう、あたりには他の生きものはおらず、ぼくだけがいるはずなのに。つけられているのだろうか。
あれは落としたぼくの足音だったか
路地はせまく人通りがすくない
寂しいところで足音は気をつかっている
作者特有の感性が最後の1行で作品を引き締めている。静かな路地なので足音は大きく響いていたのだろう。それを「足音は気をつかっている」と捉えたところが好い。
「突き出た石」では、河原の草むらのあいだから顔を出している石を詩う。石は不器用なので「土や砂のように/すぐに形を変えることなどできな」くて、犬におしっこをかけられたりもするのだ。ぼくも石と同じように不器用なのだが、その石は伸びてきた草に隠されていく。
ぼくの不器用さを隠す
青々とした草は
どこに生えているのだろう
以前の詩集の感想でも触れたことだが、作者はいつも肯定的に物事を捉えようとしている。辛いときにはなかなかできることではないのだが、他者のみならず、自分自身をも肯定的に捉えているところが、好い。
あとがきによれば、亡くなった父と入れ替わるように家族の一員となった犬がいて、13年間を暮らしたという。いくつかの作品にあらわれる野犬は、人に追われながら考えている。追われることによって見えはじめた風景の意味を考えている。それが犬の”てつがく”にもなっているのだろう。
「路地の足音」では、ぼくの背後から足音だけが追いかけてくる。おそらくは夜なのであろう、あたりには他の生きものはおらず、ぼくだけがいるはずなのに。つけられているのだろうか。
あれは落としたぼくの足音だったか
路地はせまく人通りがすくない
寂しいところで足音は気をつかっている
作者特有の感性が最後の1行で作品を引き締めている。静かな路地なので足音は大きく響いていたのだろう。それを「足音は気をつかっている」と捉えたところが好い。
「突き出た石」では、河原の草むらのあいだから顔を出している石を詩う。石は不器用なので「土や砂のように/すぐに形を変えることなどできな」くて、犬におしっこをかけられたりもするのだ。ぼくも石と同じように不器用なのだが、その石は伸びてきた草に隠されていく。
ぼくの不器用さを隠す
青々とした草は
どこに生えているのだろう
以前の詩集の感想でも触れたことだが、作者はいつも肯定的に物事を捉えようとしている。辛いときにはなかなかできることではないのだが、他者のみならず、自分自身をも肯定的に捉えているところが、好い。