楽しい詩集をいただいた。正方形に近いコンパクトな判型の80頁で、69編を収めている。
作品は、長く編集者として活躍してきた著者が交流を持った物故詩人69人に捧げるもので、詩人の名前を行頭に読み込んだ折句となっている。作品タイトルもすべて詩人の名前を平仮名表記したものとなっている。
たとえば「あゆかわのぶお」は、それぞれの音を行頭に持ってきた7行の作品となっている。「あらいとよみ」は6行、「そうさこん」や「なかたろう」は5行の作品である。(「にしわきじゅんざぶろう」では「じゅん」「ろう」は1行に使って8行となっている。)
そのような制約を課して書かれているのだが、どの作品もその詩人を作者がどのように捉えていたかということが伝わってくるものとなっている。その詩人の代表的な作品へのリスペクトもなされている。
たとえば「かとういくや」は次のような作品。
かけこみ寺の裏口から
とんでもない江戸っ子どもが
馬どもをワッセとかつぎ込んでは
幾夜か寝つる。
くりからもんもんの吟難も加わって
やい、荒れるや!
「あとがき」で作者は「これらを書いている時間は、至福のひとときだったことを白状します。」と書いているが、その通りだったであろうことが容易にうなずける。この詩人については作者はこのように描いたという思いが、読んでいる者にも暖かく感じられてくる。
もう1編、「よしもとたかあき」を紹介しておく。
夜が遡って夕刻に転換するとき
幸せな街は声をかぎりに
もう歌いはじめているさ。
鳥たちは純情で みな素っ裸になって
たそがれの河べりにならび
かわいいのどをしごいている。
アジアの果てのわいせつな路地で
君は最期の笑いを舐めて凍らす。
「著者 八木忠栄/発行者 小田久郎/発行所 思潮社」と並んだ奥付けが、かっての「現代詩手帖」投稿欄(作者が同誌の編集長だった頃だ)に熱い想いを寄せていた私にはまぶしい。
作品は、長く編集者として活躍してきた著者が交流を持った物故詩人69人に捧げるもので、詩人の名前を行頭に読み込んだ折句となっている。作品タイトルもすべて詩人の名前を平仮名表記したものとなっている。
たとえば「あゆかわのぶお」は、それぞれの音を行頭に持ってきた7行の作品となっている。「あらいとよみ」は6行、「そうさこん」や「なかたろう」は5行の作品である。(「にしわきじゅんざぶろう」では「じゅん」「ろう」は1行に使って8行となっている。)
そのような制約を課して書かれているのだが、どの作品もその詩人を作者がどのように捉えていたかということが伝わってくるものとなっている。その詩人の代表的な作品へのリスペクトもなされている。
たとえば「かとういくや」は次のような作品。
かけこみ寺の裏口から
とんでもない江戸っ子どもが
馬どもをワッセとかつぎ込んでは
幾夜か寝つる。
くりからもんもんの吟難も加わって
やい、荒れるや!
「あとがき」で作者は「これらを書いている時間は、至福のひとときだったことを白状します。」と書いているが、その通りだったであろうことが容易にうなずける。この詩人については作者はこのように描いたという思いが、読んでいる者にも暖かく感じられてくる。
もう1編、「よしもとたかあき」を紹介しておく。
夜が遡って夕刻に転換するとき
幸せな街は声をかぎりに
もう歌いはじめているさ。
鳥たちは純情で みな素っ裸になって
たそがれの河べりにならび
かわいいのどをしごいている。
アジアの果てのわいせつな路地で
君は最期の笑いを舐めて凍らす。
「著者 八木忠栄/発行者 小田久郎/発行所 思潮社」と並んだ奥付けが、かっての「現代詩手帖」投稿欄(作者が同誌の編集長だった頃だ)に熱い想いを寄せていた私にはまぶしい。