瀬崎祐の本棚

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岬豹 1号 (2018/05) 東京

2018-06-21 21:25:55 | 「ま行」で始まる詩誌
 海埜今日子の個人誌の創刊号。A4用紙1枚を三つ折りにした体裁。
 海埜が引いている中沢新一によれば「古代語で「サッ」という音そのものが、境界を意味していた」とのこと。そして海埜自身は「岬的なもの、境界に惹かれる度合いが大きくなってきた、あるいは、狭間にいたいという気持ちが濃くなってきたように感じています。」とのこと。

 「花底蛇(カテイノジャ)」。
 タイトルは中国の諺から来ている。華やかな美しさには邪悪なものもまた潜んでいるということのようだ。「きれいなものと、魔」そして「自然と悪」は近しいものだという。桜には死がよりそっており、その花の下で蛇は鎌首を持ち上げるのだろう。

   その桜は、実をつけない、めでられるためだけの。
   だから、均衡を、かいているのだろうか。ひとのつ
   くった、ひとから、はなれた。えんえんと、つづく、
   無果実の、瞬く、魔、だ。

 桜が持つ妖艶さに感じてしまう不吉なものを、言葉がまとわりついてくるような語法で描いている作品。最終連は短く途切れながら、「きれい、めくれ、汚れ、とおい、季節だ」。

 花草双紙と題したエッセイも載っており、今号は「1 コバンソウの慎ましさ」。
 話者の住まいの近くには古墳があり、そのふもとにコバンソウが群生していたという。話者が小学生だったころに種苗販売のカタログで見ていたのがコバンソウだったのだ。それは亡くなった父君の思い出にもつながっているようだ。

    そのコバンソウの群生。こんなにっしゅうしているのを見るのは初めてだった。
    しかも古墳のような、聖を含んだ場所で。それは、若い黄緑色で、キラキラと輝
    いていた。午後の光をあび、古墳の縁を守るようにそこにあった。

 ほんわりとしてくるような読後感のエッセイであった。これからも草花について書かれていくのだろう。
コメント
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