瀬崎祐の本棚

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詩集「夢転(うたた)」  吉田博哉  (2013/10)  思潮社

2013-12-08 14:15:25 | 詩集
 第4詩集。95頁に幻想譚とでもいうべき物語性のある散文詩22編が収められている。
 「秋の男」は、車椅子生活の夫人が湖の畔で絵を描くお供をしていたらしい。言葉を発することもなく、男は忠実な下部として車椅子を押している。

 
   自分が見るのか夫人が見るのかわからない湖に 老主人
   の水死体があらわれた
   不思議なおののきにつつまれながらも 何かを確かめず
   にはいられなかった 竿で引き寄せると忽ち湖面の秋は
   崩れ 裏返った顔が自分だった
   彼をよぎるようにどこにでも顔はあらわれ 昼月のよう
   につれまわした

男の姿は当然のことながら作者に重なってこようとする。しかし、この男は物語の中に閉じこめられたままの存在である。物語の中から男が、作者に復讐に現れることはないのだろうか。
 そんな私の出自を探すのが「捜私記」である。私は〈こいぶち こいびと ひとさらい〉と呟く女が漕ぐ舟に乗っている。湖を渡っているようなのだが、橋の「そのたもとで少年の私が両手を挙げている」のが見えるのである。舟は「日向村と日影村」のあいだを結んでいるようなのだが、それが此岸と彼岸であることは容易に察せられる。少年が燃やされるところが見えたりもするのだが、それは人形芝居だという。

   今でも互いに死んだ者の名で呼び合う隠れ郷〈嘘つき
   村〉本当を言えない村人に紛れて私も暮らす

 あわいを渡ったことによって初めて見えてくるものもあるだろう。嘘ばかりの名前しかない村で、いったい私は、何の形をしているのだろうか。生きている者の名を捨てて、そこまでして捜さなければならなかった自分とは、何だったのだろうか。嘘をつきとおす覚悟なのであれば、自分はもうどこにも居ないはずなのに。
コメント
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