瀬崎祐の本棚

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詩集「次曲がります」  ブリングル御田  (2009/11)  土曜美術社出版販売

2009-12-29 19:39:27 | 詩集
 現代詩の新鋭シリーズの1冊。109頁に18編を収める。
 どの作品も抽象的な漢字熟語をほとんど用いていない平易な表現であり、まずは好感を持つ。(希望とか、孤独とか、平和とか、なにを言いたいのかよく判らないことが多くなるので、使うのがとても難しい言葉というものがある。安易にこれらの言葉を多用している作品を見るとがっかりする。)うわべの平易な表現に反して、内容は妖しい方へと錯綜していく。たとえば「公園」のはじまりは、水飲み場の蛇口がかたく閉められているので、

   出ることができないまま水は
   わたしの中でもどこにも行き着くことができなくて
   かわいそう
   ほとばしることなくふくらんでいく

 そして公園にはブランコを漕いだり、砂山を掘ったり、水飲み場の蛇口をひねろうとした「指がいっぱい落ちている」。わたしの指も「誰にも知られたくない言葉を//吐き出したくてたまらない」。この妄想のような展開がすばらしく面白い。内容ばかりか、言葉の表現方法までもがはみだしてくる。表記は整然とした行を乱し、言葉も擬音語が散らばる。表現欲への勢いとしかいいようのない疾走感がみなぎっている。このような表現へ踏み出させる中からの高ぶりを羨ましく思う。

   放たれていくわたしから
   地面に文字を書く指たち書き続け誰か来る前にビル風が
   文字を 砂を まき散らす

   公園に蠢くおびただしい指の
   どれがわたしのものか見分けがつかないからもう
   指のことを気にしなくていい
   蛇口が開かなくてもそのままでいい

 「迷子」や「口寄せ」など、一人称の会話体の作品では、わたしの思いは縦横に走り回って、他人との関係や世間の約束事をかけ昇っては真っ逆さまに落ちたりしている。わたしがしゅうまいになって弟に食べられることを思いながら、舅の言葉がつまって膨らんだお腹のようなしゅうまいを食べる「しゅうまい」も面白かった。
コメント (1)
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