瀬崎祐の本棚

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詩集「数千の曉と数万の宵闇と」 伊藤浩子 (2020/10) 思潮社

2021-02-22 11:07:11 | 詩集
 125頁に27編を収める。
 3つの章に分かれているのだが、Ⅰの作品は読む者にかなりの緊張を強いてくる。立ち上がってくるものの孕んでいる緊張感が半端なものではないので、読む者もそれに対応できるだけの状態を作らなければならないのだ。それほどに作品は堅い言葉で、堅いものたちを描いている。

 たとえば「斜光」は、「〈もの〉から剥離されたことばが浮遊する、巨大なホテルのロビーに集い、戯れている。」と始まる。何かのイベントがあったようで、そのざわめきも去った後に、何が残っているのか。最終連は、

   アンビバレンツを背負った夜明けに、沈鬱な身体は重みを増し、ひ
   とつずつ部位を確かめながら復元されていく。
   孤絶には、抵抗し、従属する掟があった。
   置き去られた手紙を開封するように、それは否応なく頭上に訪れる。
   覚醒という名の祝祭、ホテルのロビーは微熱に酔う。

 他者との繋がりを受容しながらも、その場からの立ち去りも希求しているようだ。余韻から来る微熱は気怠いものなのだろう。

Ⅱでは肉体感覚が作品を支える部分もあり、他者の受容も素直なものになっている。5つの作品からなる「Series」では、「光の航路、継ぐように/名を呼ぶ/お前の声が続いている」(「dessn#1」最終連)、「わたしは/わたしに似ているあなたの名をつぶやき始める」(「dessin#2」最終連)と柔らかさが滲んでいる。

Ⅲの「部屋」は20の断章からなる作品。部屋には夕闇が迫り、また朝が訪れ、午睡のまどろみの時もある。その場所で男が夢を見たり、女が怯えたり小さく笑ったりしている。

   指先にそっと触れただけで振り向かず、また声さえかけられなかった宴を、
   北の果ての青空の元に展げている。
   柔らかな四肢を持つものたちが集う一夜に灯はなくとも明るい夕翳に(夕星
   に)この身體をあずけてみたい。
                               (「ⅴ」より)

 そんな人たちを容れた部屋は、話者自身であるのだろう。詩集タイトルでは暁の数と宵闇の数が合わないが、夥しい暁が訪れたとしてもその10倍もの闇がその後には続いているのだといった気持ちなのかもしれない。

 作品の堅さは発話する気持ちが堅いということなのだろう。温度も失っているようなその堅さに耐えた発語なのだろう。その堅さを支える覚悟が潔い詩集だった。
コメント
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