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詩集「母の店」 草野信子 (2021/09) ジャンクション・ハーベスト

2021-10-01 18:30:38 | 詩集
第9詩集。77頁に17編を収める。

これまでの作者の詩集作品は、社会的な視点でものごとを捉えていることが多かった。本詩集の作品はそれとはやや趣が変わっている。作者は亡くなった母君、そして父君の回りを愛しさと共に巡っているのだ。

中心をなすⅡ章の「母の店」。三十年ものあいだ、母君は雑貨屋を営まれていたようだ。「母が逝った秋の一日」に、三人の姉は店を思いだし「右がわの棚 正面の棚/そして 左の壁の棚から/記憶の ものの名を とりだしていく」。それは、いちまいずつ売っていた画用紙や一本ずつの絵具などの文房具、縫い針や洗濯石鹸などの日用雑貨品、それに駄菓子だったりする。

   わたしたちは そこで
   日々の靴をはき 夜に履きものをそろえ
   そこから 遠く 家を出た

それは具体的に細部を思いだすほどに、いまの私を丸ごと包みこんでくる懐かしさなのだろう。最終連は、

   姉たちと立った母の店で わたしは
   あがりがまちにすわって店番をしている
   九歳のわたしを 見つめていた

その店には停留所のおばちゃんが石鹸を買いに来たり(「さんすう」)、アイスクリームの卸屋さんが来たり(「夏の夕方」)する。幼い作者は店番をして、玄関のある家に住みたいと思っていたりしたのだ(「玄関のある家」)。作者のその頃の日々が目に浮かぶように描かれている作品ばかりだった。

Ⅲ章には長じてからの作者がいる。「すきま」。同僚の社会科の先生だった川田さんは、通勤バスのシートを少しあけてすわっていて、わたしが乗り込むとすわる場所をつくってくれた。そんな川田さんが逝き、今はみんながすきまなくすわって画面を見ているのだが、最終連は、

   それでも ときに
   ひとり分ほどの場所が
   あいたままになっている
   その となりに
   川田さんが すわっていて
   わたしを さがしている

声高なところはまったくなく、どの作品にも等身大の作者が細やかに描かれていた。好いなあと素直に思える詩集だった。
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