瀬崎祐の本棚

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詩集「詩集人名」  廿楽順治  (2013/09)  思潮社

2013-12-05 22:24:59 | 詩集
 第2詩集。140頁に35編を収める。思潮社がおこなっているオンデマンドでの発行である。
 作品タイトルは、詩集名の通りにすべて人名である。なかには「ミスター珍」や「いちかわふさえ」などのように、実在の人物を想起させるものもある。
 (なお、作品の表記はすべての行が下揃えとなっている。本稿では引用部分の表記がうまくできなかったので頭揃えとなっている。ご了解願いたい。)
 どの作品も手触りはとても軽い。それなのに描かれた内容は鋭く気持ちに食い込んでくる。たとえば「みよちん」。みよちんはあまり人の記憶に残らないような印象の娘だったようだ。で、「みよちんはさびた釘になってしま」うのである。これはなんだかとても切ない人生である。「ひらべったいあたま」で「棒みたいにやせていた」のである。

   雨だ
   おまえ
   なんだか顔が合板みたいだぞ
   あつまった四五人が
   やすい板になって
   たがいのことをおおわらいした
   みんな
   深く
   顔にふるいみよちんが刺さっているのである

 こうして誰もみよちんのような人生を笑うことができなくなり、忘れることもできなくなり、やがては誰もがみよちんのようになっていくのだろう。誰もが切なくなっていくのである。もちろん、この作品を読んだ人も含めて、だ。
 「ギターの健」の健さんは、いわゆるギターを抱えた流しのようである。「健さんのすさびかたにはみんなが泣く/(らしい)」のだが、父親は「ああいう連中は/くちがうまいからな」と醒めている。

   あの男のうつくしい隠語には
   「まこと」がない
   流し、というのはつまり
   意味や音の死をひろめるやからのこと
   (ギターの健)
   なんていうほどうまくはなかった

 この作品も軽い手触りのように読めてしまうのだが、同時にぞっとするほど醜いもの(それは、ここに描かれた健さんの生き様そのものなのだが)と、それゆえの哀しさのようなものが付きまとっている。
 
コメント
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