瀬崎祐の本棚

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花  50号  (2011/01)  東京

2011-02-10 20:35:42 | 「は行」で始まる詩誌
 「来ましたよ。」原田瑛子。
 喪服姿で、亡くなった人の家を訪ねている。秋日の夕方で、庭にはコスモスが咲いている。個人とどのような間柄であったのかは明らかではないが、その人を偲び、家を訪れた気持ちが静かに留められている。もう受け止めはできている。できているからこそ、その人が今はもういないという取り返せない事態に、語りかける言葉が出てくるのだ。

   ええ、来ましたよ。

   幼子のようにだだをこねたくて、
   開け放された玄関の前で、待つ。

   お留守ですかお留守ですか
   わたし来ましたよ。

   十月は
   夕暮れが早すぎて、寂しいです。
                  (後半)

 書きたい、あるいは話しかけたい言葉は、それこそいくら連ねても足りない思いではあるのだろうが、過剰な言葉をすべて取り除いて、残った言葉だけを書きとめている。「ええ、来ましたよ」の「ええ、」という故人への返事が効果的に響いてくる。私は故人に呼ばれているのだ。いや、呼ばれていると思いたいのだ。ここには正統的な意味での抒情がある。最終行の「寂しい」という言葉が、寂しさ以上にとめどなく広がっていく感情を抱えて、豊かな余韻を残している。
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