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詩集「古い家」 池井昌樹 (2021/03) 思潮社

2021-04-14 23:56:00 | 詩集
 第20詩集。143頁に49編を収める。
 やや幅広の帯に描かれた古い民家のペン画は、亡くなられた父君の大学ノートに残されていたものとのこと。そして作品「古い家」からの「ふるいいえをみると/かえれそうにおもう」の2行が添えられている。収められたいくつもの作品で、話者は故郷へ帰っていく。自分の幼い日々に帰っていく。その帰ったところから今の自分を見つめなおしており、それが言葉になった詩集なのだろう。

 「縁」は「えんがわに/でたいとおもう」と始まる。”えんがわ”は家を縁取っていて、えんがわで区切られた空間が話者にとっての”いえ”なのだろう。だから、他の場所とは違う特別の空間を識別するために、その境界を確認しておきたいのかもしれない。しかし、拠り所であったその場所は、今の話者からは消えてしまっているようなのだ。えんがわにでたいのだが、

   いつからか
   えんがわも
   えんのしたも
   えんのしたの
   ちからもち
   こころさえ
   きえてしまった
   このいえで

 作者独特の平仮名表記が視覚での柔らかさとなり、独特のリズム感覚が読み手の脳内で柔らかく響く。それらがとらえどころのない郷愁を伝えてくる。

 「お湯屋」では、小学生だった私は祖母にお湯屋へ連れてゆかれる。馴染の媼たちの裸のさざめきがあり、「お湯屋を出ると、満天の星々だった」のだ。身体も心も温かくなったかつての日が確かにあったのだ。しかし、

   あれから半世紀以上の歳月が流れ、祖母も媼
   たちも疾うに眠りに就いただろうに、私はま
   だ家に帰れないのだ。見上げる軒端の星々は
   変わらず美しいが、どこも知らない家ばかり。
   こんなに夜も更けたのに。

 こうして”古い家”につながる懐かしいものたち、そこに流れていた懐かしい時間が渦巻くように話者を覆いつくそうとする。それでいながらどこか寂しい風情がついているのは、もうそれらに覆われることはできないことを話者自身が知っているからだろう。故郷の自宅につれもどされる作品「勿忘草」では、「かぜのなか/ひとむらの/わすれなぐさを/だれかがそっとのぞきこむ」のだ。
 
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