松下育男がおこなっている詩の教室のメンバーによる詩誌。26人の作品を載せて96頁。
「わたなべ」新井啓子。
帰省のタクシーは異界への道しるべが点在する道をゆっくりと進んでいる。かっての「落ちたら上がれそうにないどろどろの世界」がひろがり、「その正面にわたなべがあった」のだ。しかし何の店だったのか、まったく覚えていないのだ。かっての日の自分が何者だったのかも、今となってはあやふやなのだろう。
東の海から北の山から南の町から来て
店の前で立ち止まる
みながわたる
小さな橋の店 わたなべ
いまさら、わたなべに出会うことは懐かしさと怖ろしさが混在するようなことなのだろう。最終行は「居なくなったひとたちがわたなべにならんでいる」
「おとなり」草間小鳥子。
お隣のミノソウさんちの玄関からいろいろな家財道具が出て行ったのだ。あたしが使ったソファやちゃぶ台なども。
お母さんの帰りを待つあいだ
あたしたち、いろんな話をした
ミノソウさんの知ってる話はどれもさびしくて
「子どもと何話したらいいか知らん」
くちをすぼめ、ずぶずぶお茶飲んで言った
幼い頃には面倒を見てもらっていた人なのだろう。そしておそらくは、あたしが大きくなってからはあまり遊びにも行かなくなっていたのだろう。そんなミノソウさんへの思いが、亡くなった今、あらためて滲んでくる作品。
「日記のように 2019」松下育男。
3章に分かれた作品で、遭遇した事象とそれに喚起された想念が”日記のように”記録されている。作品化されることによって作者のそのひとときはこの世界に留められる。
水準器の泡が
いつまでも揺れていて落ち着かない
降りつもった過去が
倉庫いっぱいに溜まっている
この世は恥ずかしげに
始まったんだと思う
作品を読む人に伝わるものを孕むためには、いかに的確に言葉が動かなければならないかということがよく判る作品。
この他にも、坂多瑩子、中井ひさ子、長嶋南子、廿楽順治など、私の大好きな方々の作品も(いずれの方にも拙個人誌「風都市」に寄稿してもらったことがある)並んでいた。この教室が私の居住地の近くにあるのだったら、私も参加させてもらっているところだったのに。
「わたなべ」新井啓子。
帰省のタクシーは異界への道しるべが点在する道をゆっくりと進んでいる。かっての「落ちたら上がれそうにないどろどろの世界」がひろがり、「その正面にわたなべがあった」のだ。しかし何の店だったのか、まったく覚えていないのだ。かっての日の自分が何者だったのかも、今となってはあやふやなのだろう。
東の海から北の山から南の町から来て
店の前で立ち止まる
みながわたる
小さな橋の店 わたなべ
いまさら、わたなべに出会うことは懐かしさと怖ろしさが混在するようなことなのだろう。最終行は「居なくなったひとたちがわたなべにならんでいる」
「おとなり」草間小鳥子。
お隣のミノソウさんちの玄関からいろいろな家財道具が出て行ったのだ。あたしが使ったソファやちゃぶ台なども。
お母さんの帰りを待つあいだ
あたしたち、いろんな話をした
ミノソウさんの知ってる話はどれもさびしくて
「子どもと何話したらいいか知らん」
くちをすぼめ、ずぶずぶお茶飲んで言った
幼い頃には面倒を見てもらっていた人なのだろう。そしておそらくは、あたしが大きくなってからはあまり遊びにも行かなくなっていたのだろう。そんなミノソウさんへの思いが、亡くなった今、あらためて滲んでくる作品。
「日記のように 2019」松下育男。
3章に分かれた作品で、遭遇した事象とそれに喚起された想念が”日記のように”記録されている。作品化されることによって作者のそのひとときはこの世界に留められる。
水準器の泡が
いつまでも揺れていて落ち着かない
降りつもった過去が
倉庫いっぱいに溜まっている
この世は恥ずかしげに
始まったんだと思う
作品を読む人に伝わるものを孕むためには、いかに的確に言葉が動かなければならないかということがよく判る作品。
この他にも、坂多瑩子、中井ひさ子、長嶋南子、廿楽順治など、私の大好きな方々の作品も(いずれの方にも拙個人誌「風都市」に寄稿してもらったことがある)並んでいた。この教室が私の居住地の近くにあるのだったら、私も参加させてもらっているところだったのに。
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