瀬崎祐の本棚

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詩集「青葉の笛」 万亀佳子 (2020/11) 三宝社

2020-12-03 18:43:56 | 詩集
 第3詩集。79頁に28編を収める。

 「秋冷」は「普段は浅い川なのだ」と始まる。それは大きな河に流れ込む支流で、男がズボンをたくしあげて底を浚るほどの深さなのだ。男は何かを捜しているようなのだが、いらいらと怒っているようで、その何でもない光景が次第に特別な意味を孕んでいるようになる。最終部分は、

   上流から枯葉と一緒にいろんな噂が
   なだれ込んできた
   男のからだはずっと下流に沈んでいる
   ほんの浅い川なのだ 普段は

 すでに川は男の体を押し流すほどのものに変容しているのだ。最終行が冒頭の1行に呼応して効果的なものとなっている。

 このように、この詩集では何でもない日常光景が実は不穏なものをその裏に隠していることを露わにする。「家」では、

   知らない赤ん坊を抱いて
   知らないことがとても悪いことなのだと
   思いながら
   歩いている

と冒頭からその不穏さが満ちている。赤ん坊は「重くなったり/冷たくなったり/のけぞって死んだふりをしたり」と不気味なのである。話者は赤ん坊と一緒に家に帰らなければならないようなのだが、こんな赤ん坊と一緒であるからには、もちろん「途方に暮れてしまう」わけだ。本当は話者が知っていなければならない赤ん坊なのだろうか。おそらく、それを「知らない赤ん坊」だと思わなければならない深刻な理由があるのだろう。作品の最後、赤ん坊の顔も家への道筋も忘れてしまって本当にいいのだろうか。不気味さと共に何か哀しみもたたえている作品だった。

 「点と線」「おわり」「池」などは、自虐的なブラック・ユーモアも感じられる作品だった。「あとがき」の言葉に沿って言えば、この詩集の作品は”解らない詩”であったが”感じることのできる詩”であった。
コメント
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