瀬崎祐の本棚

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エッセイ集「三日間の石」 杉本真維子 (2020/06) 響文社

2020-07-08 21:52:59 | 詩集
 38編のエッセイを収めている。数編を除いては図書新聞に連載されたもの。
 取り上げられる題材は多岐にわたっている。子ども時代の思い出、家族と過ごした日々の逸話、日常生活で遭遇したちょっとしたこと。誰にでもあるような出来事を題材にしているのだが、杉本に描かれるとそれらはぐるぐると回りながら不意に深いところへ沈み始める。

 たとえば「幽霊坂」。飛ばずに歩いている鳩を見て、私はいつも通っている一帯が実は深い窪地になっていることに気づく。そこでは鳩は水平に飛んでいると地上とぶつかってしまうのだ。そして、「鳩も私も、窪地の底に溜まった、闇の塊の一つなのかもしれない」と思うのだ。そんな闇の中、幽霊坂のあたりにある寺の門前には「これからが これまでを 決める」という格言が書かれている。

   時間が逆さに流れ、ぐるりと一筆書きにされた過去と、未来のあいだに、自分がいる、と思
   った。ひりひりと、これから、が出来ていく。

 わずか3頁ほどのエッセイにこれほどに彷徨う世界が構築されている。

 「「ふと」の彼方へ」では、「ふと」という副詞について考えている。それはとりとめのない思いのようなのだが次第に私をどこかへ連れて行く。「ふと」は内発的に湧き起こるのではなく、「誰かの、何かからの発信が、ようやく届いた、と考えてもいいのではないか」と思うのだ。そして、

   「ふと」によって呼ばれた理由みたいなものが、忘れ去られた石ころのように、落ちてい
   て、私はそれを、ある日、拾った。拾う所作に、なんともいえない罪深さが纏わりついて
   --そのことは、私が、じつは呼ばれた理由について何かを知っている、隠している、証
   拠であるような気がした。

 巻末近くに「三日間の石」がある。新盆の三日間を過ごして、私は窓際に置かれた石になるのである。そして、

   もう誰も待たなくてよい。もうお前は待たなくてよい。
   涙を流し、訴えてくる声を残し、今年の夏が、初めておわる。

 これはエッセイなのか。掌編小説とも散文詩とも言える、いや、そんな範疇を超えた言葉の織物としてそれは敷かれていた。踏み込んだ者を柔らかく捉えながら、その一方でどこかへ連れ去られてしまうような怖ろしさも孕んでいた。こんなすごいものを読んでしまったという戦慄があった。
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