瀬崎祐の本棚

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詩集「旅の文法」 柴田三吉 (2018/05) ジャンクション・ハーベスト

2018-06-19 22:41:34 | 詩集
 101頁に21編を収める。
 「靴を洗う」。どこかから戻り、話者は丹念に「見えないものを含んだ土」を靴からこそぎ落とす。そして「見えないものが付着した髪を」洗う。洗い流される泡には、いつもの日常生活にはなかったものが含まれているのだ。そういう行為をしなければならない話者は、「罪を犯したのか」と自問する。あまりの理不尽なことに原罪のようなものさえ感じているのだろう。もちろん、靴を洗い髪を洗わなければならない人たちの罪ではない。洗わさなければならないような事態を引き起こした何ものかが居るわけだ。

   見えないものはいつか
   見えるものになるのだろうか
   わたしたちを感光板にし
   黒い光の粒となって

 ここには怒りを通り越してしまった悲しみのようなものがある。ともすれば諦観に向かってしまう手前で、こうして言葉に書きとめることによって踏みとどまる意志がある。この作品が書かれた意味はそこにあるだろう。

 その次におかれている「ズーム」は、福島県双葉郡からわずか80kmの地点にある父の生家の航空写真をみている作品。詩誌「Junction」発表時に感想を書いている。

 沖縄、韓国への旅で書かれた作品も収められている。
 「窃視症の夏」は、観光地にある望遠鏡を覗いていた作品。その視野には農夫や学校帰りらしい女の子が入ってきたのだ。遠くから観られていることも知らない二人はすれ違い、話者の視野から外れていく。

   そこに、ほんとうに農夫がいて、女の子がいた
   のだろうか。レンズは音もなく閉じられ、台座
   から離れると、眼前には、まばゆく光るイムジ
   ンガンの流れ。

 イムジンガンは南北朝鮮の国境に沿うように流れている。作者が覗いた光景は、あるいはその国境を越えたものだったのかも知れない。偶然に”窃視”した人の人生が話者とはまったく無関係なところにあるだけに、かえって重く感じられるのかも知れない。
コメント (2)
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